第36話

 厩戸皇子と馬子の画策により、遣隋使の帰国について表面的な報告だけで話を終わらせた。

 群臣はもっと詳しい話を訊きたがっているようであったが、厩戸皇子が早々に話を打ち切った。

 その後、厩戸皇子と馬子の二人は、放ったらかしになっていたままの法律作りに着手した。

 何としても、再び遣隋使を送らねばならない。このままの状態だと隋はおろか半島の国々からも侮られてしまう。群臣の中には今回の報告に納得していない者もいる。できるだけ早く遣いを送りたい。

 厩戸皇子と馬子は危機感を共有したのである。


 憲法の草案作成と同時に、皇子は官位の制定にも取りかかった。

 妹子の話によると、隋の国では冠の色によってひとめで官位がわかるようになっているという。話を聞いた皇子は、今までのような馴れ合いの延長上にある身分制度はよくない、整然とした制度が必要である、と考えた。

 厩戸皇子に官位の制定に力を入れさせたのは、持って生まれた彼の性分、人間平等主義がある。

 今のこの国では、役職は世継ぎ制である。大臣の子は大臣に、連の子は連に、能力が無くとも親の役職を継ぎ尸位素餐に甘んじている者も少なくない。逆に言えば、身分の低い者はどんなに能力があっても重要な役職に就けず、能力を存分に生かすこともできないのである。

 厩戸皇子は、このことを国家の損失だとさえ考えていた。全ての人間に平等に機会は与えられるべきだと考えていた。

 今の自分があるのは、子供の頃から沢山の書物を読み、優れた教師について勉強したからである。書物もなく師もいなかったら、いくら生まれ持った才能があったとしてもそれを伸ばすことはできなかっただろう。

 同様に、世の中には様々な優れた能力を持った人間がいる、そういった者たちの能力も、使わなければ育たない。身分の高低に関わらず、能力のある者に仕事をさせることが本人の為になり、また国家の為になるのだ。

 それには、新たな官位制度の制定が必要だと考えたのである。


 厩戸皇子は、馬子の同意を得ようと嶋の屋敷を訪ねた。

「ほう。では、この大臣も、能力がないと思われたら替えられるのですかな」

 馬子は、遣隋使の件で厩戸皇子に借りを作った格好になっているのを気にしているらしく、言葉に刺を含ませていた。

 厩戸皇子は、馬子の反発は承知の上だった。だからこそ、きちんと説明し同意を得る為に訪問したのだった。

「いいえ、大臣は別です。大臣は大王と共に政を司る重要な役目。安定した国にするには、大王と同様、同じ人物が長く続けて治めていく必要があります」

「ほう、というと」

「大臣にはこの先もずっと大臣でいて欲しい。大臣は大王と共に官位を与える側であるべきです。大王ひとりで人間の能力を見定めることは難しい。大臣には、大王と協議して官位を定める役目を担って欲しいと考えているのですが、いかがでしょう」

「ふうむ」

 馬子は難しい顔をした。内心では、自分が官位を与える立場になるのは悪くないと思った。

「私がそのような立場になると、他の古くからの群臣が不満に思うのではないですか」

 これまで自分の思うように政治を動かしてきたくせに今さら何を言うのか、と厩戸皇子は思ったが、表面には出さなかった。

「大臣ならば、他の群臣の不満も抑えられましょう。過去にも大王が代わっても大臣はそのまま引き継ぎ、政治を執ってきた。そのお陰で国が乱れることなく今日までやってきました。他の群臣とは立場が違うのです。大臣という役職がいかに重要であるか、大臣もその立場は重々承知しておられるはず」

 厩戸皇子のさりげない煽ては、馬子の心をくすぐった。

「ところで、我が愚息、毛人はどうなりましょう。先代の王は、我が蘇我の子孫代々に大臣の職を任されましたが」

 馬子の大臣の地位は、父親の蘇我稲目から嗣いだものである。しかし、稲目の父親は大臣ではなかったから、実際には特に蘇我氏代々に大臣職が約束されていたわけではない。

「私は先王のご遺志を尊重いたしたいと思っております」

 厩戸皇子は、馬子を安心させるため、当然といった顔をした。

 大臣が替わると国政が安定しない、と先ほどの厩戸皇子は言ったが、本心ではさほどでもないと思っていた。しかし今、厩戸皇子は、新しいやり方で新しい官位を制定しようとしている。それに対しての風当たりは強いだろう。ここで馬子を敵にしてしまっては、官位の改革が不可能になってしまう。その為に、できる限りの譲歩案を考えたのである。これは馬子を恐れてのことではない。自分の目的を達成させるための策略である。

 そういった皇子の説明で、馬子は自分の地位が約束されたと納得した。


 厩戸皇子が国家の整備に力を入れている一方で、馬子は大王のことを考えていた。

 この国はまだまだ発展していかねばならぬ。隋と交易し、国を発展させ安定させる。それには厩戸皇子を大王とするしかないのかもしれない。厩戸皇子が大王にならねば安東大将軍の称号は得られないのだ。

 豪族たちは一族の利益のみを優先し、世界情勢などおかまいなしの人間ばかりである。況してや庶民はこの国の未来など考えるはずもない。馬子は、この国で世界情勢を見極められる人物は自分だけだと自負していた。そして今、自分の考えが理解できるのは、厩戸皇子ただひとりだとも感じていた。

 馬子は、自分の孫の山背皇子をいずれ大王にするつもりである。そして、厩戸皇子の即位時期はできるだけ遅らせたい、厩戸皇子の在位期間を短くしたいと思っていた。

 しかし今の状況を考えると、そのようなことは言っていられないようだ。山背皇子が成人して適齢になるまであと何年かかるだろう。それまで時勢は待ってはくれない。

「遣隋使を送るためには厩戸皇子を大王にするしかないのだろうか……」

 馬子は、相剋する思いの中でそう呟いた。

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