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「と、東京?!」


 ホテルを出て向かった先は美咲さんのアパートではなく、コンビニだった。正直ほっとした。またあのアパートには行きたくなかった。朝ご飯としてサンドイッチを購入し、駐車場に車を停めて食べている。卵サンドを持つ手に思わず力が入り、「東京?」と聞くわたしとは対照的に、昆布のおにぎりを買ったカイリ君はピリピリっとビニールを剥がしながら、「そうです東京です」と何事もないように答えた。


「新幹線に乗ればすぐですよ」

「いや、そういう問題じゃなくて——」

「お金は心配ご無用。こう見えて僕結構お金持ちなんです」

「そういう問題でもなくて。なんで東京かってことで」

「ああ、それは——」


 カイリ君曰く、わたしがホテルで寝ていた間、徒歩三十分の距離を往復して美咲さんのアパートへ行ったそうで。


「ホテルに戻ってドアを開けた瞬間、叫び声が聞こえてびっくりしました」

「それは、本当にお騒がせしました……」


 怖い夢を見ていた。

 とても、怖い夢を——。

 夢だったのに、今でも身体を触られていた感触が思い出せる。

 得体の知れないものに犯されていく夢。

 奇妙な笑い声。

 そして微かに聞こえた、助けて——。


「真矢ちゃん?」

「あ、ごめん。それで、なんでまた東京?」

「さっき美咲さんの家に行ってきた話はしましたよね?」

「うん……」

「美咲さんのパソコンの履歴を辿っていたら興味深いものを見つけたんですよ」

「小説が保存してあったとか?」

「残念ながら、それはなかったです。でも、フリマサイトの購入履歴に面白いものを見つけました」

「面白いもの?」

「人形です——」


「にんぎょ、う……」変な声が出てまたぞわぞわと悪寒が身体を走り抜けた。人形、もしかしてそれは『公衆電話の太郎くん』に出てくる人形——。でもあれは創作話だと小刻みに顎を振る。


 ——いやいや、ないない……。でも……。


「人形って、まさか、男の子の……?」恐る恐る聞くとカイリ君はさも当然と言った顔で「そうです」と答えた。


「布製の男の子の人形。写真はなかったですが、購入履歴の商品名はそうでした。だから実物がないか探しに行ったんですが、ありませんでした。それで、その購入した先が東京の骨董品店で。ま、ウェブサイトを見る限り骨董品店とは名ばかりの古道具屋、それよりもリサイクルショップといった方がいいかも知れませんね」

「リサイクルショップ……」

「はい。リサイクルショップ。例えば人が死んだ時とかに依頼を受けて引き取ったものを売るような、そんな感じの」

「人が死んだ時に引き取るような——」

「そうそう。そういう類のサービスも書いてあったので」

「へ、へぇ……」


 確かにそういう話はよく聞く。故人様の持ち物を処分する目的で回収業者に依頼をし、リサイクルにまわす。販売できるレベルのものはそうやって世の中に出廻っていると。


「でも、それなら電話で問い合わせでもいいのでは?」

「それが電話してみたんですけどね——」


 カイリ君が電話をかけると、込み入った内容だから直接来て欲しいと言われたそうで——。


「と、いうわけで東京へ」

「わたしも一緒に?」

「ええ。それとも真矢ちゃんはここでやめますか? 中嶋さんから絶大なる信頼を得て、娘を探してくださいって云われたのに?」

「それを言われると——」


 中嶋さんはわたしを信頼してくれた。


 ——しっかりとしたお嬢さん。お若いのに葬儀場で司会者なんて、なかなかできるもんじゃありません。わたしは二階堂さんを信頼しています。だから、どうかお願いします。


 あの間接照明だけの薄暗い部屋でわたしは中嶋さんに魔法をかけられた。そんな錯覚を覚えるほど、中嶋さんの言葉はわたしの心に染みている。


「行くしかない、か——」

「ですよね」

「でも、その前に」

「その前に?」


 一週間以上仕事を休んでいる。加藤さんから連絡がないのは気を使ってくれているから。こちらから一言、今の現状を——常識の範囲で——伝えておいた方がいい。


「会社に連絡して、まだお休みがもらえるか聞いてみる」

「さすが社会人」

「当たり前でしょ? そういえばカイリ君は仕事はいいの?」

「僕は自由業なので」

「自由業?」

「自由業です。この話突っ込んで訊くとめんどくさいことになりますが、訊きたいですか?」

「やめておく——」


 ——カイリ君の仕事が何かなんて興味もないし。


 でも——と、助手席のカイリ君を見遣る。きっと普通の仕事じゃなく、華やかな仕事をしている。それは例えば芸能人とかモデルとか、そういう類の——。


 ——おにぎり食べてるけど、きっとそうだよね。


「どうかしましたか?」

「いや別に——」


 サンドイッチを食べ終わると、車を降り、加藤さんの携帯に電話をした。「もう少しだけお休みをください」と伝えると、意外にも「年明けまで休んだら?」と答えが返ってきた。


『こっちはなんとかなるから。年を越して、気分を新しくして出社したらいいよ。それにほら、彼氏とクリスマスなんて入社してから一度もなかったでしょ?』

「彼氏……、ですか?」

『ほら、あの素敵な彼!』

「か、カイリ君は彼氏じゃないです!」

『いいのよぉ〜。わたし誰にも言わないから。ね、だから気分転換を目一杯してまた一緒に働きましょ。そういう時間って、結構大事だと思うのよ』


「ありがとうございます」と言って頭を下げた。相手の顔が見えない電話。それでも自然と頭が下がった。


「でも、忙しくないんですか? 冬だし——」

『思ったよりは。でもね、可哀想なお葬式ザザッ………ザ。ほら、今月亡くなった女……ザザッ……同じ……ザザッ……亡くなったのよ。そのお葬式がね——』


 ——ザッザザザッ……


「加藤さん? ごめんなさい、雑音で。電波かな——」

『で…しゃに…飛……ん……死……った……いで。それがほん……お……式……』


 ——ザッザザザッ……


「加藤さん? ごめんなさい、よく聞こえなくて——」

『あら、こっちは聞こえてるわよ?』

「あ、聞こえました」

『だから、心配しないで。本当に大変な時は呼び出すから』

「わかりました。本当にありがとうございます」

『でも、思ったよりも元気そうで良かった。心配してたから』


 加藤さんは優しくそう言うと「あらもうこんな時間」と、会話をしめた。加藤さんは大きな勘違いをしている。カイリ君はわたしの彼氏ではない。でも、そういうちょっとふざけた会話をわざとして、わたしの気分を明るくしようとしてくれた。そう思った。


 ——加藤さん、感謝します。


 これで心置きなく東京へ。でもその前にと、一旦家に戻ることにした。カイリ君はわたしが寝ている間にシャワーを浴び、身なりをきれいに整えた。でもわたしは——。


 一人暮らしのアパート。戻るのは正直怖い。それに、シャワーを浴びるのも怖い。でも、このままお風呂に入らずに行くなんてことはやっぱりできない。


 身なりを整え、最低限必要な着替えを鞄に詰め込んで。

 わたしたちは東京へ向かった。

 


 


 




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