『湖畔の迷い子』


 長い休みに入ると、お父さんはわたしたちを湖畔に建つコテージに連れていってくれた。型にはまったように、いつも同じ場所。これだけが唯一、”家族サービス”なるものだと思い込んでいるらしかった。子供ながらにお父さんの安直さを感じ取っていたけど、特段不平があるわけでもなかった。

 日の高いうち、わたしは森のなかを歩きまわった。なるべく道をはずれて、はちゃめちゃに足を動かす。自分がどこにいるのかわからなくなるまで。でも、日が沈みだすと、決まって湖のあるところまでたどり着いてしまった。そのとき感じた失望で、わたしは森のなかで迷子になりたかったんだ、と気づいた。お父さんとお母さんと手漕ぎのカヤックに乗ったり、晩ご飯にバーベキューをしたり。それなりに楽しかったけど、どこか物足りなさを感じていた。


 深夜、目が覚めた。湖のかすかな波音と、虫たちの鳴き声が聞こえていた。両親を起こさないよう、そっとベッドから脱け出し、コテージを出た。桟橋につながれたカヤックが、闇のなかで揺れていた。月が湖に映じ、揺らめいている。

 ふと、わたしは気づいた。真っ暗な湖ぜんたいを、かすかな波紋が覆い尽くしていた。魚が跳ねたにしては、大きすぎるくらいの。わたしは、テレビでみた首長竜なんかが潜んでいるのかも、と心が浮き立った。カヤックの縄を解くと、わたしは慎重に乗り込んだ。パドルをゆっくりと波音を立てないよう動かしつつ、湖を進んだ。暗闇のうえに、カヤックがぽっかり浮かんでいるように感じた。わたしは、心の隅で育ちだした恐怖を紛らわせるように、カヤックを漕ぐことに専念した。

 気づけば、湖の真ん中あたりに到達していた。見渡すと、コテージや樹木が遠く眺められる。水面には、カヤックのつくった波紋が映っている。パドルが手から滑る。慌てて持ち直そうとして、カヤックが大きく傾いた。わたしはちいさく悲鳴をあげて、懸命にバランスをとろうとする。パドルは闇に沈み、波紋を広げつつ、水底へ沈んでいった。とたんに、抑えつけていた恐怖が急にせり上がってくる。わたしは声をあげて泣き出してしまった。森にぽっかりあいた穴のなかで、独りきりのわたしは迷子だった。

 声に気がつき、両親がコテージから慌てて飛び出してきた。桟橋に残ったもう一隻のカヤックで、お父さんがわたしを連れ戻しにきてくれた。寝室に戻ってからも、わたしはしばらく泣き止むことができず、お父さんとお母さんのあいだで、ぐずりながらも安心して眠ったことを覚えている。

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でたらめな景色【短編集】 山原倫 @logos

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