第三話・派遣作業員 多奈辺さぶろう

 地揺れと共にアスファルトを砕く音が辺りに響く。

 道路の下に埋まる水道管の交換工事の現場で、通行人や車を誘導している男がいた。黄色い安全ベストにヘルメット、手にはオレンジに光る誘導棒を持っている。


「ちょっと、対向車来ちゃってるよ!」

「すいません、すぐ下がってもらいますんで」

「ったく……しっかりしろよジイさん」


 たった一人で交互通行の誘導を任され、時には捌き切れないこともある。作業員と車の運転手から文句を言われ、誘導員の男は平謝りした。


 夕方。現場監督から口頭で軽く注意を受け、この日の勤務は終了した。派遣元の警備会社に連絡を入れてから直帰となる。安全ベストを脱ぎ、車を走らせて小学校の隣にある児童館へと向かう。


多奈辺たなべさん、ギリギリですよ。もう少し早くお迎えに来れませんか」

「いつもすみません、気をつけます」


 学童保育の指導員である年配女性からの小言はいつものことだ。ギリギリとはいえ、規定の時間まではあと数分ある。過ぎたわけではないのに文句を言われるのは心外だが、世話になっている身だ。多奈辺は何度も頭を下げた。


「ひなたちゃんだって、おじいちゃんのお迎えが遅いと寂しいよねーえ?」

「べつに」


 話し掛けられた少女、ひなたが素っ気なく返事をすると、指導員の女性は小さく鼻を鳴らして部屋の戸締まりを始めた。教室内に他の子供の姿はない。ひなたが最後だ。


 スーパーに寄って夕食の材料と明日の朝用のパンを買って帰るのがいつもの流れだ。児童館ではムスッとしていたひなただが、多奈辺と二人になった途端に笑顔が増えた。


「おじいちゃん、唐揚げ食べたい」

「出来合いのやつでいいんか」

「イチから作るの大変でしょ。その代わり、こっちの大きなパックね!」

「はは、食べきれるかぁ?」


 家に着く頃には完全に日が落ちていた。街灯に照らされた狭い駐車場に愛車の軽自動車を止め、アパートの階段を上がる。膝が痛む多奈辺に代わって、ひなたが買い物袋を運んだ。


「宿題はやったか」

「うん、学童にいる間に終わらせたよ」

「ひなたはしっかりしとるなぁ」

「えへへ〜」


 多奈辺が食事の支度をしている間に、ひなたは手慣れた様子で風呂釜を洗い、湯張りボタンを押した。食べ終わる頃には風呂が沸く。


 卵スープを作る傍ら惣菜の唐揚げを皿に移し、ちぎって洗ったレタスを周りに飾る。あっという間に夕食の用意が出来た。白飯を茶碗によそい、ちゃぶ台に向かい合って座り、手を合わせる。

 二人だけの食卓は、口にものを入れている間は静かだ。それが物悲しく思えて、いつも帰宅と同時にテレビをつける。流れるのは明日の天気と行楽情報、それと小さな事件や事故のニュース。孫娘の顔とテレビ、そして手元を交互に見ながら、多奈辺は腹を満たした。



『ピンポーン』



 流しで茶碗を洗っている最中にチャイムが鳴った。タオルで手を拭い、すぐに玄関へと向かう。


「はい、どちら様?」

「夜分申し訳ない。多奈辺さぶろうさんですね。私どもは県の保護政策推進課の者です。大事なお話がありまして」


 とりあえず中に入ってもらい、話を聞くことにした。来客は三人。アパートの狭い通路に立たせたままでは他の住民に迷惑がかかる。それに、通路は声が無駄に響く。大事な話とやらをするには向かないからだ。


 先程まで食事をしていた居間に通し、ちゃぶ台を挟んで座った。三人のうちの一人、年配の男は多奈辺と同い年くらいだ。他の二人は三十過ぎたばかりくらいの若い男女。ピシッとした黒い背広を着て、いかにも役所の職員といった雰囲気だ。


「お孫さんと二人で住んでいると聞きましたが」

「ああ、孫は今風呂に入ってます」

「そうでしたか」


 笑顔で答えながら、年配の職員は持参した茶封筒から数枚の紙を取り出し、ちゃぶ台の上に並べた。


 勤め先の派遣会社と交わした雇用契約書や直近半年分の給与明細、銀行の残高証明書。ひなたの学童保育申し込み時に提出した利用申請書や就労証明書。そして、息子夫婦が事故で亡くなった際の死亡診断書の写しまであった。


「勝手に色々調べてすみません。多奈辺さぶろうさん、五十九歳。孫のひなたちゃん八歳。奥様は十年前に病気で他界。五年前に息子さん夫婦が運転を誤り、単独事故で死亡。それ以来、祖父の多奈辺さんが引き取り、働きながら育てていらっしゃる。男手ひとつで、ここまで大変なご苦労をされたことでしょう」

「はあ、まあ」


 ここまで個人情報を調べ上げられた理由が分からず、多奈辺は曖昧に返事をした。そもそも、県の職員が何の用で訪ねてきたのか。心当たりはないが、もし悪い話であれば孫に聞かせたくはない。


「……それで、今日は何の御用で?」

「実は、近いうちに日本は外国と戦争することになる可能性が高いのです。多奈辺さんのお力を貸していただきたくて直接伺わせていただきました」


 戦争に力を貸せと言われ、多奈辺は困惑した。

 五十九歳。第二次世界大戦の時には生まれてもいない。警察や自衛隊どころか地元の消防団にすら所属していたことはない。どちらかといえば鈍臭い方である。


「ちょっと待ってくださいよ。私は……」


 役に立てるはずがない。そもそも、戦争云々の話自体が信じられない。そう反論しようとしたが、年配の職員がそれを制した。先程までの笑みは消え、真剣な表情で多奈辺の目を真っ直ぐに見据えている。気圧されて、それ以上は何も言えなくなった。


「戦争は必ず起こります。その際、日本の国土が戦場になるかもしれません。……お孫さんを安全なシェルターで保護したいと思いませんか」


 年配の職員は多奈辺の目を真っ直ぐ見据えながらそう言った。


 他国と戦争?

