9_2

「と、とんでも、つ、憑いてた?!」声が上ずる。ラブちゃんはもう一度煙草を吸い込み、ふう〜っと長く吐き出して「よく生きてここまで来れたわね」と笑った。甘い煙草の香りが鼻先を掠めていく。


「でも一時的に祓っただけだから、またすぐ戻ってくるけどね〜」

「ま、また戻ってくる……。え? ごめんなさい、説明が大雑把すぎて」

「大雑把? どこが。分かり易いじゃない。さっきの写真見たでしょ?」


 写真。

 下半身が消え失せて黒い靄が顔にかかった心霊写真——。

 ぶるぶるっと身震いして唾を飲み込む。


「馬鹿騒ぎしてとりあえずは祓えたけど。ほら、これがさっきのあんた」


 スマホを手渡され画面を見ると、目が半分閉じた間の抜けたわたしの顔が写っていた。黒い靄は顔にかかっていない。でもいつの間にか着ぐるみ剥がされ、黒いヒートテックのインナーにジーパン姿で写ってて——。


「ひゃっ!」思わず胸を隠す。流されるまま踊っていて、気づかなかった。


「やあ〜ねぇ〜、誰も見ないわよそんなチンケな胸!」

「なっ、し、失礼なっ!」

「それよりも——」


 ラブちゃんは灰皿で煙草を揉み消すと、真剣な顔でカイリ君に向き直った。


「どういうことか説明してくれる? これ結構やばいよ、カイ君」

「だからずっと連絡ちょうだいってメールしてたんだけど」

「しょうがないじゃなぁ〜い。コンテストで忙しかったんだからぁ〜。さっき日本に帰ってきたのよ〜。で、一番にカイ君に連絡したんだからね。でも、思ってた以上にこれはまずいわね」


 ラブちゃんのエネルギーに気圧されつつも、「まずいとは?」と、恐る恐る尋ねる。


「まずあんたに憑いてたのは若い女の子三人。どれも酷い顔して纏わり憑いてたよ」

「女の子……三人……」

「身に覚えない? 高校生くらいの女の子が三人。まぁ〜憑いてると言っても残響みたいな感じだったけど」

「残響……?」

「そう、残響、残り香、そんな感じ。その娘達の魂のかけらみたいなもんかな、いや怨念か」

「お、怨念……」

「問題はその怨念がどこかと繋がっていたこと。元締めがいるわね〜、あんたは強力な呪いの障りに触れて穢れが憑いている。だから多分またやってくる」

「また、やってくる……?」


 ——またやってくる。


 その言葉にぞわぞわと全身が粟立つ。わたしのその様子を見てラブちゃんは「せっかく祓ったのにまた引き寄せちゃダメ!」と叱る。


「馬鹿騒ぎで祓ったのにあんたがそんなんじゃ、すぐやってくるって!」

「でも——」

「でもじゃな〜いっ! もう、そういう怖いと思う心が大好物なのよ、奴らは!」

「奴ら?」

「そう、奴ら。黒い感情が大好物。そこにつけ込むのよ。だから怖いって思ったらダメ!」


 ——怖いと思ったらダメ……。


 カイリ君は恐怖ウィルスと言った。わたしもそう思う。一度怖いと思い始めたわたしの脳は恐怖ウィルスに支配されている。ものすごい増殖力で、脳細胞から体の隅々まで行き渡り始めている。でも、それを止めることはできる気がしない——。


「それで?」と、二本目の煙草に火を付けながらラブちゃんは先を促す。


「どうしてこんなことに?」


「まずはこれを見て欲しんだけど——」と、カイリ君はゆららさんのノートをテーブルに置いた。ラブちゃんの眉毛がピクッと上にあがり、一瞬変な間ができた。心なしか、部屋の気温が下がった気がする。揺れるランプの炎と煙草の煙。カイリ君は静かに話し始める。


「ことの発端は一年前。WEB小説サイトに掲載された都市伝説なんだ」

「WEB小説?」

「そう。このノートの持ち主が書いた創作都市伝説。その都市伝説に書かれた内容が現実になった——」

「まさか!」

「とにかく、このページを読んでみて」


 カイリ君が『公衆電話の太郎くんネタ』と書かれたページを開く。ラブちゃんは赤いマニキュアを塗った爪でノートを摘み上げ、膝の上に置くと視線を落とし読み進める。はらっと何ページかめくり、突然「うわっ」とノートを床に叩き落とした。


