第30話
数日後の朝参の後、額田部皇女は「太子が遣隋使を送ることとなった、皆協力するように」と詔した。
その翌日、馬子は、群卿を嶋の屋敷に集めた。
「先日、大王の詔があった通り、隋に遣いを送ることとなった。本日は、具体的な事項についての会議である。大王が選んで任命してもかまわないのだが、是非に随に行きたいと申す者がいれば取り立てるとのことである。また、ふさわしい者がいれば推挙願いたい」
馬子は皆の顔を見渡したが、皆いちように難しい顔をしている。
「しかし、隋は遠く、その旅は大層危険だと聞きますぞ。そんなところへわざわざ遣いを出さなくとも、百済で充分じゃなかろうか」
誰かが言い出した。
すると、回りの群臣も皆、口々に追随した。
「海は波も荒く、大変な船旅になりましょう」
「大体、もう百年もつき合いのない国、今さら……。大臣も反対していたではないか」
ざわめく群臣の心には、遣隋使などどうでもいいことのようであった。
「世界情勢というものは、目まぐるしく変わりますぞ。これからの時代、我が国もその変化に対応して行かねばなりませぬ。以前、太子がおっしゃった時にはまだ時機が早うございった。だから私は反対申し上げた。しかし今、隋に遣いを送る時機が巡ってまいったのだ」
馬子は、最近の大陸情勢、隋と国交を結ぶ有意義さを皆に懇々と説明した。
馬子の力説に関わらず、皆、目線を落とし黙っている。
そこで馬子は、下人に申しつけて奥から箱を持ってこらせた。
「これをご覧あれ」
馬子は、自分の膝前に置いた木箱を丁寧に開き、中から瑠璃の碗を取りだした。
それはキラキラと輝き、見たことのない色彩を放っていた。
「おおっ」
一同から感嘆の声が上がった。
「それは」
馬子は、その器を自分の肩ほどに高く掲げ持ち、皆に見せた。凹凸の模様が入る透き通った瑠璃色の器は、窓から入る光を受けて一層光り輝いた。
「これは最近、百済の使者が持ってきた貢ぎ物です。聞けば、隋からの渡来品で、百済でもまだこれほどの物を作る技術はないと言う。どうです。この細工、この色の美しさ」
馬子は皆の顔を見回し、皆の目が硝子の器に釘付けになっているのを確かめた。
「これだけではない。隋にはまだまだ、これ以上の物がいくらでもあるとか。今は、百済から渡ってくるわずかな物しか手に入らないが、隋と直接交易することになれば、もっともっとすばらしい物を、好きなだけ手に入れられましょう」
皆の口からため息が漏れた。
隋の優れた物や技術を蘇我氏に独占させるものか、という気持ちが皆の心に芽生えた。
「して、隋に遣いを送るとするといつ頃」
話は一転して、具体的に動き出した。
そうして馬子の作戦はまんまと成功し、隋への送使に群臣の同意を取り付けた。
それから三日後、額田部皇女が正式に遣隋使を任命した。正使は厩戸皇子の推薦で小野臣妹子に決まった。
大王の宮からの帰り道、自分の思う方向になんとか話が決まって安堵している馬子に、阿倍臣が話しかけた。
「いっそのこと、太子を即位させてしまったらどうでしょう」
阿倍臣は言葉を続けた。
「今度の遣隋使だって、太子が中心なのでしょう。大王はほとんど政を太子に任せきりですし」
馬子は眉間に皺を寄せた。
「譲位、ということですかな」
馬子はゆっくりと言葉を返した。
「お若すぎる。いくら太子がご聡明とはいえ、まだ御年二十六歳」
そこへ毛人が口を挟んだ。
「しかし、太子ならお若くても充分大丈夫だと思いますが」
この馬鹿者、と馬子は心の中で叱責した。
聡明だから尚のこと、若くして即位されては困るのだ。在位する年数が長ければ長いほど大王の力は増す。それは、政治を操りたい蘇我家にとって不利益なことなのだ。できるだけ厩戸皇子の即位を遅らせたい、そう願う馬子の考えも知らずに、のほほんと言う毛人に馬子は少々腹が立った。
「まあ、大王のご意向もあるゆえ、慎重に考えていかねばなりませぬな」
馬子は話を終わらせた。
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