第7話 たまには本でも読んでゆったりと
1
休日、彼女は自宅で本を読んでいた。お供にコーヒーでも飲もうかと冷蔵庫を漁ったが、コーヒーのパックは飲み干してしまっていた。仕方ないので割るものが無いコップに牛乳だけ入れてお供にすることにした。
本を読む、と言うと結構意外な顔をされる。本を読んでいるイメージは無いとのことだった。音ゲーをやっているところばかり見られているから、暇さえあれば音ゲーばかりやっているゲーム廃人とでも思われているのかもしれない。
暇さえあれば音ゲーをやっている、というのは否定しない。しかし、逆に言うと暇な時くらいしかやっていない。たま~に熱が入ってやり過ぎることもあるにはあるが、基本的には隙間時間にやっているくらいなので、プレー時間はそれほど長くない。課金もしていないし至って健全なプレーヤーだと思っている。
本を読むイメージが無い、というのも間違ってはいまい。というのも、彼女は外で本を基本的に読まない。本は家でゆっくりと時間を取って読みたいので、隙間時間で少しずつ読む、という読み方をあまりしない。だから持ち歩いたりもしないので、周りの人がイメージに無い、というのも自然なことだろう。
だが、休日に自宅で趣味として本を読んでいることからも分かるだろうが、彼女は意外と読書家なのである。それこそ時間で言えば音ゲーをやっている時間よりも遥かに長いだろう。
本は昔から好きだ。夏休みの宿題とかにあった読書感想文もそれほど苦では無かった。強いて言えば、夏休みに本を読み過ぎてどの本について書こうか、と決めるのが苦ではあった。あの本もいいな、この本もいいな、と、感想文を書く本を考えているうちに仲間外れにするのも可哀想だな、という気になり、読んだ本全部について読書感想文を書いて提出したところ、教師にいたく感動されたのを覚えている。
どんな本を読むの? とたまに聞かれるが、本屋に行って目に付いた物を適当に読む、という感じなので、決まったジャンルを読む、というわけではない。小説も読むし、ビジネス書も読むし、趣味系の本も読むし、実用書も読む。今読んでいる本は家事大百科という本。家事のイロハや生活の知恵などが知れて中々面白い。ちなみに家事の本読んだから家事やるかというと、それは別問題だ。知識として持っているのが楽しいのだ。え? 宝の持ち腐れじゃないかって? ……うるさい。
本は良い。本を読んでいる間だけはあらゆるストレスや束縛から解放されるかのようだった。大学から提出されている課題も来週あるテストのことも、今だけは忘れて本をゆっくりと楽しもうではないか。え? 現実逃避じゃないかって? ……否定はしない。
不思議と本を読んでいるとサボっている感が無い。知識を得ている、ということが罪悪感を和らげるのかもしれない。優先的に得なければいけない知識は後回しにしているわけだが、まぁ人は興味の無いものは学ぼうとしない生き物である。仕方ない仕方ない。
本を読んで知識を得る、と言うと、本なんか読まなくてもネットで調べれば良くね? と言われたりする。一理あると思う。知りたいことだけピンポイントで知りたいのであればそれもありだろう。だが彼女としてはピンポイントで情報が欲しいわけではなく、幅広い情報を得たいので、色んな情報を載せてくれている本を読む方が性に合っている。
……え? 知識得たいなら資格の参考書でも買って勉強したらって? ちょっと何言っているか分からない。そんなお母様みたいなお小言は聞きたくない。それに資格は取ったところで役立つか分からないが、実用書で学んだ生活の知識なんかは結構すぐに役立つぞ。実際、この前悲運なソース爆撃を受けた彼女の服は実用書の知識によって復活したところである。
昨今では本の内容を短く要約したネット動画などもある。時間を掛けて本一冊読むくらいならそれを見れば良くね? という考えの人も居るだろう。否定はしないし、本を読む時間が無い人からすると便利ではあるのだろうが、彼女としては自分で出会った本を自分で読みたいし、人から勧められたものは読む気が無くなるのである。要約は彼女からするとネタバレでさえあるのでまず見る気が無い。
