15_3

 頭が痛い。それに身体が痺れている。感覚、身体の感覚。指、動け。腕、動け。足、動け。動け、動け、動け——。


「カハッ」喉に声を絡ませ息を吸う。動く。顎が、肺が。大丈夫。生きてる。でも、ここは——。瞬き。目を開けなくては。瞼に力を入れる。眉間に皺を寄せ皮膚を持ち上げる。睫毛の感触。大丈夫、目は開く——。


「はぁ、はぁ、はぁ、ハァ……」


 自分の呼吸音が響く暗闇。なにも見えない。確か、カイリ君と一緒にいて石壁の中に木の扉を見つけ——。いや。扉かどうか、確かめる前にラブちゃんを呼びに行こうとして——。

 

 ——それで、どうしたんだっけ……? それにここはどこ?


 上体を起こす。さっきまでの痛みは嘘のように消えている。それに身体も元どおり動く。手を握る。足をさする。顔を撫でる。大丈夫、ここに自分の身体がある。ゆっくりと立ち上がった。暗闇を手で弄り辺りを窺う。腕を突き出し、一歩一歩歩みを進めるけれど、なにもない。


「え?」


 ——なにも、ない?


 もう一歩もう一歩。どこかに閉じ込められたなら、壁があるはず。なのに、いけどもいけども壁がない。向きを変える。視える物はなにもない。黒黒黒。黒の世界。腕を伸ばし一歩一歩踏み締める。足裏に感じる地面はそこにあるのに。手に触れるものが何も無い。匂いもしない。音もない。無音の世界は耳の中を刺激する。静寂が煩い。耳の奥が痛い。


「カイリ君」名を呼ぶ。自分の声が闇に吸い込まれ消えていく。「ラブちゃん」また、声が吸い込まれていく。「棚橋さん」同様に音が一瞬で消え失せる。


「ここはどこ……? なんで誰もいないの——」


 胸に押し寄せる不安や恐怖。何も無い世界。無の世界。はっと理解する。急激に込み上げる胸の痛みは鼻腔を刺激して苦い味が喉に流れる。迫り上がる嗚咽。わたしは。ひとり、無の中。これはもしかして、死——。


「いやだ。いやだいやだいやだいやだ」


 走る。地面はあるのだ。思いっきり蹴り飛ばし走る走る走る。でも、壁はなく、どこにも壁はなく。ズサッ。足が縺れ転ぶ。手で地面を触る。ひんやり冷たい。石でも無い、リノリウムでも無い。木でもなければ砂でも無い。唯一触れることができる床なのに——。


 ここがどこなのか理解する材料にはならない。


「誰か、助けて……」


 水分を含んだ声が漏れ涙が溢れる。ポタポタとポタポタと床に落ちていく。頭を抱え、蹲り嗚咽を漏らす。自分の声が、吐息が、涙が、体温が。それを感じるうちはまだ自分が存在しているということ。感じろ。今感じれることを。感じろ。感じろ。感じろ。そして思い出せ。自分が何者なのかを——。


「わたしは、二階堂真矢。まだ生きてる。大丈夫」


 ——パンッ


 乾いた音がした。手を叩いたような。弾くような音。


 ——パンッ

 ——パンッ

 ——パンッ

 ——パンッ

 ——パンッ


 違う。

 手を叩く音じゃない。

 これはあの夢の中で聴いた壺の封印を叩く音——。


「音の、音のする方へ——」


 滑る床を蹴って立ち上がり音のする方へ走った。無我夢中に。何も視えなくても。その音のする方へ。ただがむしゃらに。走って走って。でも音はどんどん遠のいていく。でもそれでも、今自分以外の存在はそれしかない。それを見失ったらわたしはこの無の世界に閉じ込められ、二度と外には出れなくなる。


