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 カイリ君の家は車で三十分ほど走った、港区にあった。レンボーブリッジが見える高級マンション。それも、かなりお洒落な部屋——。


「すご……。こんなとこに住んでるんだ……」

「云ったでしょ? 僕、お金はあるんですって。とはいえ、ここは姉さんの家ですが」

「姉さん?」

「まあ、いまは僕が住んでいますということで。真矢ちゃんコート預かりましょうか?」

「あ、うん……」


 広いキッチンにはカウンターが。その奥にはワインセラーが見える。観葉植物があちこちに置かれた清潔感のある部屋。


 でも——。


 どことなく冷えていて、美咲さんのアパートを思い出した。主人を失った、部屋。目に見える物に生活感はあるけれど、生気を感じない部屋。カイリ君が東京を離れ、わたしの地元に来ていたせいかもしれない。


「珈琲でいいですか?」

「自分、お構いなく」

「あたしは〜ワイン〜!」

「ラブちゃん、もう呑むのはやめたほうが……」

「いいのぉ〜! この家、いいワインいっぱいあるんだからぁ〜。ね、トシちゃんも一緒に呑も?」

「自分、車なので」

「いけずぅ〜」


 ラブちゃんは棚橋さんの名前が『俊光としみつ』だと知るや否や、『トシちゃん』と呼んでいる。ここに来る道中、ラブちゃんは助手席に座り棚橋さんの太腿を撫でながらあれやこれや聞いていた。


 ——独身? 彼女はいるの〜?

 ——どういう娘がタイプ〜?

 ——ニューハーフでもいいかしら〜?

 ——わたし、結構上手いのよ〜。


 何が上手いのか想像するのを必死で堪え、後部座席に座り、カイリ君に棚橋さんのことを聞いた。耳朶みみたぶすれすれの小声で内緒話。少しドキッとしたけれど、それは気のせいとして。カイリ君によれば、棚橋さんは三十五歳の独身男性で、プライベートの時間に新宿二丁目に居た。つまり——。


「僕は、そう思ってますけどね」

「なるほど」


 であればラブちゃん、お気の毒。きっと、大きな胸に興味はない。でもラブちゃんはそんなことは露とも知らず、「あたしぃ〜両方いけるから〜」と、棚橋さんに擦り寄っている。その様子を横目にキッチンカウンターの椅子に座った。カイリ君はお湯を沸かし、ドリップスタンドを取り出すと、フィルターをセットして珈琲の粉を入れる。


「ちゃんと淹れるんだ」

「云ったでしょ? 東京には美味しい炭火焙煎の珈琲があるって」

「ああ、そういえば」

「いま、淹れます。飲んでみてください。缶コーヒーが飲めなくなりますよ」


 ——缶コーヒー。


 そういえばリサイクルセンターの町田さんに缶コーヒーを貰った。『甘さ増量』と書かれた、知らないメーカーのカフェオレ。そのままわたしの鞄に入れて、いまだ飲んではいない。


 町田さんは、話していた。


 ——十月よりもずっと前に依頼に来たらしいですよ。受付はわたしじゃないんでね。それで指定された日に僕たちが伺ったら、死んでいたと。


 いつ受付をしたのだろうか。

 それに、誰が不用品回収の受付に出向いたのか。

 もしかして、その人が——。


 香ばしい珈琲の香りが鼻先に届き、コトンと目の前にマグカップが置かれる。「どうぞ」と、カイリ君の心地のいい低音ボイスが耳朶じだに流れ込み、カップを手にとった。温かい。口をつけると、今まで飲んだどの珈琲よりもふくよかな香りと苦味で、なるほどと思った。


「確かに美味しい。缶コーヒー飲めなくなるかも」

「でしょ?」


「それじゃあ」と、カイリ君が三人数分の珈琲を持つ。リビングに移動して、私達はガラステーブルの周りに集まった。ソファーにはラブちゃんと、棚橋さん。わたしとカイリ君はカーペットの上に座る。ノートパソコンをテーブルの上に置き、「さっきの話をまとめると」と早速カイリ君が切り出す。


