18_2
*
——届け、カイリ君の意識にっ! 今すぐ届けぇ! カイリ君にっ! 戻ってこいっ! こっちにっ……!
真矢ちゃんの声が聴こえる。
「真矢ちゃん……っ!」
諦めるものか。
目に見えるものを信じろ!
残り少ない力を振り絞り文字の海を泳ぐ。
離れていく彼女が視界に入り込む。
もうすぐだ。
もうすぐ、届く。
書き分ける文字の波。
指をすり抜ける文字の群れ。
無我夢中で手を動かし足を動かす。
加速する身体。
届く。
もうすぐ。
もうすぐ届く!
伸ばせ指を!
掴め髪を!
その身体を!
指が。
指先が。
白い布に触れ——ついに。
「ああぁ……あああ……、捕まえた……」
引き寄せて絶対に離すものかと抱きしめた。そして、天を仰いで叫んだ。
「捕まえたよっ! 真矢ちゃん……!」
彼女の顔を見て「大丈夫ですか?」と声をかけ、異変に気づく。無表情。心がここにいない顔。身体を見る。白い服を着た彼女の身体には、無数の赤い文字が蟲のように這いずり廻っている。それに、お腹が異様に膨れている。この膨らみ方は、きっと妊婦さん。お腹に赤ん坊がいる。
「大丈夫ですか?」と、もう一度声をかけた。
——でも。
だめだ。
意識がない。
手でその頬を撫でる。
蝋人形のように顔の皮膚は固まっている。
目は開いているのに意識がない。
虚な瞳に僕の姿は映っていない。
頭も腕も足も力が入っていない。
「どうしたら……、どうしたらいいんだっ……!」
せっかく捕まえたのに。
腕の中、生温かい感触があるのに——
——生温かい。
そうだ。
生温かい。
この人はまだ生きてる。
「諦めないぞ、光はまだ差し込んでいる!」
諦めるな。
考えろ。
僕には。
僕には何ができるんだ。
辺りを見渡す。
一面蒼白に光る文字の海。
その中にいて僕の身体には刺すような赤い文字は付いていない。
なぜ。
それは僕が振り払ってきたからだ。
「そうか——」
彼女の身体に纏わり付く赤い文字を読む。
〈裏切りもの〉〈憎い〉〈許せない〉〈殺してやりたい〉〈消えてしまえ〉〈死ね〉〈皆殺しだ〉〈四人共地獄に落ちろ〉〈子供を産んだこともないくせに〉〈人の気も知らないで〉〈わたしよりもPV数が多いなんて〉〈ヘタクソな文章〉〈子供がいなかったらわたしだって〉〈子供なんて産まなきゃ良かった〉〈子供さえいなければ今頃わたしも〉
「これは——」
彼女自身の言葉なのか。
それとも——
「こんな文字、剥がしてやる」
もしもそれで少しでも彼女の意識が戻るなら。
僕が振り払い痛みが消えたように。
この赤い文字を引き剥がせば。
他に思いつくことはない。
剥がせ。
蟲のように身体を這いずり廻っている文字を。
剥がせ。
彼女を助ける。
絶対に。
剥がしても剥がしてもまた吸い寄せられてくる赤い文字。
街頭に集る羽虫の様に。
何度追い払っても寄ってくる赤い文字の群れ。
それでもまた剥がし、剥がし続ける。
「ダメだ。キリがない……」
何か他に手はないのか。
辺りを見渡す。一面の文字の海。
その中で一際白輝く文字が目に留まった。
——愛。
咄嗟に手を伸ばし引き寄せると、彼女の身体を這う〈憎い〉がスッと消えた。
「そうか——」
一縷の望みをかけて。片腕に彼女を抱きながら文字の海を漂い、文字を探す。『愛』『勇気』『感謝』『慈愛』『希望』。思いつく限りの優しい言葉たちを拾い集め、彼女の身体に触れさせる。スッと消えていく赤い文字。身体に溶けていく優しい言葉の数々。何度か繰り返すうちに、腕に抱く女性の白蠟めいた頬に赤みがさしはじめた。それを見て確信する。
心を壊す文字の刃は、剥がすだけではダメなんだ。剥がしてもまた寄ってくる。
包み込め。
心を。
優しい言葉たちで。
もっと、もっと彼女の身体を包み込め。
集めれば集めるほどに。
僕の心も身体も軽くなっていく。
力が漲ってくる。
「絶対にこの人を助け出す!」
集めろ!
包みこめ!
優しい言葉たちで!
見える限りの優しい文字に手を伸ばす。
どんどん彼女の身体に触れさせていく。
腕の中。
彼女の顔が柔らかくなった気がする。
もっと、もっと——。
優しくて温かい言葉たちをもっと——!
「真矢ちゃん、僕は絶対に諦めないからっ!」
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