8_3

 町田さんは思ったよりもはやく、青いファイルを抱えて戻ってきた。


「えっとね」と言いながら向かいの席に腰を下ろす。メガネを少しずらして、指をぺろっと舐めてからファイルをめくり、「どこだったかな」とページを探す。その様子を静かに眺めていると「あったこれだ」と、町田さんは顔をあげた。


「これなんだけどね」と、目の前にファイルが置かれる。


【買取明細書・領収書】と書かれた記入用紙。名前の欄の下に住所があり、その下には引き取った品名が書ける欄がいくつか並んでいる。その名前を見て、心臓が飛び跳ねた。


 ——依頼主が、中嶋美咲さん……。


 カイリ君と無言で顔を見合わせる。偶然だろうか。美咲さんが購入した男の子の人形は、同じ名前の『中嶋美咲』さんが元の持ち主だった——?


「この人で間違いなんでしょうか? 購入者じゃなくて?」

「は? この人でって?」

「ええ。この名前で間違いないのかなって。購入したのも中嶋美咲さんだったので」

「ありゃ、本当だねぇ。こんな偶然あるもんだ。いや、ちょっと待ってくださいよ。こんな名前だったかな」


 町田さんがファイルをめくりながら考え込む。書類はどうやら一枚ではなく、写真付きの物もファイリングされている。


「これはご本人からの買取依頼だったのですか?」カイリ君が聞く。


「これはねぇ〜、確か去年の十月か、それくらいの買取で——。あ、ほらここに十月十五日って。そうそう、思い出したわ。結構な豪邸で。この方ね、孤独死だったんですよ」

「「孤独死——?」」

「ああ、そうだそうだ、思い出した。タハハ、年取っちゃうと忘れっぽくって困るや。そうそう、この引き取りはちょっと変わってる依頼でね〜」


「変わってるとは?」すかさずカイリ君が訪ねる。


「ほら、普通ね、僕たちが孤独死した人の遺品整理に向かう時は、家族からの依頼とか、それか区役所みたいな行政からってことが多いんだけど。この人は生前に依頼したんじゃなかったかな」

「生前に? そんなことできるんですか?」


 自分の死ぬ日なんて誰にも分からない。

 でも、自殺なら——。

 そう思った瞬間身の毛がよだった。


「自殺、だったんですか?」と恐る恐る聞く。


「いやいや、多分違うと思いますよ〜」と言った後で町田さんは「でもそれは分からないか」と呟いた。


「古い洋館に一人暮らしの女の人で。十月よりもずっと前に依頼に来たらしいですよ。受付はわたしじゃないんでね。それで指定された日に僕たちが伺ったら、死んでいたと。だから結果遺品の引き取りになったってだけで、最初からそういう依頼じゃなかったんですよ。でもまぁ〜、こっちにしてみればかなわないよね。第一発見者みたいになっちゃうんだから。思い出したら臭いまで思い出しそうだ。あれは酷い状態で——」


「酷いとは?」カイリ君が聞く。

 町田さんは顔を顰め、溜め息をついてから続きを話す。


「猫に喰われたんですよ」


「猫に」思ってもいなかった答えに、声が漏れる。と同時に、背筋に冷たいものが滑り落ちた。底冷えする寒さのせい。そう思いたいけれど、絶対にそうじゃない。一瞬にしておぞましい光景が脳裏に浮かび、ぎゅっと手を握る。


「ああ、もちろん生きたまま喰われたってことじゃなくて——」と、ひらひら手を振り、町田さんは話を続ける。


「猫をね、何匹も飼ってた人だったみたいでね。僕たちが指定された日に買取に伺うと、ほら、ここに書いてある家具類のところ、線で消してあるでしょ?」


 確かに家具類のところには二重線が引いてある。


「僕たちはさ、回収の担当だから。家具や調度品を引き取りにって聞いてたのに、声をかけても誰も出てこなくて。それでドアに手をかけたらね、開くわけですよ。予定はぎっしり詰まってるし、不法侵入かなぁ〜とは思いつつ、声をかけながら中に入っていくと、広いお屋敷の中には何にもなくて。ありゃ、家を間違えたかなって確認したけど、住所はあってるし。で、声をかけながら次に入った部屋に、ポツンとひとつ椅子が置いてあってね。そこに人形が。ほら、この人形ですよ」


 町田さんが「ほら」と見せるページには人形の写真があった。黒いタキシードのような服を着た男の子の人形。布製の人形には、大きくて可愛い瞳が絵筆で描いてある。中嶋さんの作っていた人形は刺繍でできた瞳だった。少し違う種類の物——。


 でも——。

 

 写真の人形と見つめ合うような錯覚。どことなく薄気味悪くて、視線を逸らした。


「一応買取のつもりで伺ったのに本人はいないし。それに異様な匂いがしてね。これは死臭だとピンときて。たまにそういう現場もあるからさ、すぐにピンときて。それで一緒に行った奴らと奥の部屋を覗いたら——」


 ごくりと唾を飲み込む。

 この先を聞きたくないと思った。


「ベッドの上に死体があって。もちろんのこと、そこには蝿がたかってるんだけど。その周りにも死体がね、猫の死体が何体もあってさ。あぁ〜参ったな、喋ってたら思い出しちゃったよ。はりゃりゃ、参ったな、こりゃ」


 白髪だらけの頭を掻きむしり、町田さんは「でさ」と続きを話す。もう聞きたくないと、正直思いながらも、話を止めるなんてことはできないと思った。


「どうもね、先に死んだのは依頼主で、その死体を飼ってた猫が喰ったんじゃないかって話でさ。部屋はドアが閉まってたし。後から聞いた話だけど、餌をくれる人がいなくなって飢えに苦しんだ猫達がきっと主人を食べたんだろうって、そういう話でさ。いやぁ、参った参った。思い出しちゃった。こういうのってどんどん忘れていかないと、仕事になんないから。いや、酷い現場だった。ま、そういうわけで依頼通り、人形だけ引き取って売ったって、そういうことなんだけどね」


「いやぁ参った」と何度も口に出し、町田さんは「いけねっ」と席を立った。


「五時から一件仕事が入ってて、行かなきゃなんないから。悪いね。こんな話で」

「いえ、ありがとうございました」

「あ、そういやお菓子まで貰ったのにお茶も出さなくて。そうだ、缶コーヒー持ってく?」

「「いただきます」」


「ん?」とカイリ君の顔を見る。

 目配せで心の声が聞こえる。

 ——町田さんが移動したらファイルの写真をとる。

 ——了解。


「ちょっと待ってて」と、細い通路に町田さんが消えるのを待ってから、カイリ君はスマホでファイルの写真を撮った。その横でわたしはすごく怖いと思っていた。


 ——実はさっきから、ずっと誰かに見られているような気がしている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る