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 棚橋さんを先頭に地下道を進む。石に囲まれた狭い通路。奥に向かうほどに粘性を帯びていく空気が頬に纏わり付き気持ち悪い。不安と恐怖が頭を擡げ始め振り払おうとした時、最後尾を歩くわたしの背後で扉の閉まる音がした。反射的に足を止め、振り向く。ねっとりとした暗闇が有無を言わせず恐怖感を煽ってくる。ここは出口を塞がれた十メートルほどの地下道。


 ——もしもこの先の扉が開かなかったら。地下に閉じ込められ、そのうち窒息死する。


 頭を振る。ダメだ。棚橋さんもラブちゃんも後ろを振り向くことなく進んでいる。変な妄想は命取りになる。恐怖に支配されるな、気を確かに持てと言い聞かせていると、ギィと木の軋む音がした。「良かった」安堵の溜息を吐く。鍵は掛かっていなかった。


 入った場所は小さな三角形の部屋だった。部屋というよりは階段の踊り場のような、次の部屋へ行くための通路のような場所で、すぐに次の扉が視界に入った。


「また扉がありますね」棚橋さんが取手に手を乗せ押しやる。——と、次の扉もあっけなく開いた。「誘い込んでるのね」ラブちゃんが言う。確かに。ずっと誘い込まれている。考えてみれば、この洋館の入り口にも鍵はなく難なくここまでやって来た。  


 ——誘い込まれて、そしてカイリ君は消えた……。


 棚橋さんが扉の入り口から開通電灯を照らし、その光の先に視線を向けた。暗い部屋。何もない部屋のように見える。でも——


「あれは——」


 部屋の中に焦げ茶色の丸い物が見えた。床に置かれた、あれは多分——。


「壺があります」棚橋さんはそう言うと部屋の中に入った。ラブちゃんに続き部屋の中に足を踏み入れ、「あ」と声が漏れた。


「この部屋わたしが夢で見たのと同じだよ。でも、壺の数が少ない——」


「ふうん」とラブちゃんは小さく鼻を鳴らしながら、壁に取り付けられた燭台に近づき蝋燭に火をつける。揺れる炎で浮かび上がる三角形の地下室は、棚橋さんの頭がすれすれ程の低い天井で、部屋の真ん中には壺が九個置かれていた。真ん中の壺を囲むように菱形に並べられた壺。ビリヤードのナインボールの配置のように、綺麗に並べられている。それに——。


 ——漢字が羅列した封印の布。


「真ん中に置かれた壺。この中身が気になる——」


 ラブちゃんは腰の高さほどの壺に近づき、手前の壺に手を触れぐらりと動かした。


「意外に軽い。中身は空っぽ、いや——」


 壺の上部に視線を向けたラブちゃんが「やっぱり」と呟く。ラブちゃんは指でトントンと壺の封印を叩き、「ここにの文字がある」と言った。


「やっぱりこの案件、蠱毒師リンメイシァオが絡んでいると考えて間違いなさそうね。トシちゃん、ちょっと手伝って」


 棚橋さんが手を貸して壺がひとつ動かされた。ラブちゃんが壺の間に入り込み、真ん中の壺の前に立つと、棚橋さんがすかさず懐中電灯の灯りで照らした。ラブちゃんは白い指で封印を撫でながら書かれている文字を読む。その様子をすぐそばで見守った。漢字が沢山書かれた動物の皮のような布。漢文なのだろうか。わたしにはさっぱり読めない。所々見たこともない漢字も並んでいる。


 ラブちゃんは壺の口を持ちグラグラと揺らした。ごとごと。鈍器が石に触れる音がする。と、脳裏にパンッと乾いた音が響いた。


 ——夢の中では誰かが助けてと内側から封印を叩いていた。


「壺の封印に美笑メイシァオと書いてある。美しく笑うで美笑。日本人らしい名前の漢字に変えると美咲。間違いない。この中に何代目かのリンメイシァオの遺体が入ってる」


 ラブちゃんは壺の封印を指で撫ぜながら話を続ける。その指先に視線を向けた。漢字だらけの封印の布。確かに『美笑』の文字がある。


「仏教ではなく密教のお経のような文言。福建諸州古田ふっけんしょしゅうこでんというこれは、地名。それと、別の名前、美麗メイリンとも書いてある。推測するに、この遺体のリンメイシァオの本当の名前が美麗メイリンで、死んだ後、魂が故郷に迷わず帰れますようにと、ここに書かれているのは多分そういうこと。開けて確かめてみる——」


「え?」壺から顔をあげ聞き返す。


「開けて平気なの? それに、ご遺体が入ってるって——」

「それに遺体となると死体遺棄になりますね」

「死体遺棄……」


 警察官らしい単語、死体遺棄。それはそうかもしれない。火葬ではなく壺に入れて地下室に埋葬してあるのだから。でも、ラブちゃんの言ってることが正しければ、この壺はリンメイシァオの棺になる。


