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「ああん、もう〜っ! パトカーに乗れるんだと思ってたぁ〜。パトカーの窓からドヤ顔で、煙草を吹かしてみたかったぁ〜!」


 走り始めた車内で助手席のラブちゃんが駄々を捏ねる。刑事の棚橋さんはそれを「パトカーは無理です。それに車内は禁煙です」と冷静に受け答えた。ラブちゃんは「きんえ〜ん?」とまた駄々を捏ねる。そんなやりとりを聴きながら、実はわたしも少し思っていた。刑事さんが車で迎えに来る。それはもしかしてパトカー? と。


 普通の黒いセダン。それでも警察車両だと中に入れば分かる。運転席と助手席の間には通信機器。刑事ドラマでよく見る風景がそこにはあった。それとイメージ通りなことがもうひとつ——。


 ——車の中がおじさん臭い……。


 棚橋さんが「自分とバディを組んでいる刑事は定年間近の男性で——」と言っていたから、その人の香りかもしれない。後部座席、隣に座るカイリ君はさりげなくミニボトルの消臭スプレーを取り出して、シュッと洋服にかけている。いつも通りエッジの効いたデザインの黒服。でも今はその黒服を変な洋服と思うことはない。それにラブちゃんも「花ちゃんの弔い合戦だから」と、花さんのデザインした黒服に身を包んでいる。そんなことを言えば、わたしも——。


 ——花さんのデザインした、キサキマツシタの黒スーツ。確かに着心地も良いしカッコいいかも。


 利用価値が無さそうなポケット。斜めにカットされた襟や裾。モードスタイルに身を包み、心なしか田舎者を抜け出した気分になる。そんな事を考えていたのがバレたのか、カイリ君がこちらを向き片眉をあげた。


「真矢ちゃんはあまり似合いませんね。背が足りない——」

「煩い」


「あら」とラブちゃんが助手席から顔を出す。


「そんなことはないわよ。だって花ちゃんもそんなに背が高くなかったし。それにあたしがメイクしてあげたから、昨日よりずっと良いわよ。ねぇ、トシちゃん」


「ねえ、トシちゃん」と話を振られた棚橋さんはバックミラーを指で動かし、わたしをチラッと見ると、「自分も、そう思います」と短く答えた。鏡越しに一瞬目が合った棚橋さんが、昨日焼肉屋で話した時よりも凛々しく見える。切れ長の目が鋭く思えるのは、今が勤務時間内だからかもしれない。短く刈り込んだ丸坊主にグレーのスーツ姿。刑事——だと知っていなければ、その筋の人に見えなくもない。何気に楽しい雰囲気の車内。でも——。


『ブッ……ブブッッ……』と無線がつながる音が聞こえ、次いで『港区管内……』と男性の声が聞こえた。『マンションの一室で男性の変死体。首に絞殺痕あり……ザザッ……しきゅ……ザザザッ……』乱れる無線。一瞬にして空気が張り詰める。一瞬聞こえた『首に絞殺痕あり』の言葉に思わず拳を握る。


 ——そうだ。ラブちゃんは敢えて楽しい雰囲気にしているけれど、今から向かう先は『公衆電話の太郎くん』の人形、その元の持ち主の家……。


 窓の外に顔を向ける。車窓から見える景色は都会の風景で、どことなく空気が曇っている。重たいコートを羽織り、歩道を歩く無表情な人々。ヘルメットをかぶった男性が細いフレームの自転車に跨がりその横を通り過ぎていく。トラック、タクシー、自家用車に自転車にバイク。地元で見る通勤ラッシュとは装いの違う都会の朝が車窓を流れていく。


「実は——」と棚橋さんが慎重な声で切り出すと、車内の空気はまた一層緊張感を持った。


「絞殺痕が付けられた変死体ですが、何で締められたのかが大体判明しました」


「なんだったんですか?」と、カイリ君が運転席のヘッドを掴み、棚橋さんに尋ねる。カイリ君の大事な人、花さんの死因も同じ不審死だ。


「公衆電話の受話器から本体に繋がっているケーブルです。まさか自分もそんな筈はないと思っていましたが、昨日の夜ラブちゃんからLINEを貰い、検死を担当された監察医の先生にお伺いしたところ、痕としては一番整合性が取れると。ただし、長さが——」


