第二十二話・彼女の嗜好と彼の変化

 遠くで響く銃声に、全員が顔を上げた。


「……何処かでやり合ってるようですねえ」


 断続的に聞こえてくる発砲音。敵の正規兵は弾の無駄遣いをせず、会敵した場合のみ撃つ。銃声が聞こえてくるということは、何処かで誰かと戦っているとみて間違いない。


右江田うえだかな?」

「心配ですねぇ。さあ、私達もそろそろ動きますか。ずっと同じ場所で固まっていては危ないですから」

「はーいっ!」


 平常時と変わらぬ様子で会話する真栄島まえじま三ノ瀬みのせ。その和やかな雰囲気に飲まれ、ここが戦場であることをつい忘れそうになる。悪い夢だと思いたい、そう願う自己防衛本能が働いているのだろう。

 しかし、銃声が聞こえる度に現実へと引き戻される。


「ほらほら、好きなの選んで選んで〜!」

「このデカいやつ何?」

「これはねえ〜、ベルト給弾式でガガガッと連射できる機関銃〜! ホンモノ初めて見た〜! 真栄島さんが奪っといてくれて良かったぁ、コレで狙われたら命が幾つあっても足んないもん!」

「……もうちょい軽いやつがいい」

「じゃ、この小銃とかどぉ? 割と新しいから性能いいと思う。これも連続して撃てるのよ〜」


 さとるに嬉々として武器を勧める三ノ瀬。

 山に登る手前の住宅街で見せた度胸と慣れた戦い方。やたら銃火器に詳しい様子から、彼女は只者ではないと何となく気付いていた。


「えっと、三ノ瀬さんて、もしかして自衛隊とか警察にいたりしました……?」


 ゆきえが問うと、三ノ瀬は一瞬キョトンとした後、プーッと噴き出した。


「アハッ、違う違う! 私のは完全に趣味! こーゆーのが好きなだけよ〜!」

「し、趣味……」

「そぉ。渡航制限出る前は二、三ヶ月に一回はグアム行って射撃場でホンモノ撃ちまくってたから慣れてるだけ。こんな時でもなきゃ日本で銃を使うなんて出来ないもーん。しんどいのも痛いのもヤだから仕事にはしたくないけどね」

「……はぁ……」


 拳銃に頬擦りする恍惚とした表情に、さとるとゆきえは困惑して顔を見合わせた。





 三ノ瀬は元々ファッションや芸能人が好きな、ごく普通の女性だった。

 転機が訪れたのは専門学校時代。

 当時の恋人との海外旅行。初めて足を踏み入れた射撃場で銃を手にした瞬間に魅入られた。観光の予定を全てキャンセルして射撃場に入り浸るなど尋常ではないハマり方をした。正に人が変わった状態。恋人からは帰国後に距離を置かれ、自然消滅した。


 理解のある仲間が欲しくてミリタリーマニアの男性と交際したこともあった。そういった趣味の男性は知識や情報でマウントを取りたがる傾向にある。純粋に本物の銃を撃つことだけを楽しみたい三ノ瀬にとって、そういった輩の話は鬱陶しいだけで交際は長続きしなかった。

 海外旅行や射撃場に通うにはお金が要る。そう頻繁には行けない。近場で開催しているサバイバルゲームに参加したこともあったが、エアガンでは求めていた重量感も撃った時の反動や匂いも感じられなかった。クレー射撃にも手を出した。

 だが、本物の銃と本物の弾丸でなければ満足出来なかった。


 渡航制限が掛かり、海外に行けなくなって、三ノ瀬は慢性的な欲求不満に陥っていた。そんな時にこの話が舞い込み、二つ返事で受けた。家族を守るためというのは建前で、堂々と銃が撃てる機会を逃したくなかったからだ。





 ひと通り説明を受けた後、さとるは小銃と弾薬を受け取った。ゆきえは何も選ばず、申し訳なさそうに俯いている。


「──あの、ごめんなさい。私たぶん動けないと思うので、武器はいいです」

「え、でもぉ」

「正直、いま立ってるのもやっとなんです。全然役に立ててないし、この先も足手まといにしかならないと思います」


 軽トラックの荷台を見るために車から降りているが、さとるに肩を貸してもらって移動したくらいだ。最初に受けた傷のせいで膝から下の部分が腫れて熱を持っている。


堂山どうやまさんは何度もオレ達を助けてくれたじゃないですか。だから、後はオレが守ります」

「えっ、……あ、ありが、とう」


 ゆきえはここまで島の地理と観察眼で危機を乗り越えてきた。彼女がいなければ、さとるは序盤で怪我をして動けなくなっていただろう。先ほども、合流地点の異常に真っ先に気付いて危険を回避した。


