11_3
美琴ちゃんの最後がフラッシュバックする。脳裏に浮かぶ映像を振り払う為に下を向き頭を強く振った。
「ほらほら〜! 顔あげて! 応急処置にしかならないけど、なんとかしてあげるから。カイ君、この家中の電気を全部つけて。とりあえずこの場を清めるよ!」
「この場を清める?」
「そう。辛気臭いこの雰囲気。すぐまたつけ込まれるわよ〜。ほら! 急いで急いで〜」
「あ、うん——」カイリ君が動き出し、部屋の電気を付け始める。天井に埋め込まれた間接照明にスタンドライト、キッチンの調理用ライト。部屋がどんどん明るくなり始め、少しずつ心が落ち着きを取り戻していく——気がする。
「玄関から廊下、トイレにバスルーム、全部よ、全部! なに突っ立ってんの? ほら、あんたも動きなさ〜い!」
「う、うん——」
「しっし、はやく動け動け!」と、ラブちゃんに追い立てられて、わたしもカイリ君のあとを追う。カイリ君は廊下に出て、いくつかある部屋に入りライトを付けている。それならと、トイレの電気をつけ、バスルームの電気を付けた。パッと明るくなるバスルーム。目の前の光景に一瞬にして背筋が凍る。
——夢と、おんなじバスルーム……。
昨日、カイリ君の家に来てトイレには入ったけど、バスルームには一度も足を踏み入れていない。なのに、なぜ——。
——夢に、入り込まれてるから? 夢と現実が混ざってるから? だから同じバスルームなの……?
「いゃ……」
急に怖くなり駆け出すようにリビングに戻った。入ったことのないバスルームと同じバスルームが、夢に。夢か現実か、境目が分からなくなっているのが、怖い——。
急いでリビングに入ると、黒い部屋着を着たカイリ君が視界に飛び込み、ほっとした。カイリ君は不安そうに眉間に皺を寄せている。夢の中のカイリ君はそんな顔をしないはず——。
——だから多分、これは現実だ。
使い古した赤色のジャージに視線を動かす。ラブちゃんは、明るくなった部屋の真ん中で立っている。ジッパーが閉まらない程はち切れそうな胸。その胸元には白い棒が見える。コケシのような形をした棒。ラブちゃんはその棒を両手で持ち、目を閉じて異国の呪文のようなものを唱えている。不思議な言葉。聴いたことのない言葉——。低い唸り声が部屋に響く。
——呪文、だよね……?
喉に声を詰めて震わせているような音が腹の底に響く。重低音。ノイズの混じった声は同じ抑揚とテンポで繰り返されている。まるでそれは身体全身が楽器になっているようで——。
声に意識が持って行かれそうになる。身体が硬直し、ラブちゃんから目が離せない。——と、音が止みラブちゃんは大きく息を吸った。ゆっくり目を開けたラブちゃんが手に持っているのは、どうやら白い葉をぐるぐる巻きに縛った棒のようで、所々葉っぱが飛び出ていた。
「終わった?」
「うん……、あのさ、ラブちゃんバス——」
「話は後で。まずはこの部屋の中を浄化する」
「あ、うん……」
「じゃ、始めるわね。これはホワイトセージをベースにしたわたしのオリジナルで、多少の効果は期待できる」
ラブちゃんは「効くといいけど」と呟くと、カチッと小さな音を出し、ライターで棒の先に火を付けた。
すぐに燃え上がる炎。ラブちゃんがそれを一息で消すと同時に、大量の白い煙が棒から立ち昇った。カイリ君が天井の火災警報器を心配そうに見上げる。ラブちゃんはお構いなしに、煙の出る棒を振りまわし、異界の言葉を呟きながら部屋中を歩き廻る。天を仰ぎ、地に捧げ、白い煙が上下左右に動き回る。再開する呪文。祝詞のような切れ間のないノイズ混じりの低い声は、海岸に押し寄せる波のように繰り返し繰り返し、身体の奥底まで響いて届く。
部屋中に充満する煙と香り。生木を燃やしたような焚き火の匂い。いや、もっと苦味のある独特な臭いに鼻が曲がる。耐え難い臭い。胃がひっくり返って吐き気を催した。と同時に、ゴホゴホと肺が悲鳴を上げ、思わず鼻と口を押さえ顔を壁に向ける。そんなわたしに気づいたラブちゃんは
「ダメよ! 鼻を押さえないで吸い込む!」
「でぼ、かなり臭いがキツくて——」
「それはあんたが取り憑かれてるから! ほら、吸い込んで吸い込んで!」
——取り憑かれているから……。
「息を吸い込んで吐いてを繰り返すの。吐き気がしてもまだ我慢して。今じゃない——」
「ごほっごほっ……。い、今じゃないって——」
「つべこべ言わない。カイ君も同じだからね!」
「分かった。でもラブちゃん……火災警報器が心配……」
「終わって空気を入れ替えれば問題なし!」
「わ、わかったけど、ラブちゃんこれは一体——」
「説明は窓を開けてから。喋らないで呼吸を繰り返して!」
再開するラブちゃんの呪文。その音が身体中に纏わり付き逃げ出したくなる。迫り上がる胃の内容物。
——もう……限界かもしれない……。
「うっ」身体がびくんと脈動して手で口を押さえる。もう直ぐそこまで吐瀉物が迫り上がって来ている——。
——もう、もう、無理……。
「まだダメ、まだダメよ!」
ラブちゃんが呪文の合間に声をかける。
でも——。
痙攣する内臓。
迫り上がる胃液。
息をするのも忘れ、必死に堪える。
耳朶に流れ込むラブちゃんの呪文。
その重低音が身体中の細胞を震えさせる。
——気持ち悪い。
拒絶反応。
全身が悲鳴を上げている。
視界が真っ白になっていく。
煙のせいだけじゃない。
意識が遠ざかる——。
「あ……しが……ばって……」
ラブちゃんの声がだんだん遠くなる。
——だめだ……
意識が——意識が——
「キエェェエーーーー!」
奇声を聴きながらわたしはその場で崩れ落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます