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ガクンと身体が揺れ、聞き慣れない「着きました」の声で脳が再起動を始める。車のエンジン音が消え、と同時に、お尻に感じていた振動が止んだ。
ここは車の後部座席——。
棚橋さんに警察車両に乗せて貰ってそれで——。
状況を確認するように記憶を巻き戻す。目的地までは三十分と聞いていた。首都高に入ったところまでは覚えている。そこから記憶の糸がプッツリと切れた。
ということは——。
目を閉じるだけのつもりが、いつの間にか眠りに落ちていたということ。隣に座るカイリ君に「怖い夢じゃなかったみたいですね」と言われ、「うん」と頷いた。夢は何もみなかった。
——多分、だけど。
おでこを触る。汗は掻いていない。額の一部が冷たいのは窓ガラスに触れていたからだ。ほっと息を吐き、「良かった」と独り言ちた。ここ最近まともに寝ていない。暖かい車内、車の振動を感じているうちに一瞬で寝落ちした。と、現実的に理解してまた「良かった」と呟いた。
「微動だにせず眠ってましたよ」カイリ君が隣で笑う。
「うん、一瞬で寝落ちしたみたい」
「ほら、
「えっ」と急いで口元を触る。でも、それはどうやらわたしを
「僕たちも降りましょう」
「そうだね」と車を降りる。
外に出ると思った以上に気温が低く、白い息がふわりと舞った。冷たい空気が肺に入り込み、現実感が一層増す。「良かった」と空を見上げた。自分の吐く息が靄をかける向こうは、朝焼けとは様相を変えた灰色の重たい雲。雪が降る。そんな気がした。
辺りを見渡す。視界に入る景色は住宅街——、なのだろうか。東京都内とは思えないひっそりとした閑静な場所で、手入れの行き届いた洋風の庭木が生えている。庭の奥には古びた、だけれども高級感の漂う石造りの洋館。周辺の木々に溶け込むような茶色の洋館に息を飲み、町田さんから聞いた話を思い出す——。
——これは死臭だとピンときて。
ぞくっと全身に寒さを感じ肩を寄せラブちゃんに近づいた。ラブちゃんは洋館を見ながらすでに煙草を吸っている。その吐く煙が寒さのせいで面積を増やしていた。風がない。煙草の煙はラブちゃんの上へと昇っていく——。
「すごい豪邸。それに手入れが行き届いてる。想像していたイメージとちょっと違うわね」
「うん。わたしも。もっとぼろぼろの古い洋館だと思ってた。だって——」
——猫に喰われたんですよ。
町田さんの声が頭の中で響く。猫に喰われた孤独死の女性。この大きな屋敷の中で、一人死に、その後で飼い猫に遺体を喰われた——。女性の名前は、中嶋美咲。戸籍上、生きていれば百五十歳。でも、警察は現実的に考えてそれはないだろうと、その遺体を身元不明の女性として処理をした。
「行くよ」とラブちゃんの声が耳朶に流れ込み、きゅっと唇を噛む。ガタイのいい背広姿、灰色のスーツを着た棚橋さんが先を歩き、次いで黒服を身に纏ったラブちゃんとカイリ君の姿。いけない。考え事をしていて、一歩も二歩も出遅れている。急いで駆け寄り皆の後に続く。
前を歩く棚橋さんが「不法侵入は違法行為です」と言うのが、ジャリッと小石を踏む音に混じり聞こえた。わたしもそう思う。でも、ここまで来て洋館に入らずに帰るわけにはいかない。
——あんたはあんたの目的を果たしな。
ラブちゃんの言葉を噛み締める。中嶋さんと約束をした。娘さん——ゆららさん——を探し出す手掛かりは今のところ、人形の元の持ち主の家、ここしかない。でも——。
押し寄せる不安。恐怖が頭を擡げはじめている。背中がぞくぞくと冷え始め、建物に近づくほど呼吸が浅くなってくる。ここに入ってはいけない。動物的本能がそう訴えている。でも——。
——怖くない。怖くない。怖くない。思い出せ、思い出せ、思い出せ。
胸に手を当て、ラブちゃんが教えてくれたことを思い出す。自分の存在意義。確固たる芯。自分の中にある軸を見失わなければ、大丈夫——、の、はず。でも。
建物の手間で足を止める。玄関の扉までは段差が二段。ラブちゃん達は玄関扉まで進みそこで話をしているけれど、わたしはその場で足がすくんだ。怖い。ダメだと分かっていても怖い。入ってはいけない。絶対に。もうひとりの自分が耳元で囁く。
——入ってはいけない。絶対に。
冷静になろうと頭を降り、一歩下がって建物を見上げる。古くて茶色い重厚な建物。二階の窓ガラスはいくつも横に並び、闇を連想させる。建物の中は暗い。誰も住んでいないのだ。電気も水道も、ガスも、ライフラインの消えた家。誰もいない家。誰も、何もいないはずの家——、なのに。
——いる。
二階の窓からこちらを視ている。
視えないけれど、視える。
わたしには、それが視える。
昔祖母の家で視た黒い存在。
闇夜の海から這い出てくる黒いモノ。
それは気のせいだと蓋をしてきたモノ。
——いる。
何かがいる。
何か分からないけれど感じる。
視られている。
それに——。
訊こえないけれど、訊こエル——。
訊こエル。
訊こエル。
あはははは。
うふふふふ。
ここまできたんだ。
——い、や……。
訊こえない。
そんなものは幻聴だ。
耳を手で塞ぎ、目を閉じて俯き首を振った。
聞こえない。
聴こえない。
訊こえない。
全て幻聴。
幻聴、幻聴、幻聴、幻聴。全て幻聴だ。
「真矢ちゃん」カイリ君の声がしてプツッと妄想の紐が切れた。
良かったと息を吐く。
やっぱりただの気のせいと顔をあげた。
でも——
「え……?」
さっきまでとは別の場所で脳内処理が追いつかない。
ここはどこ、みんなは——
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