19_1
気がつくと病院のベッドの上だった。狭い個室。身体中が痛い。耳障りな電子音が聞こえ、鼻には硬いチューブが付いていた。看護師さんが行ったり来たりを繰り返し、ようやく静かになった頃。白い天井を見上げながらぼうっとしていると、ドアのスライド音が聞こえ、棚橋さんがやってきた。
「カイリ君、ようやく目覚めましたね」
「あ……」
声を出そうとして喉が詰まった。痰が絡み上手く声が出せない。ごぼごぼっ。粘着性の咳が出て胸を抑えた。鼻から細いチューブを抜き出し、起き上がろうとして「うっ」と、呻き声が出る。
「無理しないほうがいいですよ。全身を打撲しているんですから」
棚橋さんはベッドサイドのパイプ椅子に座りながら僕に言う。丸坊主頭に切れ長の目。いつもはおじさんくさいスーツ姿なのに、今日はカジュアルな黒いダウンジャケットを羽織っている。
「僕、どれだけここに……」絞り出す様に声を出すと、棚橋さんは「十日ほどです」と答えた。
「と、おか……」
「はい。だからすぐに動いたらダメですよ」
「僕は——」
僕の記憶は曖昧だ。みんなで洋館へ向かい、中に入ったところまでは覚えている。ラブちゃんから手渡れた浄化の煙に耐えきれず、足がふらついて——
——真矢ちゃん……
「真矢ちゃんは——」と、棚橋さんの顔を見る。
「真矢さんは心配ありませんよ。昨日地元に帰りました」
「地元に……。良かった、無事で……」
言った途端視界が酷くぼやけた。熱い液体が目尻から溢れ、急いで掌で顔を覆う。肺の奥が締め付けられる様に痛い。迫り上がる感情を落ち着けるため、はぁーと、長い息をはいた。掌の中が熱い。何度も息を吐きながら僕はまた思った。
——良かった。真矢ちゃんが無事で。
真矢ちゃんは僕みたいに公衆電話に行っていない。それなのに、僕が巻き込んだせいで、太郎くんの恐怖ウィルスが脳に入り込み危険な目にあった。
「真矢ちゃんが無事で、本当に、良かった——」
「真矢さんは無事でした。でも——」
棚橋さんは続きを話さない。「え?」と顔から手を退かし、「でも……?」と、尋ねた。嫌な予感がする。真矢ちゃんは大丈夫。棚橋さんはここいる。いないのは——。
「ラブちゃんは……?」
棚橋さんが真剣な目で僕を見て、「ラブちゃんは、まだ目を覚ましません」と言った。頭の中の血の気が引いていく。僕が巻き込んだせいで、ラブちゃんが——。
——やばい。
急に胸が苦しくなりはじめ、上手く息ができない。眉間に皺を寄せ、胸に手を当てた。浅い呼吸を繰り返し、湧き上がる嗚咽を噛み殺す。呼吸を整え、絞り出すように「ラブちゃんは……いま、どこに……?」と、尋ねると、棚橋さんはラブちゃんも同じ病院に入院していると言った。目を覚まさないけれど、今のところ命には別状はないから安心していいとも。そして、僕が落ち着いたら、一緒に病室にいこうと言った後で、話を続ける。
「自分は呪いや祟りや、妖怪など非現実的なことは信じません。でも、今回ばかりは、信じざるを得ない状況だと思っています」
「僕は……、記憶が曖昧で、何がどうなったのか、教えてくれませんか……?」
「そうですね。カイ君は知っていた方がいいですよね。そうでなければ前を向いて進んで行けないでしょうから——」
僕はベッドサイドに手を伸ばし、リモコンでベッドの上体を持ち上げた。棚橋さんは黒いダウンジャケットを脱いで、黒いタートルネック姿になる。軽く咳払いをすると、いつもより掠れた声で、事の顛末を僕に話して聞かせた。
「あの屋敷はラブちゃんが推測した通り、蠱毒という呪術を扱う人の家だったようです。家の地下にはいくつも地下室があり、警察が中を調べたところ何体もミイラ化した女性の遺体が見つかりました。自分はいま、その、謹慎中なので、詳しくその先が分かりませんが、いつ亡くなった遺体なのかは現在鑑識が調査中です」
「棚橋さんが、謹慎中……?」
「はい。不必要に拳銃を発砲しましたから」
「け、んじゅう?」
まさか拳銃を発砲するような場面があっただなんて。かなり危険な状態だったのだと、ぞわりと悪寒が走り脇に嫌な汗をかく。僕の意識がない時に、拳銃、発砲——
「それが原因で、謹慎に……?」
「本来ならば停職処分かもしれません。日本の警察はそうそう発砲しません。ドラマや映画とは違います。今回は仕方なくカイリ君を操っている人形に向かって発砲しましたが、そんなことを警察で言っても、誰も正当な理由として受け取ってもらえません。襲いかかってくる呪いの人形を打ち抜きました。なんて、誰も信じないでしょう?」
「人形、それはあの、男の子の人形を打ち抜いたんですか……?」
「そうですね。その人形です」
棚橋さん曰く、男の子の人形は空中、それも僕の頭の上に浮かんでいたようで、僕の頭に銃弾が当たる可能性はかなり高かったと言った。
「ひとつ間違えばカイ君の頭が吹っ飛びますからね。自分、剣道の腕前は全国クラスでも、射的の腕前は人に威張れませんから。ラブちゃんに人形を打ち抜けと指示を受け、引き金を引く時は頭の中が真っ白になりました。恥ずかしい話ですが、その時のことを思い出すと、ほら——」
「ほら」と見せられた棚橋さんの大きな手は小刻みに震えていた。それを見て僕はカピカピに乾いた喉で唾を飲み込んだ。ヒリヒリと喉に痛みが走り、今度は乾いた咳が出る。
「お水、買ってきましょうか」と、棚橋さんは席を立つ。その背中が消えてから僕は窓の外を見た。四角い窓の外には灰色の雲。あの日と同じ白い雪が舞っている。ラブちゃんは目覚めない。それも僕が巻き込んだせい——。
棚橋さんのいなくなった病室。「うっ」と嗚咽が迫り上がってくる。ダメだ。泣いたりしたら。子供じゃないんだから。それに、棚橋さんは命に別状はないと言っていたじゃないか。ぐしっと手の甲で目を拭う。泣くことなんて滅多にないのに。自分がこんなに弱いだなんて思ってもみなかった。棚橋さんの顔を見てからの僕はすぐに胸の奥が痛み始める。それだけじゃない。いつでも涙が製造できるように、鼻の奥も目の奥も準備万端で待機している。
——やめろよ、泣くなよ、大人だろ……?