「あの——」考えるより先に声が出る。


「もしもこの中に遺体があるなら、その、これは棺に当たるよね?」

「そうだけど」

「じゃあ、せめてお祈りをしてから開けないとダメだと思う。だって、勝手に棺を開けるなんて、あの、それはやっぱり、故人に対して失礼だと思うんだけど——」


 一瞬驚いた顔でわたしを見たラブちゃんは、張り詰めていた糸が切れたみたいに「ふぅ」と、気の抜けた息を漏らした。片頬を微かに上げ「確かに」と微笑む。


「真矢が正しい。急がなきゃって気ばっかり焦って大事な事忘れてた。これじゃ、危うく墓荒らしに成り下がって余計な障りを受けるとこだったかも」


「それじゃあ——」と、息を整え、壺に手を合わせたラブちゃんは呪文のような、異国の言葉を唱え始めた。低く柔らかい声が地下室に響く。わたしも自然と手を合わせ目を閉じた。


 ——真矢ちゃん頭の中が葬儀会社ですよ。


 カイリ君の声が脳裏に浮かぶ。


 ——そうだよカイリ君。死者を弔うことができるのは生者だけ。どんな人でもその人だけの人生が詰まってるんだよ。この人だって、生きてたんだよ。一言では語り尽くせいなほどの、きっと過酷な人生を……。


 人を呪うことを生涯の仕事としていた人。孤独な女性。どんな人生だったのか、わたしには想像もつかない。でも、今はこの方が安らかに眠っていますように。魂が故郷に帰れましたように。そう思いながら祈りを捧げた。そして、一縷いちるの望みがあるのであれば——


 ——どうか、カイリ君を返してください。そして、ゆららさんもお母さんのもとへ返してください。私達を助けて……。どうか、どうか。お願いします。お願います……。


 願いを聞いてほしい。わたしが名前を言ったせいでカイリ君を貓鬼びょうきに奪われてしまった。どうか、願いを。取り返しのつかないことにならないように。どうか、私達に力をお貸しください。どうか——。


 ラブちゃんの声が止まり目を開けると、蝋燭の炎が大きく揺れ、はっと息を呑んだ。合わせていた手を握り直し、ラブちゃんの行為を固唾を飲んで見守る。


 棚橋さんの懐中電灯が壺の側面を照らす中、ラブちゃんが慎重に封印の紐を解き壺の蓋が開いた。と同時に、漢方薬のような独特な匂いが地下室に漂った。


 壺の中には、自分の肩を抱くように座した女性のミイラが入っていた。骨に張り付いた茶色い皮膚。髪飾りをつけた黒くて長い髪は整えられ、その姿は神々しくさえある。


「先代が亡くなると防腐処理を施し、この壺に封印して地下へ埋葬する。となると、他の遺体も埋葬されているはず——」


 ラブちゃんが視線を向ける。三角形の地下室。その視線の先にはまた木の扉があった。ラブちゃんが異国の言葉を唱えながら壺の封印を元に戻すと、私達は次の扉を開けた。


 現れる小さな部屋。それはさっき通った通路と同じ作りの部屋で、また扉があった。棚橋さんがさらに扉を開ける。次に入った部屋も正三角形の地下室で、菱形に配置された壺が九個あった。元の部屋に戻ったのかと錯覚するほど類似した光景。もしかしてこれは全て夢——、そんなことが一瞬脳裏を過ぎる。ラブちゃんは中央に配置された壺の封印を確認する。


「これもさっきと同じだわ。何代目かのリンメイシァオの遺体が安置されている」

「であれば、これは立派な死体遺棄事件です。警察がこの建物を捜索しても問題ないほどの——」

「地上に出れたらね」


 ラブちゃんの何気ない言葉が怖い。

 地上に出れなかったら、私達も——。


 示し合わせたように居住まいを正し、壺に手を合わせてから先へ進んだ。ラブちゃんの言った通り、この地下空間には歴代のリンメイシァオが眠っている。一歩一歩足を進める毎に心の中で追悼の祈りを捧げた。そして、願いも。


 ——リンメイシァオさんお願いします。私達にどうか、力を貸してください。


 底冷えする地下空間。靴の中、爪先の感覚が消えていく。冷たい汗を握り締めながら幾つも同じような部屋を通り過ぎた。


 次の部屋もまた同じ。三角形の地下室には同じように壺が菱形に配置されている。でも。棚橋さんの懐中電灯が今までとは違う両開きの扉を照らした。


「この部屋は今までとは違いますね」

「ようやく目的地にたどり着いたってことね。正三角形の部屋はこれで五つ目。それを一周するようにここまで来た」

「正三角形が五つ、同じ角度で並んでいましたね。まるで円を描くように」

「その通り。だから、多分これは六芒星——」

「六芒星?」

「そう。六芒星を描き、魑魅魍魎から守るための結界を結ぶ。つまりこの扉の向こうは歴代のリンェイシァオが結界を張った特別な場所ってことかな」


 ——刹那。


 ギギィ。空間を軋ませるような錆びた音が地下室に響いた。懐中電灯に照らされた両開きのドア。そのドアが内側からゆっくり開いていく。


 あはははは。

 うふふふふ。


 聞こえるはずのない笑い声が扉の開く音に混じり脳内で響く。凍りつくような視線の中、懐中電灯の灯りが開いた扉の奥を照らした。






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