第41話

 やがて年が明け、年初の恒例行事が行われた。

 賀正の礼から始まり、節会の宴、その後、各地の豪族からの祝賀品が献上され、舞や歌会、射礼などの年始行事が十八日まで続く。

 重い気持ちで新年を迎えた昨年が、遥か遠い昔のように思えるほど、額田部皇女の気持ちは穏やかだった。

 すぐ隣には厩戸皇子もいる。

 幸福とはこういうものだと、額田部皇女は感じた。

 年初の行事が終わると、額田部皇女は馬子を宮へ呼んだ。

 上座に座る額田部皇女のすぐ横には厩戸皇子がいる。

「大臣、太子が近日中に宮を建てることとなりました。大臣も力となっておくれ」

「それはめでたきこと。どちらの土地をご用意いたしましょう」

「その必要はございませぬ。太子は飛鳥ではなく斑鳩に宮を建てるのだそうじゃ」

「斑鳩」

 斑鳩は、厩戸皇子の妻、膳菩岐々美郎女の実家、膳氏の本拠地……。斑鳩を京にするつもりなのか。馬子は心の中で呟いた。

 そんな馬子の心を読んだかのように、厩戸皇子は言った。

「大臣も、私が飛鳥の地を捨て、斑鳩を京にするのではないかと思っておられよう。ええ、いずれ私は斑鳩を京にするつもりです。だが、飛鳥もまた京であることを変えるつもりはない」

 馬子は、皇子の詭弁に言いくるめられないよう、黙って皇子の目の奥を見た。

「私は、この国はこれからもっと発展していくと思っています。国が大きくなっていくと、京も大きくしていかねばならない。それには飛鳥だけでは手狭。そこで、政治機関や権力を分け、合理的な京作りが必要だと思っています。飛鳥はいわば奥の京。正式な儀式や重要な会議、国外からの使者や客人を迎えるのは飛鳥の宮で行い、斑鳩には、仏教や学問、様々な技術を育て発展させて行く京を作りたいと考えています。学問は政治情勢に煩わされることのない安定したものでなければなりません。飛鳥が政を司る京ならば、斑鳩を学問の京としたい。そしていずれは飛鳥と斑鳩の間を船で行き来できるようにしたいと思っています」

「船で。そういえば、近頃、隋では西の都長安と東の都洛陽を結ぶ運河を造っていると聞きましたな」

「私もそう聞きました。やがて隋や他の国々からの使者が京を訪れましょう。その時、難波から船で斑鳩へ、また飛鳥へ上れば、船の上から、塔がそびえ立つ立派な京を見せつけることができます。他国の使者は我が国の繁栄を感じ、恐れ入ることでしょう」

 馬子は、腕組みをして目を閉じた。

 確かに飛鳥は隋のような大きな街並を造る広い土地を確保できない。飛鳥周辺の土地は起伏が激しく、水はけも悪く溜池が多い。また、歴代の大王の宮や墓が点在し、それらをどうするかも頭の痛む問題である。既に宮も群臣の屋敷も市も作られ街を形成しており、またいちから整地して京を造るのは困難極まりない。だからといって田畑をつぶして土地を作っては生活に困る。飛鳥で整った大きな京を造ることは不可能だろう。

 そうはいっても飛鳥周辺は蘇我氏や一族の領地、一方で斑鳩は膳氏の領地である。京周辺を蘇我氏の支配下に置くこの状態を守りたい。

 ただ、厩戸皇子が言う、京の機能を分けるという考えも悪くはない。皇子が遠い斑鳩で学問に専念してくれれば、必要以上に政治に口出ししないかもしれない。そうして、大臣が飛鳥で政治を動かし大王は斑鳩で学問を管理する、という構図を作ってしまうのだ。二都を船で行き来することもなかなか魅力的である。

 馬子が並の人物ではないひとつに、頭の柔軟性がある。馬子をよく知らない人間は馬子を独善的だと思っているが、実際には、他者の意見を聞き、良い点は受け入れ、新しい物を採り入れることを臆さない柔軟さを持っていた。厩戸皇子は、馬子のそんな性質を熟知していたのだ。

 皇子は馬子の表情を見、納得させられたと感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る