ドアがスライドする音がして、泣いていることがバレないように急いで目頭を押さえた。棚橋さんは「どうぞ」と僕にペットボトルの水を手渡すと、またパイプ椅子に腰かけた。視線を背け、抑え込んだ感情を冷たい水で流し込む。棚橋さんはそんな僕のメンタルに気付いているのかいないのか、「それで——」と、淡々と話を続ける。
「人形の中からはミイラ化した胎児の遺体が出てきました。カイ君の身体を乗っ取った化け物は言っていました。胎児を生贄にして力を継承してきたと。だからもしかしたら、あの人形は、そういった呪具的な意味合いもあるのかもしれませんね」
「え?」と、棚橋さんの顔を見た。呪具。そんな言葉、棚橋さんから出るとは思わなかった。
「棚橋さんが、そんなことをいうなんて——」
「信じないわけにはいかないでしょう。自分も調べたんですよ。謹慎中、時間は膨大にありますから。それに、ほら——」
棚橋さんは黒いタートルネックを指で押し下げた。その首筋には姉さんと同じような、赤黒く何本も筋が入った縄のような
「こんなことになったら、信じないわけにはいかないですよ。全身にこの痣はついています。それに、呪術や魔術、呪いのことを調べているのは、ラブちゃんの目が覚めてほしいと思っていた気持ちからです。何かいい方法があればと毎日ネットで調べていました。呪い代行業とか、怪しい情報はいっぱいあるのにちゃんとした情報って、なかなかないものですね」
静かに頷き、水をもう一口に含んだ。
呪い代行業。そんなものがこの世に存在することがどれほど危険なことなのか。今回の都市伝説『公衆電話の太郎くん』で、僕はその危険性を身を持って知っている。人を呪えば自分にも返ってくる。興味本位で手を出しては——、いや。絶対に手を出してはいけない。誰かを呪うだなんて、幸せになんて絶対になれない。
——どの口が、いう……。今回は僕のせいでみんなを巻き込んだっていうのに……。それに、僕には記憶がない……。
僕が寝ている間に何があったのか。自分が巻き込んだ人達が危険な目にあってるのは僕のせいだ。だから僕はもっと知らなくてはいけない。ぎゅ。薄くて白い掛け布団を握り、棚橋さんに「もっと教えてください」と続きを促す。
「もちろん。すべてをお話ししますよ。まず、あの場所です。人形を引き取ったとされている業者に屋敷に来ていただき見聞したところ、腐乱した身元不明遺体を発見した部屋が分かりました。その丁度真下には六角形の地下室がありました。そこがどうやらあの建物で一番重要な場所だったようです。ラブちゃんは結界と言っていましたが——」
「結界?」
「ええ。結界。大事な儀式を行う場所だったようです。その場所を取り囲むように配置された地下室からは壺に入ったミイラ化した遺体が出てきました」
「ミイラ——」
「そう。ミイラ。白い衣を纏い、壺の中に入っていましたよ。正直、自分も驚きました。あれほど綺麗にミイラ化した遺体は初めてです。ラブちゃん曰く、それが歴代の蠱毒師だろうと」
僕の記憶に残る蠱毒についての情報を急いで探す。あの洋館に入る前、確かラブちゃんが話していた——。
「発見された遺体は鑑識へ。死体遺棄事件として捜査中ですが、きっと犯人は見つからないでしょう。建物は一応、ヤスさんが知り合いの住職にお願いしてお祓いしてもらいましたが、建物を壊す権限は今のところ誰にもないので、現在もあの建物はそのままです。それに——」
今回の都市伝説がこれで収まるかどうかは、誰にも分からないと言った。
「歴代のリンメイシァオが作った呪符を使い、ラブちゃんが封じ込めた。自分はそう信じたい。そうでなければいけないと思っています。でも、それはまだ分からない。それに、気になることもあります」
「気になること……?」
「はい。でもカイ君は知らない方がいいかもしれません」
「子供扱いしないでください。僕の頭はだんだんしっかりしてきました。僕は逃げない。聞かせてください」
ふぅ、と小さく息を吐き、棚橋さんはダウンジャケットのポケットからスマホを取り出した。何度かタップして無言で僕に寄越す。画面にはネット記事が映し出されていた。
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