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 何度閉じてもまた目を開けるご遺体。

 美琴ちゃんの友達。

 立花莉子さん、享年十七歳——。

 あの時だけは本当は少し怖かった。

 薄く開いた口。

 瞳孔が開いた虚な瞳の奥。

 水晶体の中に映り込む恐怖の色——。

 

 思い出し、頭を振る。ラブちゃんは静かに続きを話す。


「もともと家系的には寄って来やすい体質。つまりチャンネルが合いやすい。でも、真矢はそれを強制的にシャットアウトして働いていた。シャットアウトできるのは凄いこと。でも、そのシャットアウトの背景に忌み地が関係している」

「シャットアウトの背景……」

「そう。真矢の祖母の家、昔火葬場のその土地が真矢の母方の家系に纏わり付き、良くないモノを呼び寄せる」

「よ、くないモノ……」

「うん。不安や恐怖を煽り、私利私欲に塗れた低俗な低級霊を母体とした宗教団体、霊媒師、占い師、そういう類に利用されている。思い当たることはない?」

「あ、る……」


 実家の母も祖母も、事業の経営不振や体調不良、あらゆる根源は『霊』の仕業だとそういう輩に説き伏せられ、それを信じて今まで騙されている。結果、旅館は倒産したのに、それさえも『霊』の仕業だと——。


 ——吐き気がする。


「低俗な低級霊ほど崇め奉られたがり、金銭の要求や奉仕を求める。真矢はそういうのが嫌いでしょ? 拒絶して生きて来た」

「うん。大嫌い。お母さんもおばあちゃんもすぐにそういうモノにすがり信じて、話が通じない。わたしが葬儀会社で働く事も悪霊に取り憑かれているからだって言うの。本当は、そうじゃないのに——」


 ぐっと喉の奥が鳴る。わたしが葬儀会社で働いているのは自分で決めた事。悪霊のせいなんかじゃない。故人様の最後、ご遺族の皆様の思いを汲んでお見送りをする。その仕事に誇りを持っている。


 でも——。

 言えない。

 信者にはなにを言っても通用しない。

 自分の信じる神様こそこの世の救済だと信じて疑うことがない。

 それにわたしも——。


「だから真矢は目に視えない存在をシャットアウトできる。でもね、それは拒絶からくるシャットアウトで、本質じゃない」

「本質——」

「そう。幼少期に植え付けられた恐怖に飲み込まれないだけマシだけど、それでは真矢は変われない。思春期の子供と同じだよ。反抗することで自分を守ってる」

「反抗……」

「親への反抗ではなく、自分の内側から希求する心を軸とすれば本物になる」

「本物?」

「そう。それを自分で見つければ、恐怖にも不安にも打ち勝てる。真矢はできるはず。それに葬儀場だと様々な宗派のお経を聞くし、お祈りの言葉も聞く。葬儀場は真矢にとって良い環境の職場だと思う」

「わたしにとって良い環境の職場——」

「うん。邪を払ってくれる職場。良かったね、葬儀場で働けて」

「え?」


 急にぎゅッと肺の奥が苦しくなった。そんな事、身近な人に言われたことがなかった。みんな口を揃えて、葬儀場なんて不吉な職場だから仕事を変えた方がいいと言って来た。親も、友達も、恋人も——。


 それをラブちゃんは——。


「ごめん、ちょっと——」と、涙を誤魔化す為に天井を見上げた。でも、目尻から涙が頬を伝う。それを急いで手で拭った。泣くつもりなんてない。でも、ずっと胸の奥につかえていたものが取れた気がした。誰にも言えなかった心の奥にあったもの。「わたし、いまの仕事が好き」。それがほろりと溢れていく。肺の奥、身体の中心に温かさが芽生え、全身に広がっていくような気がして、湧き上がる感情で胸が苦しくなった。両手で顔を覆い、「ラブちゃん、ありがと」と絞り出す。この感覚を、味わっていたい。そう心が言っている。


 静かな時間。

 ここにあるすべての存在が、わたしが落ち着くのを待ってくれている。

 心の中にもうひとりの自分がいる。

 自分と自分が対話する——。


 ——なんで葬儀会社の仕事が好きだと大きな声で言えなかったの?

 ——自分の中にも葬儀会社に偏見があったんだよね?

 ——それでも素晴らしい仕事だと誇りを持てる。

 ——わたしは、葬儀会社で働く自分を認めてる。

 ——一言では語り尽くせない人生の一部に触れさせて貰えるこの仕事が、好き。

 

 高揚した感情が頂点を抜け、落ち着き始めた心が言葉を発する。


「わたし、葬儀会社の仕事が好き。宗教に嵌ってしまう親への反発からじゃない。自分が選択して葬儀会社で働いてる。でも同じ業界以外の人にそう言うの、できなかった。親からも反対されているし、よくそんな仕事してるねって、思われそうで……。でも、この仕事は、沢山の人生を教えて貰える。人を大切に思う気持ち。生きるってどういうことか、普通じゃ学べないことを沢山教えて貰ってる。だからね、ラブちゃん、あたし、葬儀会社で働くの、好き。そう思える自分も好き」

「うん。そうだね。そう思うなら今回のこと解決して、また戻ったらいいよ。そこが真矢の居場所。真矢を必要としている人がいる。それに、その涙はいい涙だね。ちゃんと自分でチャンネルを整えた」

「チャンネル……?」

「そう、チャンネル。真矢の奥底にあるわだかまりを真矢は自分で解き解放した。わたしはそのきっかけを話しただけに過ぎない。人はね、結局のところ自分でなんとかしなくてはいけないの。今ある恐怖も、幼少期のトラウマも、家族の問題も。その一番いい方法は、自分の存在意義を認めること。それはすべての恐怖に打ち勝てる根源だと思う。真矢は今それができた。胸に感じているその温かい感覚。その感覚を自在に操れるようになったら、記憶は消さなくてもいいかもしれない」


「本当?」と聞き返す。記憶が消えなくてもいいと言うことは、ラブちゃんの事もカイリ君の事も、美琴ちゃんや中嶋さんの事も忘れてしまわないと言う事。わたしの中からその人の存在が完全に消える事は、わたしにとって、その人の死に近しい。


「あんたがそれをできるようになるならね」


 ——わたしができるように、なるなら……。


 自分の軸を持ち、恐怖に打ち勝つ。それができるようになれば、記憶は消さない。出会った人を忘れることはない。わたしはそれを、望む。


「できるように、なりたい」と、意思を込めて言葉に出した。ラブちゃんは「ふふふっ」と優しく微笑み、パチンと指を鳴らした。


 瞬間。

 空気が一変する。

 テレビの音も耳朶に流れ込み、カイリ君が隣に座っていた事も思い出す。

 さっきまではラブちゃんの姿しか視界に入り込んでいなかった。


「え、あ——?」

「真矢ちゃん?」

「カイリ君、ずっと横に居たよね?」

「もちろん。でも真矢ちゃんは完全に僕の存在忘れていましたよね」

「あ、うん——」


 不思議な感覚。

 別次元から戻って来た。

 それに——。


 胸に手を当てる。

 感情が昂り全身を駆け巡って——温かい。

 自分の中心に軸が、ある——。

 それをわたしは、知っている。

 そうだ、わたしの中には確固たる軸がある。

 わたしはそれを、知っている。


 「うん。大丈夫。忘れない」


 決意を固め頷くと、カチッと小さな音が聞こえた。視線を動かす。ラブちゃんはあぐらを解いてソファで足を組み、紫煙を吐き出している。半乾きの長い髪をくしゃっと手で揉み、ラブちゃんは「それで?」といつもの調子を取り戻す。


「もう一度聞くけど、その友達は霊感が強い?」


 その問いかけに「視えないモノが視えると言ってるけど、怖がりでそういう類には近寄らない」と答えた。今回の件も美琴ちゃんが京子にTwitterで連絡をして来たのをわたしに振って、そのあとは知らん顔だ。出会った高校時代からの京子についてかいつまんで説明すると、ラブちゃんは「問題ないね」と言った。


「え? 本人曰く、霊感が強いのに?」

「視えるって自分で言う人ほど、視えないから」


「なるほど」と、妙に納得する。確かにそういう人は胡散臭い。母を騙す新興宗教の人は大体「わたし、視えるんです」と言っている。


「それじゃあ——」と、ラブちゃんはソファから立ち上がった。細い煙草を指に挟み、紫煙をふう〜と長く吐き出す。部屋に広がる白い煙。その甘い香りが鼻先に届いた。


「準備して出かけるよ!」



 

 


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