「人形の元持ち主、中嶋美咲さんは戸籍上百五十歳。でも、発見された遺体は年齢不詳の女性で、身元不明ってことですよね」


 首肯する棚橋さん。その胸を撫でまわし、うっとりしているラブちゃんをチラ見しながら、「それに」と、さっき思いついたことを話す。


「町田さんの話を思い出したんだけど、不用品の引取をお願いしに行った人、その人がその遺体の人ってことにならないかな。住所と日にちを指定して、引き取りに来てくださいって依頼したわけだし」

「ですよね。どういう人が依頼したのか。そこまで町田さんに聞かなかったのは失敗です。棚橋さん、そういうのって棚橋さんから聞けますか?」

「自分、そこは管轄外なので」

「めんどくさいですね、警察って」

「カイリ君、そこは、いや、申し訳ない」

「いいですよ。だってまだ棚橋さんも半信半疑ですもんね」


 ——半信半疑。公衆電話の太郎くんについて、ということだ。


「半信半疑って、まさかトシちゃん、信じてないの〜? これは悪魔の仕業に間違いないわよ〜。あたし、ビンビン感じるもん!」


「ビンビン?」思わずラブちゃんに尋ねる。また、わたしの周りにやってきているのか。自然と眉間に皺が寄る。


「あっもう〜! あんたその顔アウトだから〜!」

「あ、うん」

「悪魔と言ってもね、悪しき意識の塊だとあたしは思うわけ」

「悪しき意識?」

「そうよ、カイ君。元締めがいるってあたし言ったよね?」


「あ、煙草いい?」とラブちゃんは胸の谷間からポーチを取り出す。


「や、煙草は——」

「この煙草は普通の煙草じゃないから必要なの〜」


 ——普通の煙草じゃない。


 確かに、普通の嫌な臭いがする煙草じゃなかった。どこか甘く、煙を嫌だと思わなかった。


 ——悪魔を祓う為の煙草ってこと?


 そう思った瞬間、いましている話が普通じゃないことに気づく。悪魔、呪い、穢れ、障り——。ラブちゃんに言われた言葉を繋ぎ合わせ、ぞくっと嫌な感触が身体に走った。——怖い。できるだけ口角を上げ、気のせいだと自分に言い聞かせる。


 ラブちゃんはカチッとライターを鳴らす。細い煙草を吸い甘い煙を吐き出すと、サイドテーブルに置いてある観葉植物の根本に灰を落とた。


「カイ君、この花、弱りかけてる」

「ああ、最近出かけてばっかりだったから——」

「花ちゃんが悲しむよ」


 ——花ちゃん?


 誰のことだろうと一瞬考えて、観葉植物のことを言ってるのだと、思考を止めた。それよりもまずは、人形の元持ち主、中嶋美咲さんのこと——。


「誰が依頼に行ったのか。その人が遺体の人だと考えるのが妥当。自分はそう思います」

「身元不明の女性の遺体、その人が生前受付に——」

「カイリ君、自分は、そう思います。だからこれ以上調べても、その人はもう死んでいる」

「確かに——」

「でも、どういう見た目の人かとか、そういうのは分かりますよね? そうか、カイリ君、ダメ元で電話して聞いてみたら?」

「そういう店、人の出入りが激しいかもしれません。都会だし、受付した人がまだ働いているとは限らない。自分はそう思います」

「確かに。さすが刑事さんですね」

「いや、自分、そう思っただけなので。ただ、受付をした日にちは分かるのでは?」

「あ、それならスマホの写真を見れば。書類隠し撮りしてきたから——」


 カイリ君がスマホを取りに席を立つ。それを見て、わたしも鞄からスマホを取り出した。スマホの画面、時刻は九時を過ぎている——と、そこで着信があったことに気づく。


 電車の中や話を聞く時、音が鳴らないように着信音は消していた。それに、パワフルなラブちゃんに振りまわされて、振動音さえ気づかなかった。加藤さんから仕事の電話と思い浮かび、すぐに通話履歴をタップする。


 ——中嶋さんだ……。


 中嶋さんからの着信。

 それも二時間以上前の着信。


「すいません、ちょっと電話を——」


 急いでかけ直さなければと席を立つ。行方不明の娘、美咲さんを探してくださいと中嶋さんに頼まれた。パソコンを操作できない中嶋さんに代わり、美咲さんの部屋に入りパソコンを調べた報告をまだしていない。


 でも——。


 ——なんて報告すればいいの? 美咲さんが買った人形の購入履歴を調べて、いま、東京に来ています?








 

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