 国土が戦場に?


 にわかには信じられない話だ。テレビではそんなニュースを扱っていない。もし事実ならば大々的に報道されてもおかしくないはずだ。ただ、最近になって流行り病などの理由で海外への渡航が禁止されている。


「国による情報統制がされております。これを知るのは、役人の中でもごく一部。一般の方が知るのは、戦争が始まって誤魔化しが効かなくなってからとなるでしょう」

「じゃあ、流行り病っていう話は」

「それも情報統制の一部です」


 そんな馬鹿な、と多奈辺は頭を抱えた。同時に疑問が次から次へとわいてくる。


「あの、私は一体何をさせられるんですか」


 年配の男は目を細めてにっこりと微笑んだ。そして、茶封筒から更に追加で何かを取り出した。日本近海の地図だ。それと衛星写真が数枚。


「印が付いている島に敵対国が兵器を持ち込み、本土を攻撃する拠点が形成されています。多奈辺さんには、これを破壊する作戦に参加していただきたいのです。その見返りとして、お孫さんを国が保有するシェルターで保護いたします」

「は、破壊作戦……?」


 説明されても理解が追いつかない。還暦間近の年寄りに何が出来るというのか。


「ちなみに、通常シェルターに入れるのは即金で五百万円支払える方のみ。それと、破壊作戦に参加した方は生きて帰れる保証はありません」


 多奈辺の預金残高は四百万と少し。一人分にはやや足りない。自分は歳だから諦めもつくが、息子夫婦の忘れ形見である孫娘だけはどうしても助けたい。


「もしや、私に声を掛けたのは……」

「そうです。シェルター代の支払いが難しく、守るべき大切な家族がいて、かつ自動車運転免許を所持し、運転実績がある方。その中から更に、を選んでおります」


 だから預金残高まで調べられていたのか。運転免許云々はともかく、慎重な人間を選ぶのは正しい。特に秀でたところのない多奈辺だが、その条件ならば選ばれたのも納得できる。


「私が協力したら、孫を保護してもらえるんですよね」

「ええ、お約束いたします。戦争が終わった後も、成人するまで国が支援させていただきます」


 安全なシェルターに優先的に入ることが出来る。その上、大人になるまで面倒を見てもらえる。老い先短い自分の命ひとつで孫娘の未来が守れる。


「明日の今頃の時間に返事を聞きに伺います。それまでじっくり考えていただいて」

「いや、その必要はありません」

「えっ」

「やります。もう決めました」


 この場で返事をされるのは予想外だったのだろう。三人の職員はポカンとしている。一番早く気を取り直したのは年配の職員だ。


「では明日ではなく、決行前に連絡させていただきます。詳しいお話はその時に。……ご協力、感謝いたします」


 職員達が帰った後、ちゃぶ台に置かれた三枚の名刺を眺める。他の資料は全て回収された。

 この件は他言無用、もし話せばどちらも逮捕されると釘を刺された。どのみち仕事先に相談できる相手はいない。親戚も、息子夫婦の葬式以来会っていない。


「おじいちゃーん、あがったよー」


 洗面所からのひなたの声に、ぼんやりしていた意識が引き戻される。


「さっき誰か来てた?」

「あ、ああ。お仕事の人がちょっとな。……うるさかったかい?」

「んーん」


 パジャマ姿で冷蔵庫を開け、中から牛乳を取り出すひなた。髪からは水滴がぽたぽたと落ちている。

 一瞬話を聞かれたかと焦ったが、ひなたの様子に変わりはない。狭いアパートだが洗面所には扉があるし、浴室と居間スペースも離れている。それに、ひなたはまだ小学生だ。聞こえていたとしても、話の内容が理解出来るとも思えない。


「それより早く髪を乾かしておいで」

「はーい」


 ぱたぱたと洗面所に戻っていく孫娘の後ろ姿を見守りながら、多奈辺は引き取った当初のことを思い出していた。


 最初の頃は夜泣きや癇癪もあったが、ひなたはすぐに祖父に懐いた。仕事人間で、我が子の時は家事育児は妻に任せきりだった。当時ひなたは三歳でオムツは外れていたし、食事も大人と同じものを食べられたからまだ楽だった。

 それでも、不慣れな多奈辺にとっては苦労の連続だった。なにしろ子育てには休みがない。保育園や学童保育は無限に預かってくれるわけではない。園や学校の行事もある。両親がいないぶん、寂しい思いをさせたくはなかった。時間が取れるように仕事を変えた。五十代半ばでの転職。平日昼間だけの派遣勤め。収入はかなり減った。

 思い通りにいかなくて嫌気がさしたとしても途中で放り投げることは出来ない。命を育てるということはそういうことだ。


 戦争になれば全てが失われる。


 居間の片隅にある、小さな二つの額縁と線香立て。額縁には妻と息子夫婦の写真がそれぞれ飾られている。


「ひなたは死なせないからな」


 多奈辺は三人の遺影に誓った。

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