第52話 優秀な教官

「食事です」


 ごろごろするだけでも腹は減る。昼を知らせる声に置き上がると、朝に来たマーテルとは別の使用人がお盆を持ってきた。


 受け取るのはミセルに任せ、その後にすかさず手を握りに行く。まさか、こんなチャラついた真似を堂々と行う日が訪れるとは思わなかった。


「ソーダと言います。貴方のお名前は?」


「えあ?!」


 パッと手を離されてもめげずに、頑張ってスマイルを作る。


 くりっとした目が印象的な女の人だ。小柄で悪事とは縁遠いタイプに見えた。どういう指示で誰に雇われているのか、本人も全てを教えられてはなさそうだな。


「メミニです……」


 名前を言い残して階段を上がっていくのを見届ける。効果はありか?


 朝と昼で二人目。馴染みが薄い名前で、このペースだと呼び間違える恐れもあった。ちゃんと顔と名前を結びつけないとナイフが飛んでくる。気を付けよう。


 食事はパンとスープに豆のスパイス煮だ。パンと並んで主食並みに出てくる豆料理にもすっかり慣れた。


 用済みになったら処される運命になると思うが、普通に栄養を取らせてくれるのは助かる。最後の晩餐的な発想か? それならもっと豪勢な食事がほしかった。


 テーブルと椅子はミセルに譲り、床で食べながら先のことを考える。おそらく一番のチャンスは尋問の後だ。


 魅了状態だと勘違いしてるはずなので、黒幕に関する情報をぽろっと漏らす可能性はある。加えて、ここにいる使用人たちの支援を期待しよう。


 今は事前の準備に勤しむのみ。出たとこ勝負になるのは不安だが異世界にきてこの方、予想外の展開ばかりだしな。多少は驚きへの耐性が培われていると思いたい。


「あの、わたしにできることは……?」


 ミセルがやる気を出してくれたらしく積極性を見せるが、頼みたい事柄はすぐに浮かばなかった。


「聞いた魔法以外に使える魔法はあったりするのか?」


「ありません……」


 となると現状の手札で何をできるかだ。


「魅了と別のもう一方の魔法って、受けた相手は本来どうなる?」


「ソウルアブソーブは力が抜ける感覚や倦怠感を与えます。さらに続けると気絶状態にもなるんです」


 魅了どころか気絶にも耐えたんだな。ラヴィの回復魔法と合わせて、状態異常には強いパーティになりそうだ。


「そっちも男縛り?」


「いえ、女の人にも効果があります」


 なら使い道はあるけど、使用人を気絶させても効果は薄い。確か接触が必要と言っていたし警戒されると扱いは難しいか。


「ミセルの出番は本拠地に攻め込むときになるな」


「本拠地?」


「姉を捕らえている場所だ」


 とりあえず、モチベーション維持のために前向きな説明をする。黒幕の影を少しでも掴めれば勝ちに等しく、突入はデリックさんに任せる予定なんだが。


 今までの牢屋と違って行動の指針があるため焦りはあった。しかし、受け身なのがどこかもどかしい。食後にジッとしていられず筋トレを始めてしまう始末だ。


 遠征任務のおかげで脚には筋肉痛が残っているものの、鍛えた気になって不思議と満足感はある。腕立てで元気な腕を痛めつけていると、ミセルが真似をしだす。数回でプルプル震え出したので体力はお察しだった。


 自分も人のことは言えず、十回を超えたあたりでもういいかとなってくる。


「すごいです……」


 ただ、ミセルが横で軽い拍手をしながら呟く称賛の言葉でやめ時を失う。さすがサキュバス、人を乗せるのが上手かった。


 必死に腕立てを続けて限界手前で休憩をするが、羨望に似た眼差しは強くなる。筋トレで気持ち良くさせてくれるなんて。教官をしてくれたら積極的に訓練ができるな。






「……」


 いつの間にか寝ていたようで目を覚ます。起き上がると身体中がだるい。腕立てに腹筋に、ついつい張り切ってやり過ぎた。


「おはようございます」


「おはよう、って時間ではないはずなんだが……?」


 ミセルに応じていると誰かが階段を下りてくる音が聞こえてきた。顔を見せたのはメガネをかけた使用人で、手に持ったお盆には食事が用意されている。


 もう夕食なのか。筋トレに精を出したのもあってか、確かに腹は空いていた。時間の感覚が一日で狂ってしまったな。


 目つきが鋭く厳しめに見えるが覚悟を決める。ミセルが食事を受け取った後に、急いで使用人の手を握った。


「ソーダと言います。貴方のお名前は?」


「……モエニアですが、何か?」


 冷静な反応に肩透かしを食らう。これは愛の祝福に左右されないタイプ?


「タオルは後で用意します」


 手をやんわりと振り払われた。筋トレでかいた汗が気に障ったのだろうか。


 ちょっとへこみつつ夕食を取る。ミセルにもクセ―んだよお前、と思われているかもしれないな。至急、身体を拭うタオルを頼みたかった。


 新たな牢屋に入っての一日目はあっという間だ。マーテルとメミニ、モエニアの名前と顔をしっかり一致させて翌日に備えるか。


 食事を終えるとタイミングよくモエニアが戻ってくるが、手ぶらで肩を落とす。食器を取りに来ただけか?


 返却ついでに再度アタックを試みようとしたところで、腰に下げていた鍵を手にするのが見えた。


「……?」


 何をするのか待っていると金属の音が響いて鉄格子が開く。


「出てください」


 まさかの言葉に、尋問の二文字が頭の中に浮かんだ。心の準備ぐらいはさせてほしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヤンデレが現れた ▷にげる しかし、まわりこまれた! ▷にげる しかし、まわりこまれた! ▷にげる しかし、まわりこまれた! ▷にげる しかし、まわりこまれた! ▷にげる もう、あきらめて♡ 七渕ハチ @hasegawa_helm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