「音の、音のする方へ——」


 息が苦しい。肺が限界だと言っている。でもそれでも——。


「音の、音のする方へ——、行かなくちゃ」


 縺れる足を動かして。はち切れそうな太腿の筋肉を動かして。脹脛が千切れてしまいそうでも。走って走って。そして——。


 肉体が限界を迎え意識が朦朧とし始めた時。

 わたしには視えた。


 視えないはずのものが。

 訊こえないはずのものが。


 訊こえた。



『ここから出して。助けてわたしを——』



 暗闇の中青白く光る文字の海。アルファベット、数字。漢字、平仮名、カタカナ。異国の文字に記号——。

 大小様々な文字の海で溺れる女性の姿とその声。わたしもその海の中にいる。


「あっ」


 文字の中に見覚えのあるものを見つける。網膜から流れ込む文章。膨大な文字に紛れ混んでいる。でも、読む、読めるだけ、読む——。


《ゆららさん、続きも読んできました。なん6?satyj$%つ気が違ってびっくりしました。ダークa49fs2%$&ゃなく、今kaie*+<egなホ+kG&$%LJCね。面白く_.v,rpgsjiio654fvhlvarnあの、そ_/VOHYhfcqv ndytkょっと気に公衆電話の太郎くんを書くその後お変わりはないでしょうか。実は、その、読んだ内容を試sut/.,nうるt3/?そreh>#kou霊j:t+!eになるn@5haと思i6&$-なn!d+か気になりまS|た。危&%"#目n=31&%"#ですが。良かったらいつでもSN?n&%><*+#いね》


 ——これは、わたしの書いたコメント。文字の海で溺れている女性。あれがきっと、ゆららさんだ。


 朦朧とする意識を振り払い、文字の海を掻き分け必死に手を伸ばす。青白い文字が指の間を幾つも幾つもすり抜けてゆく。もっと手を。ダメだ。届かない。もっと、もっと手を伸ばす——。


「ゆららさん! ゆららさん! わたしマヤです! コメントでやりとしていたマヤ魔界です! ゆららさん手を伸ばして! こっちに早く!」


 閉じていた目を開け女性がこちらを向いた。間違いない。中嶋さんに見せてもらった写真の娘、中嶋美咲——ゆららさん——で間違いない。


『助けて——、助けて——』

「ゆららさん! 中嶋美咲さん……!」

『助けて——、助けて——』

「はやく、こっちに手を手を——」


 声が聞こえるのに。目も開いたのに。ゆららさんは文字の波に飲み込まれていく。


 刹那。

 

 螺旋状の羅列した文字がゆららさんを縛りあげた。炎のように燃える無数の文字。その一文字一文字は蛇の鱗のように脈動し、ゆららさんの身体を締め上げていく。「ゆららさん!」名を呼び手を伸ばすけれど届かない。それにゆららさんの人形のような虚な瞳。くうを見つめる瞳にわたしの姿は映らない。「ゆららさん!」手を伸ばす。届かない。それにどんどん離れていく。わたしがまた無の世界に落ちてゆく——。


 声が聞こえる。

 頭の中で。


 ——あはははは。うふふふふ。


「誰——」


 ——あはははは。うふふふふ。


「ゆららさんを返して! 私達を元の世界に戻して!」


 手を伸ばし叫ぶ。でも闇の世界へ落ちていく。ゆららさんの姿がだんだん視えなくなっていく。訊こエル。声が——。


 ——あはははは。うふふふふ。僕、飽きちゃった。僕ね、飽きちゃったの。


「何に、何に飽きたっていうの……」声を絞り出す。音が喉に絡まっている。


 ——女に、飽きた。


 聞き返す間も無く身体が地底へと引き摺り込まれてく。ゆららさんの姿はもう視えない。声も聞こえない。無、また無の世界へ引き摺り込まれる——。


「ゃめ……、やだ……、やめぇ——」


 ぱんっ。

 乾いた音がした。

 ぱんっ。

 頬に痛みが走った。

 ぱんっ。

 すぐに反対の頬にも痛みが走った。


「かはぁ」

 嗄れた声。

 肺に空気が入り込む。

 どうやらわたしはまだ、生きていた。


 

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