第16話
そんな中、夏のある早朝、膳臣から遣いが来て、厩戸皇子は起こされた。
皇子が身支度を整える間を待ちきれないのか、釆女が帯を巻きながら言う。
「おめでとうございます。菩岐々美郎女様、ご無事にご出産にございます」
「おお、生まれたか」
「はい、健やかな女の御子様にあらせられます」
「女の子……」
厩戸皇子の心に、微かな安堵の風が吹いた。
皇子でなくてよかった。このような中で皇子が生まれたら、自分はその子を守りきれないかもしれない。
厩戸皇子が膳臣の屋敷に行くと、菩岐々美郎女は眠っていた。
「昨夜、ほとんど眠っていないもので」と膳臣が言う。その顔は目尻が下がり、喜びを隠せない様子である。
皇子は別室にいる生まれた子を見た後、再び菩岐々美郎女の部屋に入った。いつ目覚めるかわからない、と止める声に耳を貸さず、ただぼんやりと彼女の横に座っていた。
「皇子」
どれくらいの時間が経っただろうか、厩戸皇子は郎女の声に我に返った。
お産疲れか彼女の顔はやつれていたが、表情は満足しきった母の顔であった。
「目覚めたか。どうだ、具合が悪いところはあるか」
「いいえ、大丈夫です。赤子はもうご覧になりまして」
「ああ、そなたに似て、とても愛くるしい女子だ。ご苦労だったな」
「男の子を産めず、申し訳ありません」
「何を言う。そなたの産んだ子なら、男子でも女子でも愛おしい。私は心から喜んでいるのだぞ」
「ありがとうございます」
「そなたが元気なのを見て安心した。今日は帰るが、またすぐに来る。ゆっくり休むがよい」
そう言って皇子は立ち上がった。
「皇子」
「ん」
「どうかなさいましたか。お顔の色がすぐれないように見えます」
菩岐々美郎女が、心配そうな顔をして言った。
厩戸皇子は膝をついて、郎女の頬を軽く撫でた。
「いや……実はまだ朝から何も食べていないのだ」
厩戸皇子はおどけた様子を装った。
今、厩戸皇子の身を心から心配してくれるのはこの妻だけである。皇子にとって、彼女だけが心の支えであった。
そんな彼女に、厩戸皇子は自分の悩みを打ち明けることができなかった。彼女はきっと自分のことのように心を悩ませるだろう。菩岐々美郎女のこの微笑みを曇らせることだけはしてはならないのだ。厩戸皇子はそう思った。
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