第5話

 時を移さず、馬子は半ば強引に、額田部皇女の即位に群臣の意見をまとめた。

 馬子が急いだのには理由がある。あまり時間を掛けていると、厩戸皇子を大王にという声が再び強くならないとも限らないからである。馬子はそれを恐れていた。

 幼い頃から人々に神童とあがめられ、大人でも難読な書物を読み下し、群臣にいちもく置かれている厩戸皇子。皇子には霊妙不可思議な力が宿り、先の物部守屋大連との戦さでは、まだ十四歳の皇子が四天王に祈願したお陰で物部守屋を伐てたと、群臣の間で噂された。皇子の並外れた英邁さは、ただならぬ霊力を感じさせた。

 馬子もそれは否定できなかった。

 しかし、大王となると話が違う。厩戸皇子の持つ神性は危険すぎた。それは蘇我氏だけの問題ではない。この国の問題なのだ。

 馬子は、一族の利益を考える一方でまた、この国の安定と発展を望んでいた。その為には、政治手腕に長け大きな目で政治を俯瞰できる自分のような人間が、大王を操縦することが正しいのだと考えていた。

 厩戸皇子が大王になった場合はどうだ。人民や群臣は彼を神格化し、彼の言うこと為すこと全てを受け入れ言いなりになってしまうだろう。大王の専横政治になってしまう危険があるのだ。

 確かに厩戸皇子は聡明である。とはいえ政治経験も浅く、いくら聡明でも誤った方向へ行かぬとも限らない。たとえ厩戸皇子が優れた政治を行ったとしても、次の大王、またその次の大王の時代はどうであろうか。厩戸皇子のように聡明な人間ばかりではない。先の泊瀬部大王のような例もある。先々を考えると、大王に独裁政治を行わせてはならない、厩戸皇子を大王にしてはならないのだ。

 自分の娘、刀自古郎女は、厩戸皇子と婚姻し山背皇子を産んでいるが、厩戸皇子が大王になったらおそらく皇族の女性を娶り后とするだろう。今は山背皇子を大兄として認めている厩戸皇子でも、正后が皇子を産んだらその子を継嗣とするかもしれない。蘇我の血を引く孫、山背皇子が次の大王になれないのならば、大王にはもっと使いやすい人物を据えて、厩戸皇子は蘇我氏側の相談役として馬子に力を貸してくれるだけの存在でいてくれればいい。

 大王には、蘇我氏との利害関係を理解できる程度の賢さがあればいいのだ。泊瀬部大王は、こともあろうか、大きな権力を持つ大臣を排斥し、自分が中心となって政治を動かしていこうと考えた。その結果、臣下の人間に殺されるという最大の屈辱を受けることになったのだ。

 では、田目皇子でも厩戸皇子でもないとすると、いったい誰を大王位に据えようか、馬子は考えた。

 血統でいえば最も大王に近いのは他田大王の長男、彦人皇子であったが、馬子は彼を大王にする気はなかった。

 敷島大王の時代、馬子の父であり大臣だった蘇我稲目が娘を大王の妃にして以来、蘇我氏は大王と外戚関係を続けていた。現在、皇位継承権を持つ皇子のほとんどが、馬子と血縁関係にあるか、或いは蘇我氏の娘を妻としている。彦人皇子は数少ない例外である。

 馬子は、蘇我氏と全く関わりを持たない彦人皇子を大王にしたくなかった。今は蘇我氏が大臣とはいえ、もし彦人皇子が他の豪族の娘と婚姻し皇子が生まれようものなら、蘇我氏に取って代わられる可能性がある。これまで二代続けて蘇我系の大王を立てることができたのに、また振り出しに戻ってしまうのだ。

 そこで、馬子が思いついたのが額田部皇女であった。彼女の次男、今はまだ若い尾張皇子だが、いずれは蘇我の娘と婚姻させよう。額田部皇女には、尾張皇子が適齢になったら譲位もある、と納得させた。

 そうして十二月八日、額田部皇女は豊浦宮にて即位した。

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