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「そうなんです」と向かいの席から男性の声が聞こえ、白い煙の向こうに目を遣る。


「あ、自分、棚橋と言います。どうも、初めまして」

「あ、初めまして」


 ペコリと頭を下げて、礼儀正しい人だと思った。それに切れ長の目は歌舞伎俳優のようで、すっきりとした丸坊主がよく似合う。キリッとした顔立ちと低姿勢な雰囲気に好感を持った。わたしの知っている刑事さんとは印象が違う。


 美琴ちゃんの友人で、最初に飛び降り自殺をした女子高生——立花莉子さん、享年十七歳——のお葬式や、自宅で不審な死を遂げた女子高生——山田遙さん、享年十七歳——のお葬式で会った刑事さんは、怖い顔をした、スキンヘッドのおじさんだった。


 ご葬儀会場で、「すいません、こういうものです」と、見せられた警察手帳。相次ぐ女子高生の死。結局、事故死と自殺と断定されたあの二つの死。「葬儀に変わった人は来ませんでしたか?」と聞かれ、なぜか萎縮した。もちろん「特に何も」と答えたけれど——。いま同じように聞かれたら、わたしはなんと答えるのだろう。


 ——公衆電話の太郎くんの呪いです、って? まさかそんなこと、言えるはずもないし、信じてもらえるはずもないよね……。でも美琴ちゃんのあの最後……


「あの?」と声をかけられ、はっと意識を戻す。美琴ちゃんの最後の瞬間を思い出す手前で良かった。すぐさまラブちゃんの言葉、「怖がったらダメ」を心の中で唱える。


「大丈夫ですか? 自分、急にやってきて」


「いえいえ」と手を振る。その後で、「戸籍上百五十歳って——」と、話を戻した。ラブちゃんは棚橋さんを取られてご立腹なのか、こちらを睨み豚足を食べている。棚橋さんはガタゴトっと座り直し、煙の向こうから話を続ける。


「高齢者所在不明問題は知っていますか? 一昔前、マスコミでも取り上げられた、いわゆる『名ばかり高齢者』と言われた社会問題です」

「聞いたことあります。死亡届を出さず、戸籍上は生きていることになるものですよね」

「そうです。年金の不正受給の為、親の死亡届を出さないという社会問題です。通常、七十六歳以上の高齢者は後期高齢者医療制度に加入しています。その年齢で医療機関を全く利用しないということはまずないので、一年以上利用していない高齢者には、生存確認をするなどして、各自治体が対応しています。でも、おかしなことに、カイリ君に調査を頼まれた『中嶋美咲さん』は、医療機関に行った記録がないんです」

「医療機関を利用していない?」

「はい。さっきカイリ君には店の外で説明しましたが、遡れるだけ遡ってみても、医療機関を利用した記録がない。そもそも健康保険も未加入で、医療制度を利用していない」

「でも、戸籍は残っていたんですよね?」

「戸籍は。それに住民票などはデータに残っていました。ただ——」


 棚橋さんは店員さんから烏龍茶を受け取り、テーブルに置くと「おかしいんです」と眉根を寄せた。


「昨年の十月に中嶋美咲さんが遺体で発見された時の記録を調べたのですが、どう考えても百五十歳の遺体ではなかった。昨年の時点で百五十歳ということは、単純に考えて、明治時代に生まれた人ということです。そんな人の遺体、普通はミイラ化していますよね?」

「確かに——」

「冷凍保存を何処かでしていたとか、そういうことでもない限り、生々しい遺体にはならない」


 生々しい遺体と聞き、自然と生肉に目がいく。銀色のトレーの上、レバーが乗っていた跡には、血——。牛の小腸や大腸が網膜に映り込み、急いで視線を棚橋さんに戻した。焼肉屋でする話じゃない。そう思った。


「気分を害されたなら、申し訳ありません」と、棚橋さんは頭を下げる。わたしの視線の動きで、心の中が読まれてしまった。平静を装い、「大丈夫です。それで?」と続きを促す。


「当時立ち会った警官の記録によれば、戸籍上百五十歳ということがわかり、これは中嶋美咲本人ではないと判断され、検死にまわったそうです。結果、身元不明遺体として処理されました」

「身元不明遺体……」

「ええ。百五十歳の女性ではなく、何らかの事情があり、あの家に住んでいた女性の遺体ではないかと——」

「中嶋美咲さんは死亡届を出されず、本当はとっくの昔に死んでいた?」

「そう考えるのが普通ですね」

「じゃあ、人形の元の持ち主、中嶋美咲さんは身元不明の女性ということですか?」

「普通に考えれば。でも違和感を感じませんか?」

「違和感、ですか……?」

「名前です」

「名前?」

「明治時代の女性の名前には、正子やハナ、千代子などが多い中、『美咲』と名前をつけるでしょうか? 百歩譲って『咲』ならわかりますが」

 

 ——確かに。


「でも、戸籍上は『中嶋美咲さん』なんですよね?」

「戸籍上は。誰かが書き換えない限りは、そういうことです」


 ——誰かが、名前を書き換えた……?


「とにかく、おかしなことが多いってことだよ真矢ちゃん」

「うん——」


 誰かが、戸籍の名前を書き換えた。そんなことできるのだろうか。データ管理の現代社会。できないこともない気はするが——。


 ぞわぞわと嫌な気配が背中を触り、思わず両手を握り締めた。


 ——怖いと思う気持ちが大好物。また、やってくる……。


 ぶんぶん頭を振り、「すいません」とビールを一口呑む。生温く炭酸の抜けたビールが喉を流れていく。不味い、苦味。

 

「それで」とカイリ君は、「場所を変えて少し冷静に情報をまとめたい」と言った。その意見にわたしも棚橋さんも賛成。焼肉屋で生肉を見ながら話す話じゃない。それに、賑やかな店内は怖さ忘れていいけれど、頭がうまく情報処理できない。


「僕の家へ。それなら棚橋さんも管轄地区だから動きやすいし」

「管轄地区?」

「そうなんですよ。自分、ここの所轄じゃないもので。いまはプライベートな時間ですが。どうも。落ち着かず——」


 ——警察官も色々あるんだな……。


 しぶるラブちゃんを説得し、早速店を出てカイリ君の家まで移動した。


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