第37話
やがて秋を迎え、農作物の収穫の季節となった。
馬子の屋敷で残月の宴と称して群卿が集められた。馬子は自分の権勢を見せつける為に、時折こうして自分の屋敷に人を集めて宴を催していた。
珍しい沢山の肴が運ばれる中、群卿のひとり、桜井臣が言った。
「ところで、今年も新嘗祭は女帝がなさるのですかな」
馬子は瞬時に何のことかわからず、きょとんとした顔をした。
新嘗祭とは、年に一度、農作物の収穫を祝い、神に新米新穀を供え感謝し大王が神と共に食事をするという、大王の神格化を意味する祭祀である。そして、大王になって初めての新嘗祭を大嘗祭と言い、即位を神に認められたことを意味する重要な儀式である。
「いや、太子も随分立派になられすっかり一人前になられたようだから、そろそろよろしいのではないかと思いましてな」
馬子は、激しく動揺した。
心の動揺を見透かされないよう、ゆっくりとした口調で言った。
「というと、太子を即位させたいということですかな」
「おお、そうじゃ、それはいい」
それまで酒肴に気を取られていた巨勢臣が口を挟んだ。
「しかしながら」
馬子はゆっくりと言いながら、言葉を考えた。
「まだ太子はお若い。過去の大王よりあまりにも早い年齢で即位なされると、今後の悪例にもなりまする。大王のご父君にあらせられる敷島大王は、年がお若いことを理由に一度は辞退なされた。太子だってそのことを知っておられる以上、辞退なされるかもしれませんぞ」
敷島大王が即位したのは三十一歳であったが、一度は年齢が若いことを理由に辞退したことがあったのだ。
「確かにそうですな。若くして大王になって、また失敗しては困りますからな」
紀臣が、馬子が擁立した泊瀬部大王のことを暗にほのめかした。
酒の席も手伝って、周囲の者も失笑した。
渋い顔の馬子を見て、上機嫌になった巨勢臣が言った。
「いやいや、上宮様ほどの聡明な方なら、今すぐにだって構わぬ」
他の厩戸皇子贔屓の者たちも、口々に言い出した。
「そもそも、額田部皇女を大王にしたのも、皇子が適齢になるまでの中継ぎという話だったはず」
「もう充分な年齢になったと私は思いますがな」
このような話の流れになるとは、馬子は考えてもいなかった。
「ただ、譲位となると、大王が納得されますかどうか」
馬子は苦し紛れに言った。
「そこは大臣の腕の見せどころじゃろう。我ら群臣の気持ちを、うまく大王に言ってくだされ」
佐伯連が調子良く言った。
馬子は額に流れる汗を衣の袖で拭った。
「ならば、折りを見て話してみますかな」
肌寒い季節だと言うのに、馬子の背中は汗でびっしょり濡れた。
「ふん、口で言うだけなら何でもできる」
馬子は、客たちが帰った後、居残った境部臣摩理勢と息子の毛人に呟いた。
「自分では何もしないくせに、面倒はいつもわしに任せてるくせに偉そうに」
いまいましそうに言う馬子を、摩理背が宥めた。
「まあまあ、それだけ兄貴が能力があるってことだよ。兄貴がいなけりゃ何もできないってことだ」
「しかし、皆にああ言った以上、即位の件、考えねばなりませぬ」
と、毛人が真顔で言った。
「大王になんと言うのだ。そう易々と譲位するか。まだ太子の正妃だって立ててないのに」
「相変わらず大王は太子にべったりか」
「ああ、他の皇女を正妃になんて言ったら、どんなことになるか」
「まさか、額田部皇女の娘を妻にさせる訳にはいかんしな」
「他の皇女ならなおさらだ」
「いっそ、大王を后に立ててしまったらどうだ」
「大王を后に」
「あの歳じゃ、さすがにもう子供も産まんだろう。余計な心配がなくていいじゃないか」
摩理背が自分の言葉に、ははは、と笑った。
「大王を后に」
一転、真顔になった馬子に、摩理背が手を横に振った。
「おいおい、冗談だよ。まさか、本気で考えてるんじゃなかろうな。二十も年上だぜ」
毛人も困惑した表情を浮かべた。
馬子は腕組みをした。
「いや、他に手がなければ、それでもよかろう」
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