ネットのレビューなども見ないから、本を買う時はほとんどCDのジャケ買いと一緒だ。目が合った物、という感じなのであまり面白くないな、という外れの本に当たることもままある。それが嫌だからネットの要約動画で様子を見てから買う人も居るのかもしれないが、彼女としては外れの本も楽しみの内なのである。面白い本ばかり読んでいたら気付けない、面白い本と出会えることの貴重さが再認識できるので、外れの本との出会いも大切なのである。
本を読まない、という人も増えていると聞く。それはその人の人生なので文句を付けるつもりは無いが、ひょっとしていい本との出会いが無かったんじゃないかな、とは思う。いい本と一度でも出会ってしまうと、多分本とは切れない関係性になっていく。
彼女が本を読み始めたきっかけはよく覚えている。先に言っておくが、決して遊ぶ友達が居ないから本を読みふけっていたわけではない。家が貧乏で他の娯楽が無かったから本を読むしかなかったというわけでもない。彼女も多くの子供たちと同様に、最初は本を読むよりもゲームや漫画が好きな子供だった。
そんな彼女が自主的に本を読んだのは、熱を出して学校を休んだことがきっかけだった。……何だ? その意味が分からない、というような顔は。では順を追って説明していくこととしよう。
彼女の家では熱を出して学校を休んだ日、仮にその後熱が下がったとしても、食事とトイレとお風呂以外は原則、布団から出ることを許されなかった。他の人に移るから、という意図もあったのかもしれないが、熱がぶり返すといけないから、という風に教わっていた。
熱を出したその日はまだいい。そもそも体調が悪くて学校を休んでいるのだから、遊ぶ元気もそれほどなかったりする。問題は次の日。彼女の家では熱を出した次の日も学校を休むのが一般的だった。これも熱がぶり返すのを防止とのことだった。
今思えば子供の体調を気遣ってのことではあったのだろうが、熱を出した日はともかく、熱が引いた次の日など朝起きた段階で元気ピンピンなのである。しかし、学校を休んだのに家で遊んでいてはいけません、と体が元気にも関わらず、布団から出ることは許されなかった。
具合が悪いわけでもないから眠くもないし、眠気も無いのに布団の上でただゴロゴロしているのも暇である。今考えれば布団の上でただゴロゴロなど、これ以上無い至福の時間だったと思うが、その楽しさを理解するには、彼女はまだ幼かったのである。
ゲームもダメ、漫画もダメ。でも暇。勉強ならしてもOK。でもしたくない。そんな時、ふと浮かんだ選択肢が読書であった。ダメ元で『じゃあ本読みたい』と言ったところ、これにはお母様からOKが出たのである。漫画がダメで本がOKはイマイチ分からない基準ではあったが、やはり何となく本は知的なイメージがあり、漫画よりは娯楽度が低いと思われるのだろう。
この時読んだ本は母親が昔買っていた小説だったが、この小説がとても面白かった、というのが彼女が本を読むきっかけとなった。一回否定しといて何だが、その時他に娯楽が無かったから異様に楽しく感じた、というのもあるのかもしれない。
何だがついでにもう一個何だがの話をすると、決して家が貧乏だからとかではなく、本の魅力にはその安さもあると思う。この安さに気付いたのは自分で買うようになってからだが、先人たちの知恵が大体千円前後で読むことができるのだ。高い、と感じる人も居るかもしれないが、彼女からすると格安だと思う。本に書かれている知識を自分で集めようとしたら千円前後では済むまい。作者が時間とお金を掛けて得た知識を分かりやすくまとめて教えてくれるのだ。いいとこ取り、と言っていいと思う。
値段の割に長く楽しめる、というのもある。読む速さによってもバラつきはあると思うが、小説の単行本とかであれば、漫画よりちょっと多めに払うだけで漫画の倍くらいの時間は楽しめるのではないだろうか。
中古で買えばもっと安いし、図書館に行けば何なら無料だ。冷暖房も完備されているし、本もタダで読めるしと、一時期ずーっと図書館に入り浸っていたこともある。ほとんど私の本棚的な感じで通っていた。
何度でも言うが別に家が貧乏だからというわけではない。欲しいと言えば本は大体買ってもらえた。が、彼女も大人になりやがて知る。その本代はパパが馬車馬のようにコキ働かされ、明らかに労働量とは割に合っていない給与から頑張って捻出してくれている、ということを。それを知って以来、古本や図書館などを利用し、なるべく安く済ませようという彼女なりの子供心である。
