第4話 森の童話 

 数ページめくり確認したが、すべて手書きの冊子でこの繊細さは父の筆跡だろう。自室に戻り、ベッドに腰掛けて記憶を確かめるようにそっとページをめくった。



 ふかーいふかーい森のおくに魂の宿った樹があります

 その大樹は森の生き物たちを長い間ずっとずっと見守って生きてきました

 あるとき大樹の森に国を追われた人間たちがやってきました

 一緒に住みたいという人間たちに大樹はこう言いました

 ここはわたしの森だ

 暮らしたいのなら条件がある

 年に一度わたしに感謝を示しなさい

 わたしにお供えをしなさい

 森に暮らせることを感謝しなさい



「お供え?」


 セラは眉をひそめて物語の続きを追った。



人間の長老は大樹に語りかけます

何人がいいのです


大樹は囁きます

たったひとりでいいのです

たったひとりでいいのです



 あまりの衝撃に体が凍りつき、心が総毛立った。息が出来ぬほどの圧迫で、胸が締め付けられる。体中の血が腰元へ下りていく。その呪いの一行を確認するようにもう一度なぞった。



――たったひとりでいいのです。



 たったひとりという言葉が暴力的に膨れ上がり同時に父の泣き顔が浮かんだ。否定することすら出来ずに一文と運命が直結してしまう。ジワリと目尻に涙があふれ、醜く、おぞましい物を読んでしまったとひどく後悔した。


 固く目を閉じて血が静まるのを待つ。けれども待てば待つほど心はざわめき、指先にまで震えが届く。気づけば呼吸が速くなり喉が嗚咽を漏らしそうなくらい熱くなった。


 唇を噛みしめたが、こらえ切れなかった涙は紙面を濡らした。読むべきではなかった、探すべきではなかった。真実など美しくはなかったのだ。取り戻せぬ後悔ばかりがどんどん増していく。

 涙が累々とこぼれる。たったひとり、たったひとりが何だというのだろう。

 苦しみに喘いでうずくまるっていると階下から呼ぶ声がした。


 母だ。夕食の時間だった。セラは拳をにぎり、ぐっと目を閉じて戦慄きを我慢すると涙をぬぐって童話を自室に隠した。慣れたように何事もなかった顔を作ると母とトニヤのいる一階へと降りていった。




 いつもならそれなりに会話も弾むけれど、今日はまるで味がしなかった。トニヤは元気に話していたけれど、相槌すら打つことが出来なかった。

 何度母に真実を問おうと心を決めたか分からない。けれどそれをすれば父がいなくなってもなお、懸命に家庭の温かさを保とうと努力してきた母のすべての計らいを打ち砕いてしまうような気がした。


 母さんは知っていたのか。


 黙考しながら食べているとトニヤが心配そうにした。


「セラ。嫌なことあったの」

「何でもないよ」

「でも」

「何でもないって」


 気を荒立ててしまったことを後悔した。せっかく心配してくれたトニヤはしゅんとして俯いてしまった。セラは謝るだけの余裕もなく、夕食を手短に終えると自室へとひきこもった。



――たったひとりでいいのです。



 あれは空想の物語なのだと処理しても反発するように心が真実を追う。あの時、父が自分に伝えようとしていたのはこの一文ではないのか、と。そう考えているうちにまた元の考えがぶり返して、これはただの空想だと打ち消していく。


 考えこんでいるうちに頭痛がしてきて、もしもを手放そうと目を閉じても眠れるはずもなく。開けた木窓から差し込む月明かりでそっと絵本の続きを読んだ。



 エルダーマザーはいいました

 わたしに身を委ね永遠の生につきなさい

 永遠に生きる森の一部となり、そこに生きる生き物たちを深く見守りなさい

 供物としてささげられた男は問いました

 わたしには愛する家族がいます

 家族が路頭に迷わぬよう恵みを授けてくださいますか

 約束しよう

 そなたの家族が困らないだけの森の恵みを分け与えよう

 信じていいのですか

 安心しなさい

 森の一部になろうともみんなお前とお前の家族のことを思っている……



 物語はそこで終わっていた。読み終えたセラはたったひと言、嘘だとつぶやいた。

 父のいなくなった後、森の住民はセラの家族に冷たかった。父がいたころは付き合いのあった住民たちも急によそよそしくなった。取り残された家族は生きていくことこそ迷いはしなかったけれど、決して楽しい日々ではなかった。よく心折れなかったと思う。


 大人しく控えめな母とビョーキのセラとまだ物ごころがついたばかりのトニヤに親切にしてくれる者はほとんどなく、それが森の大人に対するセラの不審を生んでいた。森の中にいてなお森の住民になれない悔しさ。世間の風を一身に受け止める母は愚痴ることはなかったけれど、ずいぶん心細かっただろう。人の排他的な面ばかりが目立って、そうして自身は理解者を得られぬ孤独な大人になるのだとずっと思っていた。


 森の子供は好きじゃない。でもそれ以上に大人が嫌いだった。知恵がある分、余計な計らいが目立つ。たぶん彼らは自身が思っているよりずっと出来ていないのだ。


 そしてセラは物語の真意に考えを巡らせる。

 森では年に一度どこかの家の大人が居なくなるということが起きていた。公には森で動物に襲われただとか、林道から道を踏み外したということで片付けられていたけれど、役職についていた父もおそらく真相を知っていたに違いない。だからこそこの絵本を描いた。我が子に真実を伝えるために。


 童話のとおりならば消えた森の大人たちはきっと大樹の元にいる。森の一部となり、という部分については不明だけれどすべての答えはきっと大樹にある。


 そうするとようやく長老の髪の毛という言葉が浮上した。泉の精霊は言っていた。真実を知りたければ長老の髪の毛を泉に沈めよと。


 明日会いに行こう。お目通りを願えば嫌われていようとおそらく会ってくれる。

 問題は何を話すか。気難しい老婆の気を引く気のきいた話題にしなくてはならない。あれでもない、これでもないと話題を思い浮かべながらセラは夜更けまで考えた。


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