第5話 長老
セラは朝になり長老の家を訪れた。朝食が済んで昼を待とうという時間帯だ。
門前には警備の大人が二人いた。
「何用だ」
異物を弾くような蔑みにセラは不快感を抱いた。
「大事な話があります」
「それはここで言えないことか」
問いかけに応じるつもりはなかった。伝えればきっと会えなくなる。
二人は多くを伝えないセラを訝しんでいたが一応来客であるので要件を抱えて長老に会いに行き、五分後戻って来て、入れと仏頂面でいった。
通された居間はおそらく森の家々の中で一番の広さだろう。壁にかかった異国の絵、鹿のはく製、大きな暖炉。セラは赤と緑の混じる綿の織物の上に座り、頭を下げた。
「何用じゃ、セラ」
長老の姿を見るのは昨年の狩猟祭以来だった。
腰元でパチリと切りそろえられた白灰の混じる髪の毛は薄汚く、肌は褐色。額に赤と白のターバンを巻いて、首に大きな丸の金の首飾りをぶら下げている。昨年に増して体は老いたようだったけれど、眼光は鋭く相変わらずの厳しさを湛えていた。
「お聞きしたいことがあるのです」
「わたしは忙しい。要件を手短に申せ」
「父のことを聞きに参りました」
セラは昨夜眠りながら、結局話題は父のことにすることに決めた。わざわざ会って天気の話などするわけにもいかないし、でも学業の相談というわけにもいかない。長老が父の安否について知っているのであれば、きっと何らかの反応を示す。それが真実への近道になるはずだ。
「ロアは森を出たはずじゃが」
「ええ、それは知っています。でも長老はそれ以上を、真実を御存じなのだと思って参りました」
わずかに光彩が揺れる。セラはそれを見逃さなかった。
「何も知らん。森を捨てた者のことなど議論するのも耐えがたい」
ふてぶてしいとも思えるその言葉に怒りを覚えそうになったが極めて努めて平静を装った。
「森を捨てたと仰る。父はおそらくそうでないと考えているのです」
「憶測でものを申すな」
「憶測といいますと」
「憶測は憶測だ!」
老女は怒号を鳴らした。不機嫌で去られては仕方ないので切り口を変えることにした。
「大樹についてお聞きしたいのですが」
「大樹?」
長老は眉尻を吊り上げてよりいっそう表情を険しくした。
「昼間、大樹の根元に行こうとしたらと止められました。どうして子どもは近づいてはいけないのです」
「神聖な大樹に万が一のことがあってはならん。子供のいたずらで大樹に傷がつくなどもっての外」
もっともらしい意見を構え払おうとしているが、引くわけにはいかないだろう。
「父はそこにいるのだと確信しています」
長老の呼吸が途端に荒くなる。
「戯言を。妄言を申すな」
セラは黙るとじっとその調子を眺めた。
「お前は狂っているのだ。精霊が話していたか」
「ええ、そのようです」
しらじらしく受け答えすると長老の口元が不快に吊り上がった。
「もう帰れ。そなたと話していると不快だ」
老女は憤然として立ち上がる。セラはその怒りに満ちた顔へ向けてそっと言葉を紡いだ。
「……たったひとりでいいのです」
長老が動揺して目を見開いた。信じられぬものを聞いたような目でセラを見る。
「たったひとりでいいのです」
「お前は何を言っている」
瞳が震えひどく怯えた様子だった。声まであからさまに動揺し、セラはそれを見て確信する。あれは真実の物語であったのだと。
「いえ、別に。ありがとうございました」
セラはそういって立ち上がると長老宅を後にした。
セラはその足で精霊の泉へと向かった。手には握り締めた長老の髪の毛がある。話をしながら気取られぬよう手で床を探り、何とか見つけられた。
泉にはセラを歓迎するようにたくさんのコケの人々が集っていた。セラの姿を見つけるなりふわりと近寄って、畔に屈んだセラの腕や首にまとわりついて大人しく泉に目を向けた。セラは払いもせず、右手をそっと運び髪の毛を泉の中で放した。
長い白髪はたゆたいながら水底へと消えていく。しばらく待っていると泉の水面に色がゆらりと浮かんできた。マーブル模様が掻き混ざり、それは徐々に絵をなしていく。
映し出されたのは赤と緑の綿の織物――長老の自宅であった。
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