「せめてナイフくらい持っておいてよね〜!」

「そ、それくらいなら」


 笑顔の三ノ瀬が差し出したナイフを、ゆきえは震える手で受け取り、胸に抱く。さとるの態度が変わったことに、彼女は薄々気付いていた。


「立ってんの痛いでしょ、車に戻りますか」

「あ、ありがとう……」


 言葉使いがまず変わった。慣れない敬語を使うようになった。足を負傷したゆきえを気遣い、さりげなく手を貸してくれる。礼を言うと嬉しそうにはにかむ。

 元々好青年だとは思っていたが、ここまで周りに気配りが出来るほど余裕があっただろうか。迎えのマイクロバスで初めて顔を合わせた時、彼は追い詰められたような表情で、常に緊張していた。

 だが、今は違う。信念が芽生えたような、芯が一本通ったような感覚がある。


 再び軽自動車の後部座席に座らせると、さとるは心配そうな表情で顔を覗き込んできた。その距離感に、ゆきえは思わず少し身を引く。


「痛み止め効きました?」

「え、ええ。ちょっと痛くなくなった、かも」

「良かった」


 真栄島まえじまと合流した際に鎮痛剤を貰って服用した。薬がないか聞いてくれたのもさとるだ。ゆきえが怪我をしてからというもの、何かと気を使ってくれている。


「じゃあ、オレ行ってきます」

「あの、気を付けて」

「堂山さんも」


 慌てて笑顔を取り繕い、離れていく彼を見送る。


 年下のさとるに世話になったままでいいのか。

 安賀田あがたのように命を懸けるべきではないのか。

 三ノ瀬のように積極的になるべきではないか。


 そんな思いがゆきえの頭をぐるぐると巡り、結局答えも出ぬまま周りの状況だけが変わっていく。

 ゆきえは三ノ瀬から渡された護身用のナイフを鞘から取り出して眺めた。

 切っ先は鋭く、刃渡りは十五センチ程。持ち手はラバー製で滑りにくく、手にも馴染む。ただ、誰かを傷付ける道具だと思うと使う気にはなれなかった。





 まず、当初の合流地点だった役場跡地にいる敵を制圧し、それから真っ直ぐメインストリートを戻って港を目指すことになった。

 攻撃の要はさとる。三ノ瀬は援護に回り、ゆきえは真栄島と共に休憩地点に残って車を守る。


 銃声が聞こえたのはあちらも同じ。

 役場跡地の周辺には数人の軍服姿の男が銃を構えて辺りを警戒していた。そこから二百メートルほど離れた地点。休憩場所の空き地から移動してきたさとるは、担いできた機関銃を下ろした。

 民家の塀から銃口だけが出るよう、地面に機関銃の二脚銃架にきゃくじゅうかを立てる。銃身とアスファルトの色は似通っていて、遠目からでは視認しづらい。


「うふふ、んじゃ適当によろしく〜」

「……楽しそうですね、三ノ瀬さん」

「まあね。それより、さとる君もなんかイキイキしてきたんじゃない? もしかして、銃の良さに目覚めちゃった〜?」

「や、全然」

「なーんだ」


 ゆきえと同じ年齢の女性で、同じく自分を何度か守ってくれた三ノ瀬に対して、さとるは全く何も思わなかった。彼女からは母性が感じられないからだ。

 さとるの抱く『理想の母親像』は優しく穏やかで慈愛に満ちている。その理想に一番近いのがゆきえだ。だから、彼女の前では『良い息子』であろうとした。無意識のうちに言葉遣いを正し、態度を改め、少しでも好かれるようにした。


「早く島から出て、ちゃんとした病院で治療受けさせなきゃ」





 そのためなら、





 さとるは事前の打ち合わせ通り、三ノ瀬と別れて建物と建物の隙間を縫うように進み始めた。

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