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車の反対側まで廻ると、ラブちゃんがカイリ君に白い棒のような物を手渡しているのが見えた。カイリ君の部屋で空間を浄化する為に燃やしていた、あの白い棒。所々白い葉っぱが飛び出している。その先にラブちゃんがライターで火を付け、カイリ君の頭上にもくもくと大量の煙が立ち昇った。
強烈な吐き気の記憶が蘇る。一瞬身構え立ち止まると、わたしに気づいたラブちゃんが「こっちきな」と手招いた。
「効果が期待できるかは分からない。でも、何も無いよりはマシ」
「うん——」
鼻呼吸を停止し、ジャリッジャリッと小さく足を進める。また、あの強烈な吐き気を催したら堪らない。それに今着ている洋服はカイリ君から借りた花さんの洋服。わたしの吐瀉物で汚すわけにはいかない。逃げ腰気味に近づくと、鼻呼吸を止めているのに煙が鼻腔に入り込み脳を刺激した。でも——。
「あれ? 思ったよりも臭くない……?」
「そりゃね、あの時のあんたと今のあんたが違うからよ」
「違う?」
「そう、明らかに変化している。自分でもそう思うでしょ?」
「あ、うん——」
悪夢に魘されて、恐怖に飲み込まれていたあの時のわたしと、今のわたしは違うと思いたい。「ほらこれ」とラブちゃんに手渡された煙の上がる棒を持ち、反対の手で煙を扇ぎ恐る恐る匂いを嗅いだ。焚き火のような匂い。でも、前回嗅いだ強烈な苦い香りではなく、お線香のような、香木を燃やしたような、そんな良い香りに思える。ずっと嗅いでいられるし、嗅いでいたい。片眉を上げ、「これ本当に同じやつ?」とラブちゃんに尋ねる。
「そうだよ」
「でも、全然香りが違うよ?」
「馬鹿ね。それが、あんたが変わった証拠だって言ってるの。いい? 匂いってのは、ホルモンバランスやその日の精神状態で同じ匂いでも別物になる。もちろん、作用もその時々で違う。香りと脳は直結してるのよ。昨日の夜はあんたの中に入り込んでた悪いモノが拒絶していたからゲロを吐いたの。今のあんたがこの煙をいい香りだと感じるならば、このアイテムはあんたと相性がいいってこと」
「へえ、そういうものなんだ」
「僕はそんなに好きじゃないですね」とカイリ君の声がして顔を向ける。カイリ君は煙が洋服に付かないために——?——腕を目一杯上に伸ばしていた。煙の立ち昇る棒切れを天に掲げているスタイリッシュな黒服男子。容姿端麗も相まって非現実的な光景に「結構似合うよ」と思わず
「完全にコスプレだね。ファンタジー映画に出てくる魔術師みたい」
「僕の見た目がいいですからね。でも、この匂いが洋服につくのはちょっと——」
「カイ君ダメよ。魔除けなんだから煙を避けちゃ。でもそうね、カイ君そのポーズなかなか良いわね。着ているキサキマツシタも魔術師っぽいしお姉さん滾っちゃうわぁ〜。そうだ、あたしそれスマホの待ち受けにしちゃおっ」
「え?」と驚くカイリ君を無視して、ラブちゃんは頭の天辺で丸めたお団子ヘアーの中からスマホを取り出した。「なぜそこに?」と目を見開くわたし。
「意外性があって面白いでしょ?」
「いや、落ちるでしょ」
「でもこの服胸が開いてないのよぉ」
「だからってお団子ヘアーの中に入れなくても」
「インパクトのある面白さが大事なのぉ」
「インパクト——」
「でもおっぱいの隙間よりはインパクトは少ないわね」
「ねえ撮るならはやくして」
カイリ君の声で本来の目的——スマホ撮影——を思い出したラブちゃんが肘でわたしを小突き、「撮るよ〜」と声をあげる。「カシャ」とシャッターボタンを押したところで、離れていた棚橋さんが戻ってきた。
辺りに漂う煙の匂いに棚橋さんの小鼻がひくつく。鼻の先を指で塞ぎながら「不思議なことが分かりましたよ」と棚橋さんが話を始めた。
「この家の持ち主、中嶋美咲ですが、どうやらその名前は本名ではないようです。
ヤスさん、あ、ヤスさんというのは自分の相棒です。ヤスさんは刑事歴が長いので、中嶋美咲を調べるにはどうしたらいいかと自分、昨日の夜に相談しまして。それで、やはり、足を使えと言われまして。自分、今日はラブちゃん達と動くと伝えたところ、俺が聞き込みしてきてやると、ヤスさんが朝からこの件について調べてくれています。やはり、ヤスさんは、刑事は靴底を減らしてなんぼ世代なものですから。
あ、すいません。余計な話を。
自分、ヤスさんを尊敬しておりまして。
それで、ヤスさんがこの地区に詳しい人に聞き込みをしたところ、どうやら名前が違うらしいと。先ほど、その当時の書類を写真で送ってもらいました」
「それが、これです——」と、棚橋さんがスマホ画面を見せる。画面には古い書類の写真。自治体の書類のようなその写真を棚橋さんが指で拡大すると、手書きの名前と住所がアップになった。棚橋さんは少し興奮気味に話を続ける。
「さすがヤスさんです。こんな短時間で探してくるのですから。これは十年以上前の書類になります。この家の持ち主は自治会には入ってなかったのですが、それでも何かあった時の為にと、当時の自治会長さんが名前を記入しておいたそうです。その当時の名前は、『林美咲』。ですが、ヤスさんが聞いた話から推測すると、日本人ではなかったらしいと」
「日本人じゃなかった?」腕を上げたままのカイリ君が聞き返す。
「そうです。どうやら近所では中国人ではないかと噂されていたそうです。と言っても、全く人付き合いがなく、この情報も自治体の高齢者へ聞き込みした情報なので、断定できるまではいかず不確かですが」
「中国人かもしれない林、美咲。中国語読みだと、リンメイシァオ……」
ラブちゃんの顔色が一気に変わり、「まさか——」と呟き目を閉じた。「リンメイシァオ」と何度も小さく呟き、顎を小刻みに振っている。
「ラブちゃん?」と尋ねると、ラブちゃんはわたしの問いかけを手で制した。さっきまでの楽しい雰囲気から一変、ラブちゃんは眉間に皺を寄せ、目を閉じ考え事をしている。白い煙が霧のように立ち込める中、私達は黙ってその様子を窺う。重たい灰色の空の下、微かに降り始めた雪が鼻先に落ち溶けていく。その感触で寒さを思い出した。鼻先がつんと冷えて痛い。棚橋さんがスマホを胸ポケットに仕舞うのが見えた。棚橋さんもカイリ君も呼吸する吐息が白い。静かな時間。目的なく足元を見る。小石の上に落ちた雪が小さな黒い点となって増えていく。しばらくその様子を見ている——と、「だとすれば」とラブちゃんの小さな声がして顔をあげた。
「その人が、もしもわたしの知ってるリンメイシァオならば、中国最強の呪術、
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