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 美咲さんの部屋はアパートの二階だった。部屋の鍵を開け、中に入るとひっそりとしていて、当然のごとく暗かった。手で壁を弄り電気のスイッチをつける。狭い廊下。その横に洗面所。一般的な作りの単身者向けアパートは、物が置かれ生活感があった。それは今すぐにでも誰かが帰ってきそうでもあって。

 

 でも、しかし——。

 この部屋の主人は一年間帰ってこない。


 中嶋さんは、失踪した娘の部屋の家賃や電気代を払い続けている。それがどういう意味を成すのか。週に一度、帰らない娘の痕跡を見にやってくる中嶋さんのことを思った。


 ——それに。


 ものすごく悪いことをしている気分。見知らぬ人に勝手に家に入られて、美咲さんがこのことを知ったら——。


 ——美咲さん、本当にごめんなさい。


 心の中で呟いて、先を進むカイリ君に続いて靴を脱ぎ、部屋に入った。どこにでもある木造アパート。白い壁紙、整理整頓された部屋。お月様のような丸いライトが天井についている。壁際に置かれたシングルベッド。布団に乱れがないのは、お母様が綺麗にしたのかも知れない。


 ——命の匂いがしない。


 主人を失った部屋。生活感があるのに、誰かが住んでいる気配を全く感じない。それでも——と、美咲さんの行方がわかるようなものを探す。


「パソコンは机の上にありますね。まずはそれからですね」

「うん、パソコンを調べてって言ってたもんね——」


 カイリ君が椅子に座るとキィと小さな音が鳴った。見たところ使い込まれた学習机とその付属品の椅子。安物ではなく、余計なものがないすっきりとした無垢材の机に、中嶋さんのセンスを感じる。と、同時に——。


 ——わたしの拘りが強くて。

 ——オーガニックなものって高いんですよ。


 中嶋さんの話を思い出し、こういうところにもその拘りが反映しているのだと思った。小学生の頃からこの机だとすれば、私が使っていたようなキャラクター物の、システマチックな学習机に美咲さんは憧れたかも知れない。でも——と思う。何年も使える品質の良い机。それも中嶋さんなりの愛の形——。


「良かった、ちゃんと起動しました」


 カイリ君の声でわたしもパソコン画面を見た。ロック画面。パスワードの入力を要求されている。


「パスワードか。当然ありますよね」

「うん、だね」

「僕は基本的に難しいものは使いませんね」

「わたしも、かな——」


 わたしのパスワードは誕生日。

 一度パスワードを忘れて困ったことがある。


「誕生日、とか——」と、鞄からメモ帳を取り出す。


「あった。えっとね、九月三日」

「九月三日、ということは0903かな……。残念、違いました」

「じゃ、名前を先に入れてみたら?」

「misaki0903……っと、残念、これも違いました」

「大文字とか?」


 思い当たる簡単なパスワードはどれも違っているようで——。


「どっかに書いてないですかね?」

「あ、わたしノートにメモってるものある」

「そうか。ノート、ノート、本棚には本しかないし。すいません。引き出し開けさせてもらいます」


 ——一応、すいませんと思う気持ちはあるんだ。


 カイリ君が机の引き出しを開けると黒い物が見えた。厚手の黒い表紙。わたしも好きでよく使うメーカーのノートだ。


「すいません、覗かせてもらいます」とカイリ君はノートを開く。それをわたしも上から覗いた。手書きの文字が書かれたノート。でもそれはちょっと思っていたのとは違っていて——。


「これって、何かのストーリーですよね?」

「うん」


 ファンタジーっぽいお話のメモ書き。

 魔法使い、呪い、呪術、呪文——。


 カイリ君がパラパラめくるノートのあちこちに、そう言ったワードが垣間見える。殴り書きをしたようなページ、蚯蚓みみずが這い回ったような、ちょっと読めないページに、丁寧にびっしりと文字が書かれたページ。そして、その内容——。


 ——あれ、このストーリーどっかで読んだ気がする?


「カイリ君、ちょっとそれ貸して」とノートを受け取りまじまじと読み進める。京子が書いているような現代ファンタジーではなく、そこにはちょっと怖いファンタジー系のストーリーが書いてある。


 ——悪役令嬢みたいなすんごい嫌なキャラの設定が書いてある。で、それを魔法陣で呼び出した悪魔が追い詰めて、懲らしめていくという展開で……。


 はらっと次のページをめくる。


 ——最後は主人公が悪者を成敗して、民は幸せになりました的な。


「これって……」

「どうかしましたか?」

「いやなんていうか、読んだことのあるお話と登場人物で——」


 ノートのページをめくる。


 細かい設定を書き進め、最後に『あー、もう無理!』と書き殴った文字。

 箇条書きされたアイデア。そこに『ナイスアイデア!』と吹き出しを書き、丸で囲った文字。

『思い浮かばん……』と書かれた文字に、『起承転結大事だし!』と心の声を書いた文字。


「これって、もしかして——」

「もしかして?」

「もしかして、美咲さんってお話を書いてた人? それもネットで。わたし、この話読んだことある……かも?」


 ——であれば最後のページ。


 最後のページまで急いでめくる。物語のアイデアノートだとすれば、失踪する直前——その当時書いていたかは不明だけど——のメモ書きがあるはず。そう思ってめくっていたページを見て、思わず「え?」と声が漏れた。


「どうかしましたか?」

「これって、もしかして——」


 カイリ君に急いでノートを見せる。

『公衆電話の太郎くんネタ』と書かれたそのページ。

 そしてその下に書かれた設定。


「これは——」

「うん——」

「「ゆららさんが美咲さんだった?」」


 

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