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 町田さんにお礼を言い外に出ると、すっかり夜になっていた。背の高い建物が近くにあるからかもしれない。五時前にしては暗すぎる。カイリ君はスマホを取り出し「僕ちょっと連絡したいところがあるので」と、わたしから少し離れ電話をかけ始めた。


 ——なんか嫌な感じ。


 背中に視線を感じ、恐る恐る振り返る。

 誰もいない。

 電柱の安蛍光灯が道路を照らしている。

 その影にも誰もいない。

 でも——。


 首を振る。視線を感じるのはきっと気のせい。そう思うけれど、なんだか嫌な感じだ。ここは東京。自分の知らない土地。そういうのも影響してるかもしれない。それにしても——。


 ——カイリ君の電話、はやく終わらないかな……。


 カイリ君の方を見る。黒い服がビルの影に溶け込んでいて、表情は見えない。微かに見えるスマホの明かり。その小さな光が消え、カイリ君がこちらに戻ってくる。


 ——良かった、これでもう安心。


 そう思った自分に驚いた。いつの間にかカイリ君のことを頼りにしている。ここが知らない街、東京だからか、ひとりになると余計不安になってしまう。カイリ君はそんなわたしの心中など察するわけもなく、いつもの調子で、「次の目的地へ向かいますか」と言った。


「次の目的地、それってまさか——」

「人形の持ち主、中嶋美咲さんのご自宅です」

「やっぱり……」

「一時間もあれば到着しますよ」


 人形の持ち主、中嶋美咲さん。孤独死で飼い猫に遺体を喰べられた人——。さっき想像したおぞましい光景が再び脳裏に蘇る。


「本当に行くの……?」


 歩き始めたカイリ君の後を追い、声をかける。


「もちろんですよ。人形、それも男の子の人形。さらに言えば、なぜか名前も同じ。気になるどころの話じゃないですよ」

「でも……」


「真矢ちゃん」と、カイリ君が立ち止まりわたしと向き合う。


「僕は行きます。公衆電話の太郎くんの謎に、僕たちは確実に近づいています。真矢ちゃんは、どうしますか? ここで引き返し、地元へ帰りますか? 僕に止める権利はないので、真矢ちゃんの好きにしてください!」

「そんな……」


 電車に乗り東京駅へ。そこから新幹線に乗れば本日中に自宅へ戻れる。でも戻ったとして、わたしはそれからどうするのか——。


 ——行くしかないってことだよ……。


「いく……、一緒に……」

「良かった。実は僕、ひとりでそんな場所行くの怖かったんですよねぇ」


 少し戯けた声でいい、カイリ君はまた歩き始めた。なんだかもやっとして、急いでその横に並ぶ。


「ねえ、さっきの言い方、なんか冷たかった」

「そうですか?」

「好きにしてくださいのところ、語気が強めで、なんかやな感じだった」

「自由意志ですからねぇ〜。真矢ちゃんが行くかどうかを決めるのは」

「あんな言い方されたら、行くっていうしかない気がする」

「そうですか? 作戦成功です」

「むう」

「今日はもう地元には帰れないでしょうね」


 時刻は五時を過ぎている。最終までは時間があるようでない。それにこのまま次の場所へ行き、問題が解決するとも思えない。


「どっか、泊まる場所探さなきゃ」

「僕の家でいいですよ」


「ふえ?」変な声が出てカイリ君の顔を見上げた。


「僕の家、来ますか?」

「それは、ちょっと——」

「じゃあどっかビジネスホテルを探して、その部屋で、ひとりで寝ますか?」


 ——ビジネスホテルでひとりきり……。


 むくむくと怖さが胸に膨らむ。別になにかある訳じゃない。でも、なにもないけど、なにかいるのだ。カイリ君とこうして歩いている間も、背中に視線を感じている。


「と……泊めてもらおうかな……。お金も浮くし?」

「そうですか。良かった。実は僕、ひとりで家にいるのが怖くて」

「へ、へぇ」

「真矢ちゃんもでしょ? 真矢ちゃんも脳細胞が恐怖ウィルスに感染してる。違いますか?」

「恐怖、ウィルス……」

「公衆電話の太郎くん、名前を云うだけでも背筋が凍る。常に視えない存在の視線を感じる。眠ると悪夢にうなされる。太郎くんが目の前に現れて、亡くなった人達のように、自分も死んでしまう気がする。そういう考えがじわじわと脳細胞に広がって、太郎くんが怖くて怖くて仕方ない。そういう感じになりませんか?」


 ——その通りだ……。


「名前をね、思い出すだけで背筋が凍るって、本当そうなの。思い出したくないの。それなのに、公衆電話をなぜか探してしまう……。東京駅でもそうだった。駅ならもしかして公衆電話があるかもって、探したいわけじゃないし、見たくもないのに、気づくと探してる自分がいるんだよ。それで見つけた公衆電話を見て思うんだよね、あ、緑じゃなかった——とか。カイリ君も……なの?」

「はい。もうずっと前から。九月に僕の大事な人が目の前で亡くなって。僕の精神は崩壊しかけました。でも、この恐怖ウィルスを治す薬はない。自分で作るしかないんですよ。だから僕は、公衆電話の太郎くんを解決したい。その強い意思で恐怖ウィルスと戦ってます。じゃなかったら、とっくに僕も。それに気づいたんですよね」

「気づいた?」

「はい。真矢ちゃんといると怖くない。僕も——」


 カイリ君は立ち止まり、わたしの方を向いた。真っ直ぐな瞳に息を飲む。カイリ君は真剣な声で、「ひとりになりたくないんです」と言った。


「情けないですが」

「ううん、わたしも、ひとりになるのが怖い」

「同じですね」

「うん、同じだね」

「同じです。僕たちは同志です。それに僕は——」


 —— 振動音。スマホの着信?


「ちょっと失礼——」カイリ君はポケットの中からスマホを取り出し、画面を見るなり「やっと繋がった」と、電話に出た。


 今度は離れて行かずに、わたしの目をじっと見たまま通話している。


「それで、いまはどこに? うん、え? もう東京駅? これから僕の家へって、……ごめん。僕いま家にいないんだよね。会えるかって? うん。もちろん。だってこの連絡をずっと待ってたんだし。それにさ、返信くらいしてくれてもいいよね? あー、はいはい。分かった分かった。大好きなのね」


 ——大好き。


 その言葉を聞き心臓がとくんと波打つ。穏やかになりかけた心に波紋が広がるような気がして、思わず視線を逸らした。


 ——気まずい……。


 薄暗い路地、街頭に照らされたアスファルト。居心地の悪い電話。カイリ君の声が聞こえる。


「はいはい。うん。じゃ、どっかで待ち合わせる? え? いつものとこってどこ? あああ、あそこね。了解。今から向かう。うん、じゃ——」


 通話が終了し「真矢ちゃん?」と声をかけられ、思わず「わたし、どっか行ってようか」と吐き出す。


「え? どっかって、どこに?」

「だって、今の電話。誰かと会う約束をしてたし——」

「ああ、これね。ずっと連絡してたのに、全然繋がらなかったんですよね。彼女、ようやく連絡をくれました」

「じゃあ——」

「人形の家はまた後で。今からこの人に会いに行きます。もちろん真矢ちゃんも一緒ですよ」

「え、でも——」

「なにか問題でも?」

「べ、別に——」

「じゃ、行きますか」


 くるっと向きを変え、また歩き出したカイリ君を追いかける。電車を何回か乗り換えて、都会の街中へ。着いた先は思いも寄らない店だった。


「これって、ゲイバーだよね?!」

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