第二十三話・心の傷
役場跡地は鉄筋コンクリート製の建物である。
周辺の民家に比べると大きいが、島の住民以外から見れば小さな施設だろう。その程度の規模だ。だが、民家に比べて造りが頑丈で余分な間仕切りが少ない。それに、島のメインストリートの突き当たりにある。真っ直ぐ南下すれば港という、拠点を構えるには適した立地といえる。
その役場跡地付近では、四、五人の武装した兵が銃を構えて巡回していた。
彼らが『作戦前の物資調達と気晴らし』で島から出ていた一日足らずの間に山頂に配備した兵器が破壊されてしまったからだ。残しておいた見張りが誤って壊したという可能性もあった。だが、見慣れぬ船が停泊しており、島内を不審な車が走り回っているという報告も届いている。明らかに侵入者の仕業。
最早任務を遂行することは叶わないが、邪魔立てをした侵入者を皆殺しにするまでは本隊への帰還もままならない。
全員が殺気立った状態で
住宅街の建物と建物の隙間を注意深く通り抜けながら、さとるは役場跡地に向かっていた。
無人島になって数年。
庭木や雑草が伸び放題で、狭い路地は視界が悪い。それはつまり、相手からも見えづらいということ。時折蜘蛛の巣に引っ掛かりながらも、出来るだけ音を立てないように気を付けながら一歩一歩進んでいく。
このルートを考えたのは、ゆきえだ。
最短距離で見つかりにくい道と目印を教えてくれた。島の地理など何一つわからないさとるは、その言葉に素直に従った。
指定されたルートは役場跡地の一本裏にある舗装されていない道、その脇にある幅の広い側溝だった。
先ほどの地点で
「ほんとに見つからずに着いた……」
さとるは昂ぶる気持ちを抑えるように服の胸元をぎゅっと掴んだ。戦いを前にして興奮しているのではない。安全なルートを示してくれたゆきえに対する尊敬や感謝の気持ちが溢れ出しているのだ。ここで結果を出せば、ゆきえは褒めてくれるだろうか。頭の中を支配するのはそればかりで、これから自分がやろうとしていることに何一つ疑問を抱くことはなかった。
前方約十メートルの位置に建つ役場跡地。
茂みに隠れて更に近付き、割れた窓から内部に向かって手にした塊をぶん投げた。そして、すぐに窓枠より下に身体を屈める。
さとるは三ノ瀬から
建物の裏手から手榴弾を投げ込み、中に居た者達を全員外へと追いやる。それがさとるの役割。
不審車を気にして表の道路だけを見張っていた敵方の兵士達は完全に虚を突かれた。爆発音と悲鳴が響く。手持ちの手榴弾を使い果たすまで投げ続け、その後は再び先ほどの側溝まで戻った。
一方、役場跡地から命からがら逃げ出した数人は銃弾の雨に曝されていた。二百メートルほど離れた場所から身を隠した三ノ瀬が機関銃を乱射しているからだ。あちらから狙い撃ちされないよう身体を伏せた状態で撃っている。
「やっば、これはハマるかも〜!」
何人かには当たったが、それでも一網打尽にするには弾数が足りない。連射状態は長くは続かず、すぐに打ち止めとなった。弾切れの機関銃を放棄し、三ノ瀬は民家の塀の陰に逃げ込んだ。
銃撃が止むと、辛くも難を逃れた残りの二人が反撃を開始した。三ノ瀬のほうに狙いを定め、一気に距離を詰めてくる。
前方だけを見て銃を構え、前進していた彼らの真横から銃弾が襲った。民家の間から小銃を撃ったのは、さとるだ。弾はひとつも当たらなかったが、彼らの気を引き、一瞬足を止めることには成功した。
「さとる君ナイス!!」
ここまでは計画通り。
その隙をついて、機関銃から小銃に持ち替えた三ノ瀬が物陰から二人を狙い撃った。こちらは全て命中し、二人の兵士はひび割れたアスファルトのど真ん中で崩れ落ちた。
役場跡地にいた兵士を全員片付けてから、さとると三ノ瀬は休憩場所の空き地へと一旦戻った。無傷で戻った二人の姿に、
これから車で港へ向かうのだが、まだ敵が残っている可能性がある。さとるがそれを指摘すると、真栄島は余裕の笑みを見せた。
「大丈夫、あっちにはアリ君がいるからね」
「そうでしたね。……、……でも」
この島に来る時に乗ってきた小型の自動車運搬船。そこにアリは残った。先ほど通り掛かった時、敵の船が横付けされていた。真っ先に制圧されていてもおかしくない。そうでなくともアリはあちらの国の人間だ。寝返る恐れもある。
「心配は要りません。彼は信頼のおける仲間ですから」
不安に思う気持ちを察したか、真栄島はキッパリと言い切った。
三台の車が住宅街の道を並んで走る。
先頭は真栄島の軽トラック。続いて、さとるとゆきえの軽自動車、最後尾は三ノ瀬だ。
役場跡地付近に差し掛かった時、窓の外の光景を見て、ゆきえは咄嗟に顔を背けた。辺りに転がる死体と血痕が目に入ったからだ。
さとるは戦果を褒めてもらいたかったが、それどころではないと判断し、何も言わずに惨状の広がる道路を通り過ぎて交差点を曲がった。もう付近に敵はいないのだろう。襲われることもなく、三台の車は島のメインストリートを順調に南下していった。
しかしその途中、先頭を走る軽トラックが急ブレーキを踏んで止まった。後ろの二台も慌てて止まる。
「
真栄島が止まったのは、港に向かってトボトボと歩く右江田の姿を見つけたからだった。すぐに車から降りて駆け寄ると、虚ろな表情の右江田が振り返った。
真栄島の姿を見て、右江田の目がグワッと見開かれた。暗い表情が掻き消え、満面の笑みを浮かべている。彼は何か大きなものを担いでいた。
「ま、真栄島さぁん!」
「良かった、無事だったんだね」
「ハイッ、
笑っているが、顔色が悪い。
スーツの上着やズボンの裾に血が付いている。どこか怪我をしているかと思ったが、全て返り血のようだ。腰のホルスターに仕舞われた警棒からも血が滴り落ちている。
さとると三ノ瀬は車に乗ったまま、窓を開けて二人の会話を聞いていた。決して狭くはないこの島で、一旦離れた仲間とすんなり合流できたのは運が良い。
「……おや、
「ああ、一緒ですよ」
真栄島の問いに、右江田は笑顔のまま『抱えていたもの』を少し掲げて見せた。それは、毛布に包まれた遺体だった。
「俺ら一度別行動してたんすよ。後で別れた場所を中心に探してたら民家の庭先で倒れてて。……多奈辺さん、一人で二人も倒してました。すごいですよ」
「……そうか」
毛布からだらりとはみ出ているのは、男性の腕。ちらりと覗く袖口には見覚えがあった。多奈辺の上着だ。手の甲には乾いた血がべっとりと付着している。
「……っ、」
少し離れた車の中からそれを見たゆきえは口元を手で覆い、声を上げるのを必死に堪えた。
「い、一緒に、港に行かなきゃって、だから、俺」
それまで笑顔だった右江田は、だんだんと声のトーンを落とし、次の言葉がつっかえるようになっていった。口角を上げて笑おうと努めているが、傍目から見ても無理をしているのが伝わってくる。
『
彼は、真栄島の指示を忠実に守ろうとしていたのだ。
「……よく多奈辺さんを見つけてくれた。右江田君、頑張ってくれてありがとう」
「う、うう……ッ!」
労いの言葉と共に背中を優しく撫でられ、右江田は堰を切ったように泣き始めた。
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