とはいえ、この『本が欲しい』というおねだりは漫画やゲームのおねだりをするよりハードルが低かったことは事実。彼女が本にハマるのに一役買っただろう。気付けば彼女の本棚は漫画よりも本の方が多くなっていた。
この頃から漫画を読む頻度よりも本を読む頻度の方が多くなっていた。与えられた絵を読むより、文章から自分で絵を想像するのが楽しくなってきていた。実写化やアニメ化などは自分の中のイメージが壊れるからってあまり見なかったくらいだ。
小説以外の本、例えばビジネス書や実用書などと言われる物を読み始めたのも比較的早い年代だったと思う。というのも、近所の図書館にはそれほど小説の種類が多くなく、毎日通っていた関係もあって小説を読みつくしてしまい暇になったので、ちょっと背伸びして読んでみたところ、こちらも面白かったのである。
知らないことが知れる感覚とでも言うのだろうか。これが非常に楽しかったのである。その知識を得たい欲が勉強に向かなかったのは不思議なものである。本を読んでいる関係で知識量は多分周りの子たちよりもあったと思うが、学力がそれに比例して上がったかというとそんなことは無い。むしろ悪い部類に入ると思う。
……え? そんなたくさん本を読んでいるくせに何で学校の成績悪いのって? うるさいな。いいか。まず読書量と成績は必ずしも比例しない。おまけに成績の良さなんて学生時代しか使えないマウントだ。マウント取りたい奴らに好きにやらせておけばいいのだ。まぁ、あんまりにも成績下がるとお母様にお小遣いを減らされるので、そこだけ気を付けてはいたが。要するに、社会で求められる知識と学校で求められる知識は違うということなのだろう。
学ぶのは楽しい、という人が居る。共感できる言葉ではあるが、彼女はこう言い換えたい。学びたいことを学ぶのは楽しい、と。だからこそ、自分で読みたい本を見つけて自分で読むのは楽しいのである。誰に強制されるわけでもない、自主的に学ぼうと思った時こそ、本当に学ぶのが楽しくなるのだろう。故に、強制されている学びたくもない課題やテストはつまらなくやる気が出ないのである。ふ。どうやら証明完了のようだ。
ちょうどよく本も読み終わった。読み終わってしまった。一応課題の入っているリュックの方を一瞥するが、その後時計の方をチラリと見る。一日は24時間。何だ。まだ今日が終わるには時間があるじゃん、ということに気付いた。
よし、本屋に行こう。彼女は出かける準備をする。平日ずっと学びたくも無いことを強制されているのだ。休日くらい学びたいことを学ばなければ。え? 大学の授業って選択制だから学びたいことがある程度学べる環境だろって? ……それは盲点だった。
2
昔はもう少し本屋の数が多かったような気がするが、今では本屋の数が減ってきているような気がする。わざわざ本屋に出向かなくてもネットで買えるというのと、電子書籍が主流になり始めているのが理由なのだろう。
電子書籍。彼女は使ったことが無いが、便利なものだとは思う。
本好きな人なら分かると思うが、本を買い続けて行くといずれぶつかる問題が本の置き場所問題。買ったばかりの本棚が気付いたらあっという間に満杯になっているあの不思議な現象。シリーズ物の作品を買い続け、ある日買ってきた最新刊を置くスペース無いんですけど、というのは、誰もが味わったことがあるのではないだろうか? 部屋の広さは有限なのでもう読まない本は処分するか、予算のある人はより広い部屋に引っ越したりするのだろう。
電子書籍であれば、置き場所など気にすることはない。百冊だろうと千冊だろうと、何なら一万冊だろうと、端末一つに集約される。本好きな人ほど電子書籍で読むべき、という主張もある。本好きな人ほどたくさん本を読むわけだから理屈は分からんでもない。
マーカーも引けるし、検索機能もあるし、何より本が劣化しないしと。いいこと尽くめなのは重々承知だが、彼女は紙でしか本を読んだことがない。一回電子書籍で読んだらハマるのかもしれないが、逆に言うとハマりそうだから読んでいない。紙の本を好きで居たい、というのもあるし、本が本棚に並んでいるこの景色が好きだったりもする。
紙の本が好きというのはもう古いのかもしれないし、いずれ紙の本は無くなってしまうのかもしれないが、無くなってしまうのであれば、今のうちに読んでおかないと勿体無くないだろうか?
