第27話

 年初の儀式がひと通り終わると、厩戸皇子は本格的に政治に参加するようになった。

 ある日、馬子と共に大王の宮を訪れた厩戸皇子は切り出した。

「大臣とも話し合っていたのですが、我が国には早急に法律の制定が必要と思われます。そこで大王に草案を作ることをお許しいただきたく思うのですが、いかが思われましょう」

 自分が言うはずだった言葉を皇子に先を越され、動揺した馬子だったが、そこは眉ひとつ動かさずにゆっくり頷いてみせた。

「かねてより申し上げていたように、この国を大きくしていくには法律の制定が重要です。太子が草案を考え、この大臣も及ばずながらご助力したいと思っております」

「ふむ」

 額田部皇女は気のなさそうな顔をしていた。

 元々、政は大臣に任す約束で即位したのである。

「太子と大臣が話し合って良きに計らえ」

 額田部皇女は馬子にとって理想の大王であった。これで厩戸皇子さえいなければ、全て馬子の思うがままに政治を動かせるのに。

 馬子は、拳を膝の上で握りしめた。


 政治に参加するようになった厩戸皇子は、馬子が思っていた以上に強気な態度を見せた。表面上は穏やかな物言いではあるが、その内容はかなり厳しいものだった。伊予の旅で強い心を得た厩戸皇子は、もはや何者も恐れなくなっていたのだ。

 ある時は外交政策において反発した。新羅に対してもっと厳しく対処すべきだという馬子の意見に対し、厩戸皇子は和睦を唱えた。

「今、我が国から軍隊を送っても、新羅を倒せまい。その隙に乗じて他の国から攻められることだってありえましょう。新羅と仲良くしていたほうがずっと有益です。大陸には、もっと文化の進んだ国があります。そういった文化を取り入れ、我が国を発展させていく上でも、新羅との無益な戦いは避けるべきです」

「無益な戦いではありませぬ。我が国の内官家である任那が新羅に落とされて以来、任那を新羅から取り返すことは代々の大王のご遺志、知らぬわけではあるまい。太子は先祖のご遺志に背き、新羅と仲良くしようとなされますのか。そんなことを言っていては、新羅になめられ、いずれは我が国に攻め込まれるでしょう。百済や高句麗と共に、新羅を攻めることが必要かと」

 馬子はあくまでも強硬論を変えなかった。新羅を、決して心を許してはならない敵国として見ていた。

 さらには、高句麗と結んだ約束も背景にある。馬子は、蘇我氏の氏寺、飛鳥寺を創建するにあたって高句麗の高僧を招いたのだが、その時、高句麗が出してきた条件が軍事協力である。高句麗が新羅を攻める時、日本も海側から兵を出し、新羅の兵を引きつけてほしいと言う要請である。また、新羅が日本に攻めて来た時には高句麗が兵を出すという。その条件は我が国の為になると、大王を説き伏せたのだ。その条約がある限り、隋との国交は必要ないと馬子は考えていた。

 他の群卿はどうかというと、特に自分の意見を持っていなかった。厩戸皇子の意見を聞いては頷き、また馬子が優勢と見ればそちらに味方するといった具合である。

 議論は、厩戸皇子と馬子との間で続いた。

「先王のご遺志は重々存じております。ですから新羅に誓わせればよいのです。新羅に任那を管理させ、その分、朝納させればよいのです。向こうだって、我が国との戦いの度に膨大な損害を受けている。我が国との争いが有益でないことくらいわかっているでしょう。どんな国でも争うより親しくしていたほうが得るものが多い。いずれは高句麗の先、随とも交易できれば」

「おっしゃることは、あまりにも現実味が薄うございます。新羅は信用できない国ですぞ。口では我が国に従っているように見せかけ、気を許すと我が国の領土を掠め取ることしか考えていない。武力で言うことを聞かせるしかないのです。随にしたところで果たして信頼できる国なのですか。外交とはそんなに簡単なものではありませぬ。太子の理想はわかりますが、もっと現実的にお考えいただけますよう」

 馬子はがんとして譲らなかった。群卿の手前、厩戸皇子に言い負かされたとあれば、今後の力関係に影響する。

 その時、厩戸皇子が言った。

「確かに私は理想を高く持っている。理想を高く持つことは悪いことではないでしょう。どうですか、阿倍臣」

 厩戸皇子は、馬子側の阿倍臣に声を掛けた。

「はあ、ごもっともでございます」

 阿倍臣は突然声を掛けられた驚きから、ただ頷くばかりである。

 厩戸皇子はそんな阿倍臣の様子を見て、満足そうに頷いた。

「これからも、私は理想を高く持ち続ける。それがこの国の為だと信じておる。大臣や皆には私の理想を実現して貰えるよう、尽力願いたい」

 厩戸皇子は寛容な微笑みを口元に浮かべ、一段下に座る馬子を見た。それは、皇子がわずかに馬子を見下ろす形になり、大臣が太子の臣下であることを、馬子をはじめその場にいた皆に改めて知らしめる風に見えた。

 馬子は頭を下げ恭順の態度を見せる以外なかった。馬子の背中に冷たい汗が流れた。

 そうして厩戸皇子は、太子という立場を群臣たちに徐々に認識させていき、自分の地位を確立させていった。

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