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 ——届け、カイリ君の意識にっ! 今すぐ届けぇ! カイリ君にっ! 戻ってこいっ! こっちにっ……!


 真矢ちゃんの声が聴こえる。

 

「真矢ちゃん……っ!」


 諦めるものか。

 目に見えるものを信じろ!


 残り少ない力を振り絞り文字の海を泳ぐ。

 離れていく彼女が視界に入り込む。


 もうすぐだ。

 もうすぐ、届く。

 書き分ける文字の波。

 指をすり抜ける文字の群れ。


 無我夢中で手を動かし足を動かす。

 加速する身体。


 届く。

 もうすぐ。

 もうすぐ届く!


 伸ばせ指を!

 掴め髪を!

 その身体を!

 指が。

 指先が。

 白い布に触れ——ついに。


「ああぁ……あああ……、捕まえた……」


 引き寄せて絶対に離すものかと抱きしめた。そして、天を仰いで叫んだ。


「捕まえたよっ! 真矢ちゃん……!」

 

 彼女の顔を見て「大丈夫ですか?」と声をかけ、異変に気づく。無表情。心がここにいない顔。身体を見る。白い服を着た彼女の身体には、無数の赤い文字が蟲のように這いずり廻っている。それに、お腹が異様に膨れている。この膨らみ方は、きっと妊婦さん。お腹に赤ん坊がいる。


「大丈夫ですか?」と、もう一度声をかけた。


 ——でも。


 だめだ。

 意識がない。

 手でその頬を撫でる。

 蝋人形のように顔の皮膚は固まっている。

 目は開いているのに意識がない。

 虚な瞳に僕の姿は映っていない。

 頭も腕も足も力が入っていない。

 

「どうしたら……、どうしたらいいんだっ……!」


 せっかく捕まえたのに。

 腕の中、生温かい感触があるのに——


 ——生温かい。


 そうだ。

 生温かい。

 この人はまだ生きてる。


「諦めないぞ、光はまだ差し込んでいる!」


 諦めるな。

 考えろ。

 僕には。

 僕には何ができるんだ。

 辺りを見渡す。

 一面蒼白に光る文字の海。

 その中にいて僕の身体には刺すような赤い文字は付いていない。

 なぜ。

 それは僕が振り払ってきたからだ。


「そうか——」


 彼女の身体に纏わり付く赤い文字を読む。


〈裏切りもの〉〈憎い〉〈許せない〉〈殺してやりたい〉〈消えてしまえ〉〈死ね〉〈皆殺しだ〉〈四人共地獄に落ちろ〉〈子供を産んだこともないくせに〉〈人の気も知らないで〉〈わたしよりもPV数が多いなんて〉〈ヘタクソな文章〉〈子供がいなかったらわたしだって〉〈子供なんて産まなきゃ良かった〉〈子供さえいなければ今頃わたしも〉


「これは——」


 彼女自身の言葉なのか。

 それとも——


「こんな文字、剥がしてやる」


 もしもそれで少しでも彼女の意識が戻るなら。

 僕が振り払い痛みが消えたように。

 この赤い文字を引き剥がせば。


 他に思いつくことはない。

 剥がせ。

 蟲のように身体を這いずり廻っている文字を。

 剥がせ。

 彼女を助ける。

 絶対に。


 剥がしても剥がしてもまた吸い寄せられてくる赤い文字。

 街頭に集る羽虫の様に。

 何度追い払っても寄ってくる赤い文字の群れ。

 それでもまた剥がし、剥がし続ける。

 

「ダメだ。キリがない……」


 何か他に手はないのか。

 辺りを見渡す。一面の文字の海。

 その中で一際白輝く文字が目に留まった。

 

 ——愛。


 咄嗟に手を伸ばし引き寄せると、彼女の身体を這う〈憎い〉がスッと消えた。


「そうか——」


 一縷の望みをかけて。片腕に彼女を抱きながら文字の海を漂い、文字を探す。『愛』『勇気』『感謝』『慈愛』『希望』。思いつく限りの優しい言葉たちを拾い集め、彼女の身体に触れさせる。スッと消えていく赤い文字。身体に溶けていく優しい言葉の数々。何度か繰り返すうちに、腕に抱く女性の白蠟めいた頬に赤みがさしはじめた。それを見て確信する。


 心を壊す文字の刃は、剥がすだけではダメなんだ。剥がしてもまた寄ってくる。


 包み込め。

 心を。

 優しい言葉たちで。

 もっと、もっと彼女の身体を包み込め。


 集めれば集めるほどに。

 僕の心も身体も軽くなっていく。

 力が漲ってくる。

 

「絶対にこの人を助け出す!」


 集めろ!

 包みこめ!

 優しい言葉たちで!

 見える限りの優しい文字に手を伸ばす。

 どんどん彼女の身体に触れさせていく。

 腕の中。

 彼女の顔が柔らかくなった気がする。


 もっと、もっと——。

 優しくて温かい言葉たちをもっと——!


「真矢ちゃん、僕は絶対に諦めないからっ!」



 

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