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 午後九時過ぎ。京子は電話には出なかった。とりあえずLINEに『大至急連絡待つ』と打ち込んで、ふと考えた。京子は怖い話が大の苦手。美琴ちゃんが亡くなったことも地元ニュースで流れていた。もしも『大至急連絡待つ』と打てば、何かを感じ取り、身構えて返信してこない——。


 ——ありうる。


 急いでメッセージを打ち直す。


《京子明日暇〜? 子連れオッケーなお店みつけたよ〜! わたし明日休みだし、ランチ行かない? 予約必須の人気店! だから至急連絡待ってるよ〜ん》


「これでよし!」可愛いスタンプ付きで送信完了。この内容なら京子は簡単に釣れるはず。そう思っていたら、案の定すぐに返信がきた。


《さっきはごめん! 子供寝かせてて電話にでんわ〜なんつって(笑)ランチだよね? 行く行く! 何時にどこで?》


「ちょろいな」と呟いて、すぐに中嶋さんに電話をかけた。簡単に説明し、明日の予定をお伺いする。昼間に友人がご自宅に伺う約束を取り付けると、京子に中嶋さんのご自宅住所と時間を書いて返信した。少し間を置いて返ってくるメッセージ。


《マップで見たら普通の住宅街の一軒家だけど?》

《隠れ家的なレストランなんだよ〜。到着したら入る前に電話くれる?》

《おけまる! わぁ〜い! ランチ楽しみ! 誘ってくれてありがとねー!》


 中嶋さんのご自宅前で京子から電話を貰い、その時に人形の写真をLINEして説明すれば、京子は手伝わざるを得ない。あいつは外面そとづらがいいから、断れない——。


 ——ごめん、京子。でも、元はと言えば個人情報ダダ漏れの、お前が持ってきた話だよ。


 そうは言っても、いまは迷惑だとは思えない。わたしなりに、なんとかしたい気がしてる。中嶋さんの「娘を探してください」の魔法にもかかってしまった。


「明日の昼には人形の確認できそうです」と、スマホから顔を上げる。ラブちゃんは「昼か、遅いな」とおじさん声で呟いて、また煙草に火をつけた。部屋に香るエキゾチックな甘い香り。きっとこの煙草の匂いを悪魔は嫌う。そう思うと、カイリ君の家が安全な場所に思えた。もしかして——と、さっきラブちゃんが灰を落とした観葉植物を見る。赤い葉っぱのポインセチアが、どことなく元気になってる——?


「もしも都市伝説を書いた女が買った人形と、昔絵葉書で見た人形が同じだったとしたら、これは思った以上に厄介ね」


 細くて長い煙草を指に絡め、紫煙を吐き出しながらラブちゃんは言う。その言葉で部屋の空気がピンと張り詰めた。ソファで足を組み直したラブちゃんは、隣に座る棚橋さんの太腿を撫ぜながら続ける。


「きっと、その都市伝説を書いた女、幼い頃に絵葉書を見て脳細胞に種を撒かれたはずよ」


「脳細胞に種?」カイリ君が聞く。


「そう種。いつかその人形に誘引される種を脳細胞に植え付けられた。そして、ベストのタイミングで惹起じゃっきの芽が出た——」


 ラブちゃんはふぅ〜と長く煙を吐き出す。

 その姿は魔女のようで、息を飲んだ。 

 それに——。


 ——ベストのタイミングで惹起の芽が出た。


 その言葉が恐ろしく思え、全身が総毛立つ。

 ベストのタイミングとは——。

 しんと静まり返った部屋の中、ラブちゃんは続ける。


「惹起。つまりこういうこと。種を植え付けた彼女を利用し、都市伝説を書かせた。そして、血の契約で意識を増幅させ、『公衆電話の太郎くん』という都市伝説を現実の物とした。今の時代、黒い感情を増幅させるなんて容易い。インターネットがあるから人は勝手に情報を増殖させ、伝播させる。ネット上には溢れている。虐め、匿名のバッシング、妬み、僻み、恨み、欲望——。悪しき意識。そのどれもが大好物」


「大好物」無意識に呟くと、ラブちゃんはわたしを見つめた。

 

 長い睫毛の奥、大きな瞳。

 ラブちゃんの瞳に意識が吸い寄せられていく——。

 ラブちゃんの低い声がゆっくり語り出す。

 それはまるで呪文のようで——。

 ラブちゃんの言葉を繰り返す。


「そう、闇の勢力の大好物。悪しき意識、その塊。その塊が自我を持つと悪魔になる。悪魔の集合体を闇の勢力と呼ぶ——」

「闇の、勢力——」

「悪しき意識が社会に蔓延り増殖し、闇の勢力が増幅する。そして、ある一点を超えた場所で起きるのが、戦争——」

「戦争——」

「苦しみ、悲しみ、怒り、恐怖、そして人の死——」

「人の死——」

「魂を大量に喰らうことができる——」

「魂——」

「それが、戦争——」


 ラブちゃんの話を聴きながら意識が別の場所へ飛んでいく。

 

 視える——。

 ネットで愚痴を吐く人々。

 視える——。

 自分の名前を名乗らずバッシングを繰り返す人。

 視える——。

 悪意を持って文章を書く人々が——。


 人々の全身から黒い煙が立ち昇り一箇所に吸い寄せられていく。

 大きな塊となった黒い存在は電波に乗り世界中へ——。

 繰り返す悪しき意識の増幅、吸収、排出、そしてまた、増殖。

 悪しき意識はウィルスの様に伝播し、パンデミックを起こす。


 そして——。

 悪しき塊は自我を持ち悪魔となる。

 悪魔は国の権力者の耳元で囁く。

 全てを自分の思うがままにしろと——。

 

 ——刹那。


 白い光で目が眩む。

 乾いた風、血の匂い。

 聴こえる爆撃音。

 

 ——ここは、どこ?


