第31話

 推古七年晩秋、難波の港から遣隋使が送り出された。

 当時、隋への旅は難儀な船旅であった。

 まず難波港から瀬戸内海を通って筑紫の大津港まで行き、筑紫から海を渡りいくつかの島を経由して朝鮮半島へ渡る。そこから湾を横切り、河を上って隋の都を目指すのである。

 当時の船は帆掛け船で、風力と人力によって進む。天候や風向きによって左右され、波の荒い日本海を越えて行くとなると、命をかけた危険な旅になる。途中、食糧や水を調達しながら進むのだが、深い親交のある百済以外の土地、未知の国、隋で食糧がどれほど調達できるかもわからない。

 小野臣妹子を中心とした遣隋使たちが、そういった危険且つ重要な任務を託された。厩戸皇子は航海の無事と遣隋使の成功を祈り、妹子を送り出した。


 遣隋使の帰国を待つ間、厩戸皇子と馬子は隋の使者を迎える準備を始めた。歓待する筑紫宮や難波宮の改築、馬の手配、食料の調達など多くのことを手配しなければならなかった。


 厩戸皇子が遣隋使や政のことやらで充実した日々を送っている一方で、額田部皇女はひとり悶々とした気持ちを抱えていた。

 厩戸皇子が病気療養の旅から帰って、二年が過ぎた。周りの人々も、皇子が病気だったことなどすっかり忘れてしまったように見える。これなら皇子はいつ大王になっても何の心配もないと額田部皇女も思っていた。

 額田部皇女の気がかりは、自分の体調のことである。

 近頃、額田部皇女は自分の体の変化に気づいた。月のものが不安定になったのだ。

 年が明けたら四十六歳となる額田部皇女は、ある日、年配の釆女を呼んだ。

「女性は、いったい何歳まで子を産むことができるか」

「人によりましょう。私の故郷で四十八で子を産んだ女がおると聞いたことがあります。身体が丈夫な女でしたが、さすがに高齢でのお産は困難だったらしく生死の境をさまよったそうです」

「私の歳で子を産むのは困難か」

 釆女は、額田部皇女の気を荒立てないよう慎重に返事をした。

「子を産むのは可能かと思います。しかしながら、農民の娘と違って、大王はこの国にとって大切な身でございます。万が一のことでもあったら困ります。御身を第一にお考えくださいませ」

 厩戸皇子と婚姻してから早六年、皇子が伊予へ行っている一年余の空白を引いても五年、その間、額田部皇女は全く妊娠の気配がなかった。

 当初、額田部皇女は、厩戸皇子と婚姻さえすればすぐに子ができると思っていた。先の大王とは婚姻から一年も経たぬうちに懐妊したのだ。

 五年もの間ずっと子ができなかったのに、今さらこの歳で妊娠できるのだろうか。もう、皇子の子を産めないのか。

 そう考えた途端、額田部皇女は背筋がぞっとした。今までずっと目を逸らし続けてきた現実である。

 そのような恐ろしいことがあるだろうか。いいや、そんなことはない。私にできぬことはない。

 額田部皇女はそう思い込もうとした。

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