第44話
そんな中、新羅の密使が密かに入国しようとし、筑紫で捕らえられた。
ここ数年というもの、厩戸皇子の考えで、新羅への出兵は控えていたが、このことがきっかけで再び新羅討伐の話が浮上した。
元々馬子は、新羅に対して敵対心を持っていた。馬子の祖先が朝鮮半島の百済からこの国へ渡ってきたのも、新羅とのいざこざがあった。先祖代々の恨みである。とにかく、馬子は新羅と戦いたくてしょうがなかったのである。
また、新羅に兵を出せば、莫大な戦利品と賄賂を手にすることができる。例えば前回の新羅討伐では、総大将に馬子の弟、境部臣摩理勢を据え、摩理勢は沢山の戦利品を新羅から持ち帰った。しかし馬子は、持ち帰った戦利品の全てをそのまま大王に差し出すわけではなかった。大王に差し出す前に、馬子と摩理勢とであらかじめ気に入った物、大陸の珍しい装飾品や武器などをこっそり懐に入れていた。馬子らは新羅討伐で甘い汁を吸っていたのだ。
馬子は群臣を集め、新羅討伐についての会議を開いた。
「おそらくは、我が国が隋に遣いを送ったことをどこからか知り、その後どうなったか探りに来たのであろう」
名目上は新羅へ兵を出すかどうかの会議であったが、馬子が事前に有力豪族に新羅出兵の必要性を説いて根回ししており、新羅征伐は当然という空気が漂っていた。
和睦派である厩戸皇子も、多勢の群臣の意見に同意せざるを得なかった。
馬子の思惑通り新羅征伐の出兵は来春ということで決議したものの、総大将の人選が馬子の頭を悩ませた。
前回、前々回と馬子の弟である境部臣摩理勢が総大将を努めていたが、摩理勢は歳を取り体調が思わしくないとの理由で辞退してきた。摩理勢の息子はまだ若い上、甥とはいえ信頼できない。摩理勢の息子にするくらいなら、自分の息子を総大将にしたい。だが、蘇我総本家嫡男の毛人を危険な新羅へ送るわけには行かない。かといって、下手に蘇我氏以外の豪族から総大将を出すと、手柄も戦利品も持って行かれ、その一族を勢いつかせることになる。
妙策が浮かばなかった馬子は、仕方なく厩戸皇子の宮を訪ねた。
「総大将として、群臣が納得し、誰にも利害が生じない人物を選べばいいのでしょう」
厩戸皇子はこともなげに言った。
「それが難しいのですよ、誰にも利害が生じないというのは」
「ならば、
「え、太子の弟君である来目皇子を」
「いかが思われます」
「いや、皇子が危険な戦場へ赴くなど」
「だからこそ、群臣も承知しましょう。来目の妻は膳臣の娘だが、来目自身は大臣の孫。心配はいらないでしょう」
この皇子は蘇我氏の味方なのか、敵なのか、時々わからなくなる……。
馬子の心を読んだかのような厩戸皇子の言葉に、馬子は背筋が寒くなった。
そうして翌年の春が来ると、来目皇子を総大将とする新羅討伐軍を飛鳥から送り出した。
新羅討伐軍の来目皇子らが飛鳥を出発して二カ月、軍は難波の港から瀬戸内海を通って筑紫に寄港していた。
朝鮮半島や大陸へ行く船は、一旦筑紫に寄港する。筑紫の港で海の状態を見計らい、頃合いを見て海を渡るのである。
その年は台風の当たり年で、次々と台風が来て海が荒れ、討伐軍の船はなかなか出航できずにいた。
「新羅へ出発するのは、冬になりましょうか」
厩戸皇子は馬子の屋敷でそう言った。
「このように長い間海が荒れるのは珍しいことですな。まるで誰かが水神に祈願して、新羅への出兵を阻んでいるような」
馬子は含みのある物言いで、厩戸皇子をチラと見た。
「この国にそのようなことをする者がおりましょうか。水神に祈願するとしたら、我が国を恐れる新羅の者でしょう」
馬子の言葉の裏にある嫌みに気づかなかったふりをして、厩戸皇子は笑い飛ばした。
「それより大臣」
厩戸皇子は真剣な顔になった。
「官位と律の発表は、新羅へ派遣した軍が帰国してからということで、異論はありませぬな」
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