第50話

 そのようなことがあった後も、厩戸皇子と額田部皇女は夫婦関係を解消せず、お互い何もなかったように振る舞っていた。

 額田部皇女は皇子の気持ちを自分に引き寄せようと必死に着飾り、毎夜厩戸皇子の来訪を待ちわびた。皇子も、彼女を敵に回すのは不利だと思い直し、なるべく優しく接するよう気にかけた。

 そんな中、額田部皇女は自分の体の変調に気づいた。月のものが、もう三月も無いのだ。

 最初に気づいたのは、宮で一番の古株の釆女である。しばらく前から額田部皇女の月経が不順になっていることはわかっていた。けれども、額田部皇女には既に子もいるし、いつ閉経してもおかしくない年齢であるから、敢えて口には出さなかった。

 額田部皇女はふと、釆女に洩らした。

「私はもう子を成すことはできないのか」

 釆女は感情を入れずに答えた。

「人は誰でも歳を取るもの。こればかりは、どうにもならないことでございます」

 額田部皇女はため息をついた。釆女が否定してくれることを、期待している気持ちもあったのだ。

 そんな額田部皇女の様子を見て、釆女は言葉を続けた。

「大王には、尾張皇子をはじめ、立派な御子たちがおられます。後は次の世代に託して、ご自身の楽しみの為に生きよと言うことではないでしょうか」

 額田部皇女は、釆女の言葉を絶望的な気持ちで聞いていた。

 もう厩戸皇子の子は産めないのだ。相も変わらず自分の元へ通ってこない厩戸皇子だが、それでもいつかは戻ってくると信じていた。しかし、子が産めない身体になったことを知ったら、厩戸皇子はもう二度とその手で自分を抱こうとはしまい。

 先の大王の后として良い思いもした。今も大王としての自分に皆が跪く。何も思い通りにならないことはない。しかし、自分が一番欲しかったもの、厩戸皇子との子は手に入らなかったのだ。

 大王になって何のために今まで頑張ってきたのか、額田部皇女は空しくなった。

 しかし、額田部皇女はただの女ではなかった。いつまでも感傷に浸っているわけにはいかなかったのである。自分が厩戸皇子の子を宿すことができないとなると、次の手を考えなくてはならぬ。

 額田部皇女は、自分が女でなくなったことを決して厩戸皇子に気づかれてはならぬ、と考えた。継嗣を作れぬ女など、后にする意味がない。自分が后になり、我が子尾張皇子を次の太子にするには、このまま素知らぬ顔をして厩戸皇子を即位させるのだ。

 額田部皇女は、釆女に強い口調で言った。

「このことは、決して誰にも口外するでないぞ」

 釆女は、額田部皇女が自尊心から言っているのだと承知した。

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