「やだぁ〜、なにこれ……。血の契約がされてるじゃないっ!」


 血の契約、おどろおどろしいその言葉に一瞬で背筋が凍る。冷えてきた指先をぎゅっと握り込み、「血の、契約……?」と尋ねる。


「そうよぉ〜、あんた達、何も感じなかったの?」


 カイリ君と顔を見合わせる。確かにずっと気味が悪い。でもそれは本当にずっと気味が悪いということで、特にノートが、と思ったことはなかった。


「これ、契約書よ。ほら、そこ、拾って見てみて。最後のページ、血が着いてるでしょ?」

「最後のページ……?」


 ノートを拾い上げ、言われたページを見る。『ササゲルホドゾウショクスルイシ』と殴り書きされた文字。濃い鉛筆で書いたのか、煤ぼけた文字が書かれている。その『ゾウショク』と『イシ』の部分には赤黒いインクが染みていて——。


 ——これ、インクじゃなくて、まさか、血……?


「これが、血の契約……?」

「そうよ、それが血の契約。それ書いた人、きっと気づいていないわね」


「え……?」と顔をノートからあげた。

 書いた本人が気づいていない血の契約——。


「どういうこと?」とカイリ君が隣からラブちゃんに聞く。


「多分、その人取り憑かれたわね。いや、引き寄せられてそうなったという方が正しいかも。何かのきっかけで引き寄せてしまった悪しき物に利用されたのよ。それにほら、その公衆電話で呼び出すくだり。それはまさに降霊術ね」


「「降霊術?」」カイリ君と声がかぶる。悍しいフレーズ。霊を呼び出す意味だと迅座に理解する。


「降霊術って、霊を呼び出すってことだよね?」

「そうね、でも誰かの霊じゃないわ。もっと形のない物。浮遊する悪意を固めたような、簡単に言えば、悪魔ね」


「あ、悪魔……」


 風もないのにランプの炎が大きく揺れる。「もっと詳しく話を聞くわ」とラブちゃんが真面目な顔になり、私達は今までの経緯を全てラブちゃんに話した。話しながらまた、脳が恐怖ウィルスに支配されていくのが分かる。じわじわと、確実に、また恐怖心が頭を擡げている。ラブちゃんはそんなわたしに気づき、「その顔やめて! また来るよ!」と、わたしを叱る。


「怖いと思えば思うほど、そばに寄ってくる物なの。それにこれ、手口も巧妙ね」


「巧妙?」とカイリ君が聞く。


「だってそうじゃない。欲望と恐怖を上手にコントロールして確実に感染を広げているわ。公衆電話、緑、不審な死。それも恐ろしいほど悲惨な死に方。人の脳裏に焼き付いて離れない恐怖を生み出してる。それと、なんでも望みが叶うという欲望の刺激。人形の設定が消えたこともそうだわ」


 確かにそれは気になっていた。なぜ、男の子の人形を用意することが消えていたのか。わたしが読んだゆららさんの小説には確かにあった。それにアイデアノートにも。


「人形は一体でいいのよ。容れ物として入り込む物はひとつ。それ以外は形のないウィルスみたいなものよ」


 ——ウィルス。恐怖の、ウィルス。


「情報を小出しにして、調べようとする時には消えている。だから人は余計に気になるのよ。そして、試してしまう」

「試してしまう——」

「そう。若い子やYouTuber、そういう興味本意でやっちゃう人達が深夜の公衆電話に行き、冗談まじりで試してしまう。そして、感染する。契約破棄ができないということは、生贄を差し出し続けるか、自分がその代わりになるかの選択肢しかない。公衆の電波に乗って、人から人へ。でもその出所を探し出そうとしても見つからない。魚を釣るように、ネットの世界で撒き餌をまき、喰いついたところから感染を広げる。気になるように、出したり引いたり駆け引きしながら、情報をコントロールしてる。巧妙な手口——。でも、だとすれば」


 ラブちゃんの顔の前でカチッとライターの火がつく。

 揺れる炎に吸い寄せられる感覚。

 黒くて長い睫毛。

 ラブちゃんの顔が薄暗い部屋に浮かび上がる。


「火のないところになんとやら——」


 ふっとライターの火を吹き消してラブちゃんは言った。


「まずは腹ごしらえね」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る