「長さ?」カイリ君が運転席を覗き込んで聞く。


「通常の公衆電話についているケーブルで犯行に及ぶには、長さが足りないのではないかと。変死体の絞殺痕は二重に巻かれていたので。その辺り、まだ、確認中です——」


 どさっと後部座席に背中を預け「姉さん」とカイリ君が呟くのが聞こえた。ぎゅっと洋服の裾を握る。


 ——姉さん……、花さん。


 カイリ君の家を出る前、花さんの小さな仏壇に手を合わせてきた。こじんまりとした小さな仏壇には、カイリ君のお父さん、お母さん、花さん——本名木崎花きさきはな、享年三十歳——の位牌が収まっていた。広いリビングの奥の壁際、言われなければ分からない程空間に溶け込んだお仏壇。その存在を知り、本来ならカイリ君の家に入って真っ先に、そこで手を合わせるべきだったと反省した。


 手を合わせ、目を閉じると、花さんと交わしたコメントの数々を思い出し、込み上げてくるものがあった。わたしのことを『マヤちゃん』と愛称で呼び、お葬式エッセイを更新する度にコメントを書いてくれた人——。


『私が知らないだけで、お葬式って本当に色々ですね』とコメントを貰ったことを思い出し、花さんのご葬儀はどんなお葬式だったのかと思いを巡らせた。ご両親を亡くされ、二十歳から幼い弟を育て、家業を継ぎ、厳しい業界で、デザイナーとして成功の道を歩き始めた矢先の死——。


 ——無念だったと思う。


 その死の原因を調べて、カイリ君がわたしを探してくれなければ、わたしはWEB小説サイトで交流していた、百鬼花入——花さん——が亡くなっていたことを知らないままだった。顔の見えないネット上のつながり。でも、お互いに書いた作品を読み合い、交流した執筆仲間はかけがえのない友人だと思える。花さんは近況ノートにお花の写真を載せ、その花言葉を不定期更新で『花日記』として公開していた。丁寧な文章から漂う印象で、落ち着きのある大人な女性だと思っていた。


 それがわたしと変わらない年齢で、既に亡くなっていただなんて——。


 目の奥が痛み始め、きゅっと唇を結んだ。

 カイリ君は約束してくれた。


 ——姉さんがここにいた証として、百鬼花入のアカウントは絶対に消しません。


 登録している小説サイト。ゆららさんのアカウントは完全に消去され、ゆららさんから貰ったコメントも、レビューも、何もかもが消えていた。それはまるで最初から存在していなかったかのようで、その全てが消え失せていた。今後カイリ君が『百鬼花入』のアカウントでログインできるかは分からない。でも、それでも、アカウントが消えない限り、花さんとの交流した日々はそこに残り続ける。花さんの存在がわたしの中で消えることはない。


 ——花さん、出会ってくれてありがとうございました。わたし、絶対に忘れません。ご冥福をお祈りいたします。


 改めて心の中で呟く。


 ——絶対に忘れない。そして必ず中嶋さんとの約束も果たす。


 いつの間にか握りしめていた拳を解き、両手を重ねた。車内はもう充分過ぎるほど暖かいのに、酷く冷たい指先を掌で包む。


 窓の外、風景が灰色の壁に挟まれた首都高に切り替わった。目的地まで三十分だと聞いている。


「少し眠る」とラブちゃんの声がして、助手席の窓ガラスに頭を寄せるのが見えた。焦げ茶色のふわりとした長い髪が助手席と窓の隙間から後部座席にはみ出て、甘い香りを運ぶ。ラブちゃんの煙草の匂い。車内は完全禁煙で、ラブちゃんは煙草を吸っていない。残り香が鼻腔を擽り、わたしも目を閉じた。


 目の奥が痛いのは、寝不足のせい。

 眠るのが怖い。

 だから、目を閉じるだけ——。


 車のエンジン音と走行する振動。身体を窓に預けているうちに、意識が頭上から少しずつ降りていく気配を感じていた。




 



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