第五話・保護政策推進課

 保護政策推進課の事務所は県庁の中には無い。近くにある雑居ビルの一室を借り上げ、そこを拠点として活動をしている。

 職員の数はごく僅か。地域ごとに担当が割り振られ、二人または三人一組で行動する。情報担当から送られてきたリストを順に当たり、協力者を確保するのが仕事だ。


真栄島まえじまさん、どうでしたか」

「一応最低人数は確保できたよ」

「それは良かったです」


 情報担当の女性は眼鏡の奥の目を細め、小さく息をついた。彼女の仕事は担当地域内にいる条件に合致しそうな人物のリストアップ。細かな個人情報から在宅時間まで全て一人で出している。


 真栄島は自分のデスクに手提げ鞄を置き、どっかりと椅子に腰を下ろした。ここ数日歩き詰めで足腰が痛い。一緒に出歩いていた右江田うえだ三ノ瀬みのせはピンピンしている。年齢の差が明確に出てしまった。


葵久地きくちさん、例の井和屋さんのお宅だけど事情が変わって、お母さんじゃなくて上の息子さんが協力してくれる事になったよ」

「えっ!? そうなんですか」

「前情報と家庭環境が違ってたみたいなの」


 三ノ瀬の補足に、情報担当の葵久地はこめかみを押さえて唸った。

 本来の対象者である井和屋あやこは調査通りの母親ではなかった。掻い摘んで説明すると、葵久地は申し訳なさそうに俯いた。


「……すみません。確認が足りませんでした」

「いや、あれは実際に会って見ないと分からない。記録上は確かに良い母親なんだが、それは外に向けたパフォーマンスらしい。上の息子さんがそう言ってたよ」

「そうそう。外ヅラが良くて、周りはみんな騙されてるみたいなのよ!」


 真栄島の言葉に三ノ瀬が重ねる。


 井和屋家を辞した後、真栄島たちはさとるのアルバイト先付近に出向き、偶然あやことの会話の一部始終を耳にした。息子からなけなしの金を奪い、飲み代に変える母親の姿をこの目で見た。


「直接調査した方が良かったでしょうか」

「いや、聞き込みはまずい。張り込むにも時間と人手がいるし、何より怪しまれる。時間の余裕もなかったし。ま、今回は結果オーライだったから大丈夫大丈夫」

「……はい」


 気落ちする葵久地を慰めながら、真栄島は担当地域の協力者を思い浮かべていた。


 堂山どうやまゆきえ。

 安賀田あがたまさし。

 多奈辺たなべさぶろう。

 井和屋いわやさとる。


 年齢も立場も異なるが、この四人には命に代えても守りたい存在がいる。裏切ったり怖気付いて逃げ出す心配はない。


「うちの担当地域の協力者は四人。そこに、七人のチームとなる」


 保護政策推進課に配属された者は既に作戦に参加することが決まっている。共に戦うに値する人物かを見極めるために候補者に直接会い、言葉を交わして確かめたのだ。


「最低人数は確保した。杜井どいさんの方は?」

「ほぼ同じです」

「では、上に報告を。いつでも行けると」

「はいっ!」


 この作戦の決行日は情勢によって左右される。明日にも出撃が命じられるかもしれないし、何ヶ月も先になるかもしれない。うまく事が運べば市街地や民間人に被害を出すことなく戦争を終結させられるかもしれないが楽観は出来ない。対処が遅れてしまえば元も子もないのだから。


 数日後、情勢が大きく動き、真栄島はすぐさま協力者たちに連絡を入れた。


 敵対国が本格的に動き出す前に、日本近海の島々に持ち込まれた兵器と拠点を潰さねばならない。その為に確保した人材に協力を要請する時が来たのだ。


「明後日、土曜の午前中に迎えにあがります。その時に保護対象者を預かりますので、自分で持ち運びできる範囲で着替えや貴重品などの支度を済ませておいてください。保護対象者とはシェルター前でお別れとなります」


 反応は様々だった。


 シングルマザーの堂山ゆきえは意外にも覚悟が完了していた。真栄島からの連絡に淡々と相槌を打ち、短く「わかりました」と返してきた。


 難病の妻を抱える安賀田まさしは最初の着信に出ず、後から折り返し電話を掛けてきた。平日の昼間はまだ仕事中だ。職場のロッカーから小声で話す彼の声は、まるで何かに怯えているようだった。


 遺された孫を育てる多奈辺さぶろうも日中は仕事で電話に出られず、連絡がついたのは夕方だった。伝えた内容を何度も復唱して頭に叩き込んでいた。緊張しているのか、声は震えていた。


 母に代わり弟の面倒を見ている井和屋さとるは、たまたま休みの日ですぐに電話に出た。シェルターでの保護環境をしつこいくらいに確認してきた。それだけ弟みつるの事が気掛かりなのだろう。


 全員、予定通り参加可能。

 伝えた日時に迎えに行き、その場で保護対象者を預かる。それまでに心の準備と別れを済ませてもらうための事前連絡だ。今回の件は誰にも話さないようきつく言い含めてある。保護対象者に事情を説明するのはシェルターに入った後となる。


「私達も支度しておかないとな」


 真栄島の言葉に、部下である右江田うえだ三ノ瀬みのせが頷いた。保護政策推進課の職員で、勧誘を担当してきた彼らも今回の作戦に参加するからだ。


「いよいよですね、杜井さん」

「そうね。まあウチは襲撃する場所が違うから迎えも別になるけれど」


 声を掛けられた女性は、手元の書類から視線を上げて真栄島達の方を見た。目元の涼やかな、いかにもキャリアウーマンといったキツめの女性である。


「そちらの協力者さんはどんな感じですか」

「三十代から四十代の働き盛りの男性ばかりよ。頼もしいけど、代わりに襲撃先が難易度高めにされちゃって」

「それはそれは……」

「真栄島さんに無理させられないですから。まあ、たぶん大丈夫ですよ」

「助かります」


 襲撃先は協力者たちの身体能力を鑑みて振り分けられている。難易度が高ければ高いほど任務地の危険度が増す。真栄島率いるチームは年配者と女性がいるため、比較的楽な場所が割り当てられている。


「うふふ、楽しみだわ〜!」

「三ノ瀬センパイ、なんで嬉しそうなんすか」


 にんまり笑う三ノ瀬を見て、右江田はやや引いている。彼は背が高く、小柄な三ノ瀬と並んで立つとまるで親子のようだが、年齢は右江田のほうが若い。


「明日は支度があるだろうから作戦に参加する人はみんなお休みだ。葵久地さんにはまだやってもらう事があるから出勤してもらうけど」

「皆さんの『跡を濁さない』工作、頑張りまーす!」


 一般の国民には戦争云々の話は広まっていない。当然、協力者や保護対象者達が姿を消す理由も明かせない。後腐れなく居なくなれるよう裏から色々と手を回す必要がある。葵久地は担当地域の裏工作を一人で全て担っている。


 保護が完了してから、学校や職場には急病による入院だと親族を装って連絡し、長期間休む手続きを取る。残す家族がいる場合には捜索願いが出された場合に警察が捜査しているよう見せ掛ける。

 戦争が回避出来た場合を考え、住居や籍は残しておく。維持にかかる費用は全て国が負担することになっているが、細々とした手続きは情報担当の仕事だ。


 小さな雑居ビルの一室。

 保護政策推進課の事務所は、明日から葵久地ひとりのオフィスとなる。取り残されることに寂しさを感じながら、彼女は裏工作の為の書類を黙々と作り続けた。

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