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中国最強の呪術——こどく。聴き慣れた『孤独』と同じ音程で頭がこんがらがり、思わず「孤独?」と聞き直す。
「そう、
ラブちゃんの説明を聞きながら『皿』の上に『虫が三匹』と脳内で文字を組み立てて、さっきみた悪夢が一瞬でフラッシュバックした。
床に置かれた大量の壺。その壺を封印した布に書かれた羅列した漢字。その中に、蠱の文字を何度か視た気がする。なんと読んでいいのか、日本語かどうかも分からなかった文字——
ぷつぷつと肌が粟立つ。夢でみた壺の封印に書かれた文字が、ラブちゃんが説明した文字と一致。
——偶然? まさか。
悪夢に魘されてみた光景。そこには何かしら意味があるはず。ぎゅっと手を握り「ラブちゃん」と夢の話をする。
「わたし、その漢字をさっきの悪夢でみた。夢の中でわたしは三角形の部屋の中にいて、そこには大量の壺があった。その壺の口はどれも硬い動物の皮のようなもので封印されていて、そこには漢字がいっぱい書いてあった。その中にその文字があった」
「それは本当?」
「うん、読もうとしても漢字ばかりでなんて書いてあるか読めなくて。でも、確かに視た。その時に見た事の無い漢字だと思ったから間違いない。それに、夢だけど夢じゃない。その壺の中から助けを求める声がして、それでわたし必死に紐を解こうとして、でも、無理だった。その時の傷がほらこの爪先の傷——」
短く切り揃えた爪の隙間には血が滲んでいる。硬い紐を引っ張り蓋を取ろうとしてできた擦り傷。微かに血の滲む指先をみんなに見せた。ラブちゃんはわたしの手を取るともう一度、「本当に見たの?」と聞く。ひんやりとした冷たい手。ラブちゃんの顔を見て無言で頷くと、「すいませんラブちゃん」と、棚橋さんの声が聞こえた。
「自分、職業柄、非科学的なことはあまり信じていません。正直今でも半信半疑で動いています。それでラブちゃんはさっき、呪術と言いましたが、それは一体どういうモノなんでしょうか。相次ぐ不審死、その死に関係が?」
「トシちゃん、関係があるかどうかはまだ分かんない。でも、キナ臭いわよ。ぷんぷん臭う」
「ぷんぷん?」
「そう、真矢の悪夢にも出てきてるし」
「悪夢——」
棚橋さんが押し黙る。
「それで、その蠱毒ってなんなの?」と、今度はカイリ君がラブちゃんに尋ねた。カイリ君はいつの間にか腕を降ろしている。それに、カイリ君の持っている棒の煙は細い糸のようになっていた。自分が手に持つ棒も見る。ちらつく雪が触れて溶けたせいなのか、わたしの煙も糸のようなっている。不意に訪れる不安。
——浄化の煙がいつの間にか辺りに漂っていない?
カイリ君の質問に「蠱毒はね」と、ラブちゃんがわたしの手をそっと離す。ひんやりとした手の感触が消え失せ、代わりに冷たい空気が肌に触れた。居場所が無くなった手をスーツのポケットに突っ込む。硬く冷たい感触。スマホが氷のように冷えていて、また手をポケットから出した。それに——。
蠱毒——皿に虫が三匹乗った毒——。漢字をイメージする限り気味が悪い。公衆電話からの着信を思い出し、スマホを触る気分にはなれなかった。ラブちゃんはゆっくりと話を続ける。
「中国最強の呪術と言われてる。蠱毒は人の命を狙うし、時には財産さえも全て奪うことができる最強の呪術として畏怖されている。人を呪い殺し、財産まで奪い取る。その
喉の奥、低い音が鳴る。人の命を狙う、財産さえも奪う中国最強の呪術。言葉を反芻し身震いした。ラブちゃんの声が低く辺りに響く。
「
「ひとつの例?」カイリ君が尋ねる。
「そう、蠱術の世界は謎に包まれているの。蠱毒は多種多様でどんな姿形をしているのか、出来上がった蠱をどのように使うのか、それも全て謎。それに蠱術を扱う人は昔いたのではない。いまもいる。現代でも中国では
「日本にも」声が漏れる。
「そう、日本にも、もちろん。だってあんた考えてもみなさいよ。日本はかつて中国から多くのことを学んだのよ。大陸から海を渡り密教、宗教、医学に食文化。様々なものが中国から
「確かに」と棚橋さんが頷く。わたしもそうだと思った。人を呪い殺す呪術を使えますなんて、人に易々言える方がどうかしている。
「だから秘密裏に日本に入り込み、そこから日本独自の呪術もできていった。憑物筋とかを見てみても、蠱術にとてもよく似ているのよ。犬神の作り方なんてまさしく蠱だとわたしは思ってる。犬の首から下を大地に埋めて飢えさせ、食べ物を目の前に置く。踠き苦しむ犬の首を背後から切り落とし、犬神として祀るだなんて、蠱そのものだと思わない? もちろん諸説あるけれど、生き物の怨念を利用して呪術を行うというのは、まさしく蠱だと思う。中国史に出てくる最強の蠱毒は犬じゃなくて、貓だけどね」
「ね、こ?」
猫と聞き、咄嗟に町田さんの話が浮かんだ。
——猫に喰われたんですよ。
——ベッドの上に死体があって。もちろんのこと、そこには蝿が
ブンと蝿の飛ぶ音が耳の奥で聞こえた気がして耳を擦った。そんなものはここにはいない。幻聴。気のせいだ。
でも——。
脳裏に浮かぶ映像。
ベッドの上で腐敗した遺体。
そこに集る黒い蝿と白い蛆。
蝿が卵を産み、蛆虫が肉片を喰いつくしていく。
ブブブッとまた羽音が耳を擽り、冷たい耳を擦る。
飢えた飼い猫に喰われ蟲に喰われ、そして発見された遺体。
——思い出したら臭いまで思い出しそうだ。
町田さんが嗅いだ死臭。それはわたしの知っている死の匂いとは別物だ。うっと肺の奥が苦しくなり手を胸に当てた。大丈夫、大丈夫、大丈夫。呪文のように心の中で唱えていると、「大丈夫ですか?」とカイリ君の声がして、背中に体温が触れた。
「真矢ちゃん、町田さんの話、思い出したんですね」
「うん……。酷い話だったよね……。孤独死をした後で飢えた飼い猫に遺体を喰べられる、想像するだけで恐ろしい光景で——」
「猫に喰われる?」ラブちゃんが口を挟み、「そういえばそうやって言ってたわね」と腕を組んだ。片眉をあげ、空を見る。「孤独死、猫、喰われる、人形」と同じ言葉を何度も口に出しながらラブちゃんはポケットからポーチを取り出した。カチッと音を鳴らし煙草に火を付ける。細い煙が宙に舞い、その後でラブちゃんの吐く白い息が空に舞う。
「この家の持ち主、林美咲。中国名リンメイシァオがその人であるならば、今回の都市伝説の全ては説明がつくかもしれない」
——説明がつく……。
その言葉に息を飲む。寒空の下、ラブちゃんは煙草の煙を吐き出して、修行先で訊いたという、『蠱毒を扱う呪術師リンメイシァオ』の話を始めた。
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