 土埃が風に流され、視える。

 わたしの足元。

 銃弾を撃ち込まれ脳漿のうしょうが弾け飛んだ少女。


 ——い、ゃ……


 一歩一歩と死体から後ずさる。

 足に触れる物体。

 足元に視線を向ける。


 ——い、ゃめぇ……


 地雷で身体が吹っ飛び肉片となった少年。

 辺りを見渡す。

 無数の千切れた腕、足。

 飛び散った内蔵、肉片。

 焼け焦げた頭部。

 目玉がくつくつと煮えている——。

 肉の焼ける臭い。


 爆撃で燃える街、逃げ惑う人々——。

 空を見上げる。

 黒い悪魔が空を飛び、炎の雨を降らす。


 聴こえる。

 爆撃音と断末魔が——。

 子供の、大人の、老人の、断末魔が——。


 ——やめてっ……もうやめてぇー!


 火がつく。

 わたしの身体が炎に包まれている。

 熱い、死にたくない!

 やめて!

 こんなことやめて!


 あははは!

 ははははははは!


 聴こえる——。

 笑い声が——。

 聴 こ え る ——



 ——パンッ!


 瞬間、意識が身体に戻った。

 乾いた音。

 ラブちゃんが手を打った音だと理解する。

 そうだここは東京。

 カイリ君のマンション。


 ガラステーブルの前に座り、隣にはカイリ君の姿がある。

 目の前にはソファに座る棚橋さんとラブちゃん。

 窓の外にはレインボーブリッジ。

 さっきまでと同じ光景、でも——。

 

 ——頬が冷たい。

 

 そっと頬に手を触れる。


 ——これは、涙……?

 

「え……? あ、れ……? いま、わたし——」


「視えた?」とラブちゃんに聞かれ、静かに頷く。


 確かに視えた。

 いや、体感した。

 別次元の世界でわたしは体験してきた。

 悪しき感情がなんなのかを。

 悪しき感情の塊が悪魔に変化する様を。

 そして——。


「地獄をみた——」

「僕も——」

「自分もです——」

「それが悪しき意識の行き着く先。もっと先もあるけど、理解するには十分でしょ。その過程の中、何処まで力をつけてるかってことだけど。意志を持った悪意の塊、狭い範囲で動く悪魔。それならまだ、マシな方ね——」


 ラブちゃんは新しい煙草に火をつけると立ち上がった。ふう〜と煙を吐き出しながら片足をソファに乗せる。はだける赤いドレス。スリットから見える白い足。ショータイムの様に艶かしくポーズを決めながらラブちゃんは話を続ける。


「だから都市伝説を書いた女が購入した、人形。それがもしも幼少期に見た絵葉書の人形と同じなら——」と、煙草を持つ手を天井にあげるラブちゃん。息を飲み、「「「同じなら……?」」」と声が揃う私達三人。


「やばい〜!」と煙草の煙を吐き出しながらオーバーパフォーマンス。それはまさに、「悪い子はいねが」と子供を脅す様な完璧な「やばい」を伝えるパフォーマンスで、さらに言えばハリウッド映画の海賊の様で——。


 ——ラブちゃんは、プロだ……。


 一声で観客の心を掴む司会者や演者がいる。ラブちゃんもその力を持っている。催眠術のように、ラブちゃんの話に惹き込まれる私達。私達の感情をコントロールするように、ラブちゃんは一言一言アクションを入れながら話を続ける。


「それに〜!」

「「「それに〜?」」」

「人形の元持ち主と人形作家が同一人物ならぁ〜!」

「「「なら〜?」」」

「さらに〜」

「「「さらに〜?」」」

「かなり〜!」

「「「かっ、かなりぃ〜!?」」」

「やばめぇ〜! あ〜はははははっ! ドイヒ〜! 激ヤバ〜! 最悪〜! どんだけぇ〜!? あ、これは誰かのネタだったわッ!」

「「「っ?!」」」

「あははははは! 重たい気分が取れてきた! さてと。気分も変わったことだし、今日はここまでで寝よ寝よ! 深夜にこういう話、良くないからさ〜」


 ラブちゃんは凄い。正直、そう思った。話に惹き込まれ幻覚であっても『悪しき意識』がなんなのか、分かった。それに、不安な気分を一瞬で変えた。棚橋さんは明日は勤務日で自宅に戻り、ラブちゃんは残念がっていたけれど。わたしはラブちゃんと一緒の部屋で寝るのは嫌じゃなかった。それに——。


「あの、僕も一緒にいいですか?」

「もちろんよ〜!」


 リビングに布団を敷き、ラブちゃんとカイリ君と三人で寝る。合宿みたいで、これもいい。ただ一点。ラブちゃんの素顔が意外とお兄さんだったことを除いては——。


 ——なんか頬が青い。もしや、髭?


「なぁ〜にぃ〜? なんでほっぺの辺り見てるの〜? いゃあ〜だぁ〜やめてよねぇ〜! 髭も深夜ともなれば少しは出てくんのよぉ!」

「見てませんよ」

「見てたじゃな〜い?」

「見てませんって」

「見てたでしょ〜? なに〜? 自分が天然で髭が生えないからって優越感〜?」

「まさか! てか、天然って——」

「悪いけど〜! わたしのおっぱいも天然だし〜!」

「そんなん知らんしっ! 早く寝てくださいって!」

「ふんっ! あ、カイく〜ん! 成長した姿をお姉さんに見せてごらぁ〜ん!」

「ちょ、や、やめっ!」

「もういやんっ! 恥ずかしがるのも可愛いの〜!」


 結局、寝たのは深夜二時を過ぎた頃だった——。


 


 


 




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