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 美琴ちゃんの最後がフラッシュバックする。脳裏に浮かぶ映像を振り払う為に下を向き頭を強く振った。


「ほらほら〜! 顔あげて! 応急処置にしかならないけど、なんとかしてあげるから。カイ君、この家中の電気を全部つけて。とりあえずこの場を清めるよ!」

「この場を清める?」

「そう。辛気臭いこの雰囲気。すぐまたつけ込まれるわよ〜。ほら! 急いで急いで〜」


「あ、うん——」カイリ君が動き出し、部屋の電気を付け始める。天井に埋め込まれた間接照明にスタンドライト、キッチンの調理用ライト。部屋がどんどん明るくなり始め、少しずつ心が落ち着きを取り戻していく——気がする。


「玄関から廊下、トイレにバスルーム、全部よ、全部! なに突っ立ってんの? ほら、あんたも動きなさ〜い!」

「う、うん——」


「しっし、はやく動け動け!」と、ラブちゃんに追い立てられて、わたしもカイリ君のあとを追う。カイリ君は廊下に出て、いくつかある部屋に入りライトを付けている。それならと、トイレの電気をつけ、バスルームの電気を付けた。パッと明るくなるバスルーム。目の前の光景に一瞬にして背筋が凍る。


 ——夢と、おんなじバスルーム……。

 

 昨日、カイリ君の家に来てトイレには入ったけど、バスルームには一度も足を踏み入れていない。なのに、なぜ——。


——夢に、入り込まれてるから? 夢と現実が混ざってるから? だから同じバスルームなの……?


「いゃ……」


 急に怖くなり駆け出すようにリビングに戻った。入ったことのないバスルームと同じバスルームが、夢に。夢か現実か、境目が分からなくなっているのが、怖い——。


 急いでリビングに入ると、黒い部屋着を着たカイリ君が視界に飛び込み、ほっとした。カイリ君は不安そうに眉間に皺を寄せている。夢の中のカイリ君はそんな顔をしないはず——。


 ——だから多分、これは現実だ。


 使い古した赤色のジャージに視線を動かす。ラブちゃんは、明るくなった部屋の真ん中で立っている。ジッパーが閉まらない程はち切れそうな胸。その胸元には白い棒が見える。コケシのような形をした棒。ラブちゃんはその棒を両手で持ち、目を閉じて異国の呪文のようなものを唱えている。不思議な言葉。聴いたことのない言葉——。低い唸り声が部屋に響く。


 ——呪文、だよね……?


 喉に声を詰めて震わせているような音が腹の底に響く。重低音。ノイズの混じった声は同じ抑揚とテンポで繰り返されている。まるでそれは身体全身が楽器になっているようで——。


 声に意識が持って行かれそうになる。身体が硬直し、ラブちゃんから目が離せない。——と、音が止みラブちゃんは大きく息を吸った。ゆっくり目を開けたラブちゃんが手に持っているのは、どうやら白い葉をぐるぐる巻きに縛った棒のようで、所々葉っぱが飛び出ていた。


「終わった?」

「うん……、あのさ、ラブちゃんバス——」

「話は後で。まずはこの部屋の中を浄化する」

「あ、うん……」

「じゃ、始めるわね。これはホワイトセージをベースにしたわたしのオリジナルで、多少の効果は期待できる」


 ラブちゃんは「効くといいけど」と呟くと、カチッと小さな音を出し、ライターで棒の先に火を付けた。


 すぐに燃え上がる炎。ラブちゃんがそれを一息で消すと同時に、大量の白い煙が棒から立ち昇った。カイリ君が天井の火災警報器を心配そうに見上げる。ラブちゃんはお構いなしに、煙の出る棒を振りまわし、異界の言葉を呟きながら部屋中を歩き廻る。天を仰ぎ、地に捧げ、白い煙が上下左右に動き回る。再開する呪文。祝詞のような切れ間のないノイズ混じりの低い声は、海岸に押し寄せる波のように繰り返し繰り返し、身体の奥底まで響いて届く。


 部屋中に充満する煙と香り。生木を燃やしたような焚き火の匂い。いや、もっと苦味のある独特な臭いに鼻が曲がる。耐え難い臭い。胃がひっくり返って吐き気を催した。と同時に、ゴホゴホと肺が悲鳴を上げ、思わず鼻と口を押さえ顔を壁に向ける。そんなわたしに気づいたラブちゃんはげきを飛ばす。


「ダメよ! 鼻を押さえないで吸い込む!」

「でぼ、かなり臭いがキツくて——」

「それはあんたが取り憑かれてるから! ほら、吸い込んで吸い込んで!」


 ——取り憑かれているから……。


「息を吸い込んで吐いてを繰り返すの。吐き気がしてもまだ我慢して。今じゃない——」

「ごほっごほっ……。い、今じゃないって——」

「つべこべ言わない。カイ君も同じだからね!」

「分かった。でもラブちゃん……火災警報器が心配……」

「終わって空気を入れ替えれば問題なし!」

「わ、わかったけど、ラブちゃんこれは一体——」

「説明は窓を開けてから。喋らないで呼吸を繰り返して!」


 再開するラブちゃんの呪文。その音が身体中に纏わり付き逃げ出したくなる。迫り上がる胃の内容物。えた臭いが口の中に広がる。ひくひくと痙攣する内臓を感じながら必死に吐き気を堪える。ラブちゃんの呪文が聞こえる。重低音の声が耳朶から流れ込み、体内を駆け巡る。その感触でまた吐き気が誘発される。


 ——もう……限界かもしれない……。


「うっ」身体がびくんと脈動して手で口を押さえる。もう直ぐそこまで吐瀉物が迫り上がって来ている——。


 ——もう、もう、無理……。


「まだダメ、まだダメよ!」


 ラブちゃんが呪文の合間に声をかける。

 でも——。

 痙攣する内臓。

 迫り上がる胃液。

 息をするのも忘れ、必死に堪える。

 耳朶に流れ込むラブちゃんの呪文。

 その重低音が身体中の細胞を震えさせる。


 ——気持ち悪い。


 拒絶反応。

 全身が悲鳴を上げている。

 視界が真っ白になっていく。

 煙のせいだけじゃない。

 意識が遠ざかる——。


「あ……しが……ばって……」

 

 ラブちゃんの声がだんだん遠くなる。


 ——だめだ……


 意識が——意識が——朦朧もうろうとしはじめて——


「キエェェエーーーー!」


 奇声を聴きながらわたしはその場で崩れ落ちた。


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