美しのColorGirl

野原想

美しのColorGirl

窓からぶらりと出していた手の甲に桜の花びらがひらりと触れて、また風に攫われていく。くすぐったさなんて感じないほど一瞬だ。何かと重ね合わせている暇なんてもちろん無くて、ただそれを掴もうとする手は、やっぱり間に合わなかった。


「せんせ〜私が居なくなったらど〜するの〜?」

俺の肩を小突くように彼女は言った。

「どーにかするんじゃないかー?ずっと桜木に頼ってられないしなー」

葉桜を見上げながら2人で筆をくるくると回す。自分達以外誰も居ない美術室で、色鮮やかな日々を過ごしたのだと、暖かい風の音が思い出させる。

「あったかくなってきたね〜」

「だなー」

ぼーっと、2人でただ桜を見上げる。

色鮮やかでもっともっと美しいはずの桜を、ただ眺める。

「よ〜しっ!今日で最後だからさ〜!気合い入れて教えてあげるよ〜!」

「おっ、頼もしいなー」

室内に体を向けて2人で壁際に立て掛けられている大きなキャンバスの前に立つ。画面いっぱいに描かれた桜の絵。彼女が描いた鉛筆での桜だ。線が走っているだけのその絵は突き刺すような強さも、包み込むような暖かさも持ち合わせていた。

「今日はさ〜先生が好きなの塗ってみよ〜よ〜!」

絵の具の準備をする彼女がニコリと笑いながらそう言った。

「え、でも、」

「な〜に〜?私が居なくなってもど〜にかするんじゃなかったの〜??今の私、野比くんの元を離れなきゃいけないネコ型ロボットの気持ちだからさ〜」

「桜木は俺の子守りをしてたのかー?」

「ん〜?ちょっと違うけどね〜、私は〜せんせ〜の、先生をしてたんだよ〜?」

ポニーテールの髪が揺れる。傾けた首に釣られるように、風に委ねるように揺れて、俺の視界を鮮やかにする。少しづつ、空間に余裕が無くなっていく。

「いい、のか?」

「もちろ〜ん!これが完成したら〜私も気兼ねなく卒業できるし〜?ほい!」

渡された大筆と絵の具が乗せられたパレット。手に取ると軽いような重いような、今まで何度も握ってきたはずの道具とはどこか違う気がした。

桜色を筆にとる。ふぅ、と息を吐いてキャンバスの中の大きな桜の花びら部分に色を乗せる。染まっていく桜と、外の葉桜を頭のどこかで比較して 『どちらが美しいのだろうか』 『どちらの桜が正解なのだろうか』 と、しょうもない事ばかり考えてしまう。

「ん〜!!なかなかいいんじゃない〜?せんせ〜の桜は夏の桜って感じ〜!」

「え、じゃあ間違ってるんじゃないか?」

「い〜じゃん別に〜!それに美術教師が絵を間違ってるとか言うの、良くないと思いま〜す!」

口を尖らせながら少し上を向くようにしてそう声にした。

横目で俺の染めた桜の花びらを見ている。楽しそうに、見ている。

「そ、それもそうだよなー」

「ほらほら、続き〜!早く描いて〜!!」

ペタペタと重ねられていく絵の具に真っ直ぐな視線を向ける彼女。

目の前の絵に、桜に集中しなくてはいけないとわかっているものの、彼女の表情や反応が気になってしまって仕方がない。

「どう、だ?」

全体的に色付けられた桜の花びらと太い幹。それをぐっと見渡す。

「いいんじゃない??せんせ〜にはこんな風に見えてるんだね〜!」

彼女が窓の外の色鮮やかなそれと、俺の目の前のキャンバスに閉じ込められたこれを見比べたような気がしてカコン、と、脳の中で音が鳴った。

「俺もさ、色っていうのが付いてる桜が見てみたいな」

筆が止まる。

「この絵の具も、俺にとってはなんというか、重さと軽さでしかないんだ。桜の花びらは大きくて柔らかい印象だから、この軽さ。幹はたくさんの花を支えて、咲かせているから少し重い。そんな感じなんだよ。」

悲しそうな表情の彼女を見て言葉が下へと落ちていく。

「ご、ごめん、」

「いいよ?もっと言いな?私とこうやって絵が描けるの最後なんだよ?全部言っちゃいなよ!」

ニコリと笑う、という表現が相応しいのか明確に分からないけれど、多分これは俺がそう思いたいだけなんだろう。いつもの炭酸の抜けたような喋り方から変わった声のトーンの意味を深く知りたくなかっただけだろう。

「色ってやつが分からないのに美術教師になれちゃって、不安で、この高校に来た時、お前が話しかけてくれただろ。色を教えてくれるとか何とか。」

俯いたままの俺の顔を覗き込むこともしない、上へ上へと上がっていく彼女言葉にいつまでも縋りたいだけだった。

「私そんな偉そうな言い方してないよ!?「私将来デザイナーになりたくて色とか勉強するから、せんせ〜もついでにど〜?」って誘っただけじゃん?」

ペラペラと言葉を並べながら俺の横にもう一つ椅子を並べて腰を下ろした。

「最初の学校がここで良かったって思ったんだ。最初の生徒達の中にお前が、桜木がいて良かったって思ったんだ。だからこそ、お前と絵を描いたり色の話をしてるうちに、俺は一生お前の見てる世界を見れないんだな、って思っちゃったんだよな」

情けない、というよりくだらない、そんな感情がゆっくり心を支配していく。

瞬きをしたら、彼女と同じものが見えるようになるのではないだろうかと、重い暗さから覚めたら色鮮やかな桜が見れるのではないかと。

「私もさ、見えないんだよね。先生が見てる桜」

「は?」

「白黒の桜がみたいっ!ってわけじゃないよ?そうじゃなくてね?先生が見てる桜が見たいの。きっと、先生は、色んなことを感じて色んなことを考えて、誰かと重ねたり何かを思い出しながら桜を見てるでしょ?先生にしか分からない何か。私もそれが見たいな〜って思うことあるんだよね」

楽しそうに喋る彼女にこんなことを言わせてしまったのだと、筆を強く握る。

「先生にしか見えない桜を大事にしてよ。私の桜は先生にしか教えないからさ、先生の桜も私だけに教えてよ」

卒業間近の女子高生にこんな事を言われて。

本当に、お前がいなくてもどうにかならなくちゃいけないんだな。


「桜木、俺の桜は何色だ?」

椅子から立ち上がった彼女は俺の手から筆を持っていって少し乾いた筆先でキャンバスの中の大きな桜をなぞるように言った。

「せんせ〜の桜は花びらが薄い水色で幹が強い青の、夏色桜だよ〜!」

「俺だけの夏色桜も綺麗だなー!」

「私も知ってるからね〜!?せんせ〜と私の夏色桜だよ〜!」


窓の外から舞い込んだ花びらが何色だったとしても。

いつでも綺麗な桜色を。

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美しのColorGirl 野原想 @soragatogitai

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