彼女は本屋が好きだ。ズラーっと本棚に並んでいる本たちを見るとテンションが上がる。買うお金も無いのに本屋をブラブラしに来ることもあるくらいだ。表現が難しいが、例えるなら神社やお寺の敷地内に入った時のような、ちょっと世界が変わったような感覚がするのが好きなのかもしれない。
電子書籍ではこうはいくまい。別に電子書籍アンチというわけでもないが。電子書籍だろうと本を読んでいるのであれば仲間みたいなものだ。本好きに悪い人は居ない。
それに本屋と言えば少女漫画定番のあの出会いがあるかもしれない。二人で同時に一冊の本へと手を伸ばすあれである。彼女はまだ一度も体験したことがないが、やはり本屋好きとしては一度は経験してみたいイベントである。嵐の『Love so sweet』でも流れてきそうな恋の予感。運命の王子様とのロマンティックな出会いである。
え? 夢見過ぎだって? 甘いな。乙女とは夢を見る生き物なのだ。少なくとも男子が夢描くパンを咥えて『遅刻~遅刻~』って走っている女の子と曲がり角でぶつかるよりは現実的であろう。
え? それ以前にお前彼氏居るだろって? 何を言っている。それはそれ。これはこれである。彼氏が居ようが旦那が居ようが、乙女はいつだって自分だけの白馬の王子様が迎えに来てくれるのを待っているのである。
王子様との出会いを期待して、というわけではないが、ブラブラしてたら面白そうな本を見つけたので手を伸ばしてみると、何と、横から伸びて来た別の誰かの手が彼女の手に触れた。
トクン……ッ、と彼女の胸から少女漫画のような心臓の鼓動が響いた。さっきちょっと乙女なことを考えていたこともあって、今の彼女は恋する少女漫画モードなのである。目だってコンタクトもしていないのに星がいっぱいあるキラキラした目になっている。
ああ、王子様、と思い、彼女が『Love so sweet』を流す準備をして手を伸ばしてきた相手を見ると、
「お前かいっ」
「え~っ? 出会い頭に酷い言い草っ!」
何でか知らんが彼が居た。少女漫画モード強制終了。素の彼女へと戻る。そして訂正。やはり本屋に出会いを求めるなんて間違っている。本屋は叡智の詰まった神聖な場所。知恵を求めて人はやって来るのである。大体、休日のこんな時間に本屋をぶらついている奴にロクな奴は居ない。
というか、
「何で居るんですか?」
この男は電子書籍派だったハズだ。本屋で本を買ったりなんてしないハズである。何で本屋に来ている。電子書籍派が本屋に居るなんてバレたら書店の店員さんと抗争勃発の危機である。早く出て行け。シッシッ!
しかしこの能天気電子書籍派男、自分のしている所業をまるで気にしていないようで、ほんわかしながら、
「面白そうな本あったら後で電子版で買おうと思ってさー」
なるほど。冷やかしで来てるらしい。一緒に時計屋行った時もそうだった気がする。本屋を何と心得る。展示品スペースじゃないんだぞ。前言撤回。やはり電子書籍好きにロクな奴は居ない。目の前の男がいい例だ。やーい。バーカバーカ。
「……何か酷いこと考えてない?」
「気のせいです」
真顔で否定してから彼女は手がぶつかった本を手に取る。
「あ、取られた」
「いや、貴方電子で買うんでしょうよ」
電子で買う人間に書籍の本を取って文句を言われる筋合いは無い。
「いや~、中身パラ見してから決めたいんだよね~」
チラっと中身を確認すること自体は否定しないが、中身チラ見しておいて、買うのは電子というのはいかがなものだろう、と思わなくもない。
「じゃあパラ見だけどうぞ」
彼女は彼に本を差し出す。
「ありがとう。あ、一緒に見る?」
「いえ、私は買ってから読みます」
「中身見たりしないの?」
「本の状態くらいはパラパラ捲ったりはしますが、内容確認はしないですね。読むまでのお楽しみにしてます」
「へー」
それを聞いた彼は彼女から受け取った本を開くことなく彼女へと返してきた。
「じゃあ僕もそうしてみようかな」
「別に私に合わせなくてもいいと思いますが」
「いやー、折角だし?」
折角とは一体? まぁ本人がいいなら別にいいが。受け取った本を持って彼女がレジへと向かおうとすると、
「この後時間ある? カフェでお茶でもしていかない?」
「時間はありますが……」
彼女はあまりカフェに行かない。というのも、あまりコーヒーの違いが分からないのである。だから彼女は普段、パックのコーヒーと牛乳を買ってきて、それを混ぜて飲んでいる。違いが分からない彼女にはそれで十分で、カフェのコーヒーは彼女からすると割高なのである。
という、彼女の金銭の葛藤を読み取ったのかは定かではないが、彼は続けて、
「奢るよ?」
「行きます。もちろん行きます。私が貴方の誘いを断るわけないじゃないですか」
「は、ははは……」
明らかに現金だった彼女に苦笑いをする彼であった。
カフェにて、二人の男女が同じ席に座っていた。
女性の方は本を広げていて、男性の方はスマホを弄っている。
二人の間には会話は無い。カフェ内で仲良くお話をしている人たちが多い中で、会話の無い二人の姿は少し浮いていたかもしれない。
けど、仲の良さなら二人も負けていないだろう。
書籍と電子の差はあれど、二人とも同じ本を読んでいるのだから。
少女漫画に描かれるような、ロマンティックなものではないかもしれないが、これはこれで誰かは憧れるカップルの在り方なのかもしれない。
頼りにならない年上の彼と頼りになる年下の彼女 うたた寝 @utatanenap
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。頼りにならない年上の彼と頼りになる年下の彼女の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます