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「の、らこ——」
「そう、野良蠱」ラブちゃんは頷き、「冷えてきたわね」と自分の身体を摩った。確かに。雪のちらつく空の下。わたしの鼻先も指先も感覚がない。でも、それだけじゃない——。
——中国最強の呪力が野放しになっている。
魔術や呪力のことは分からない。
でも——。
——それが、とてつもなく悪いモノだと言うことは理解できる。
「これはわたしの推測だけど、リンメイシァオは、この家の家財道具一切を片付け、家をきれいに整えて業者を手配した。一年後、蠱毒が完成した時期に合わせ、家具類を引き取りにくるようにとね。自分の遺体を発見してもらう為じゃないわ。人形を引き取らせる手配をしておいたってことね。
準備が整ったリンメイシァオは、人形を別室に飾り、蠱毒を行うための個室に入った。狭い部屋に貓と自分を一年間閉じ込めて、貓が殺し合い、共喰いするのを見ていた。最後に生き残った貓は飢えに苦しみ、リンメイシァオの肉体を喰べた。そして、最後まで生き残った貓が蠱となった。
貓鬼は虚な人形に入り込み、そこを住処とした。貓鬼には別に住処なんていらないはず。でも、そうするようにリンメイシァオはしておいた。そうすれば、人形に入り込んだ蠱は誰かのところへ確実に流れていくからね。ただ、代々続いた名前だけは残したいと、『
「都市伝説の説明?」カイリ君が聞く。
「そう。貓鬼は基本的に感情なんてない。意志がないのよ。作られた妖怪みたいなもんなんだから。誰かを恨んでるわけでもない。ただの呪い。常識も何もない。悪いと言う概念も、良いという概念もない。ただあるのは、呪いを発動し、魂を喰らうという目的だけなのよ。本来は、ね——」
「本来は、というと?」白い息を吐きながら棚橋さんが尋ねる。
「インターネットに人形の写真が載った瞬間、貓鬼はネットの電波に潜り込んだと仮定するわね。ネットの世界には貓鬼の大好物な感情がばら撒かれている。匿名の非難中傷に始まり、自殺願望に殺人願望、愛憎の縺れに妬み、僻み云々が溢れかえってる。
脳内で映像が再生されていく。
ゆららさんのアイデアノート。
『ササゲルホドゾウショクスルイシ』と殴り書きしたページ。
染み込んだ血の跡——。
確か、『ゾウショク』と『イシ』の文字に血が落ちていた。血の契約を交わし、
自分という主人を。
そして——。
公衆電話の太郎くんという名前を得た。
中国最強の呪術。
恐ろしい邪術。
蠱毒を電波に変換して伝播させた。
『公衆電話の太郎くん』という都市伝説を宣伝広告に使って——。
存在意義——呪いを発動し魂を喰らう——を永遠に失わない為に。
「それってどうしようもできないじゃん」言葉が口から溢れる。
「中国最強の呪い、猫の妖怪って。そんなものが電波に乗って、世界中に広がっていって、それを一体どうしたら解決できるっていうの? 無理でしょ。どう考えても。だって、ゆららさんの書いた設定には、一度契約を交わしたものは、破棄することができないって書いてあった。それはつまり、誰かを呪いはじめたら最後、生贄を差し出し続けるか、自分が死ぬかの選択肢しかないってことだよね?」
「そうね、きっとそういうことよ」カチッと煙草に火を付けラブちゃんは答える。
「生贄として名前を言われ、呪われた人は恐怖ウィルスに感染する。視えないはずのものが視えはじめ、訊こえないはずのものが訊こえはじめ、そして恐怖に脳が支配されていく。電波に入り込んだ貓鬼はその感情を喰らい、最後は魂を喰らう。そういうことにもなるよね」
カイリ君の言葉にラブちゃんは煙を吐き出しながら頷く。腑に落ちない顔をしている棚橋さんは「まさか」と呟いた。
「そんなことで人が死ぬなんてことがありますか? もしそうだとしたら、自分達警察は何もする術がない。今回の件、カイリ君のお姉さんが公園で亡くなり、その後も似たような不審死が相継ぎました。いや、今もなお続いている。それを解決できると信じて、自分は今、ここにいます」
シンと一瞬間があった。
呪いで殺された殺人事件。
刑事である棚橋さんはなす術が無い。
それをここにいる誰もが知っている。
そんな、間——。
ラブちゃんが白い吐息を漏らし「そうね」と口を開く。
「解決策はないかも知れない」
「そんな」
——やっぱり。
でも——。
「中嶋さんとの約束は果たしたい」
「そうだよね。その手がかりは今のところここにしかない」
「うん」
「それにトシちゃんはこの件を見届けて。日本では呪殺は犯罪にならない。でもこれは紛れもない犯罪よ。だって誰かが誰かを呪って殺すんだから。それに、この後。あの家に入った後。もしもあたし達に何かあったら助けて欲しい。何が起こるか分からないから」
「自分、分かりません。でも——、分かりました。皆さんをお守りします。それが警察の仕事ですから」
「トシちゃんかっこいい。さすがあたしが一目惚れした男ね。それでカイ君は——」
「僕は、見届けたい」
「分かった」ラブちゃんは短くそう言うと、建物の方に顔を向けた。その顔の動きを目で追い、私達も建物に視線を向ける。灰色の重たい雲。濃い緑に囲まれた茶色い洋館。気味の悪い暗闇の窓ガラスからは、じっとこちらを窺う気配がする。
——怖いけど、行くしかない。
ぎゅ。
汗ばむ冷えた手を握る。
ふう。
白い息が空に舞う。
は——
ラブちゃんの息を吸う音が聞こえた。
「とりあえず、行くしかないか。全く解決策は見つからないけど、言うても所詮猫。猫は家に棲むものだから、ネット上で彷徨っていても、最後はあの家にまた戻ってきているかも知れない。それに本来貓鬼には実態がないはず。でもリンメイシァオは人形を容れ物とした。それがあそこにあれば、何かしら手立てがあるかも知れない。それに、真矢の見た悪夢。その悪夢が現実とリンクしているならば、あの家のどこかにその三角形の部屋があるはずよね。そう信じて、まずは足を踏み入れる」
「ど?」とラブちゃんの短い問い掛けに無言で頷く。
——わたしは自分の目的を果たしたい。娘の帰りを待っている中嶋さんの元へ、美咲さんを連れて行きたい。その手がかりが少しでもあるならば、行くしかない。
「行こう。化け猫退治へ」
ジャリッと小石を踏みしめて私達は建物へと向かった。
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