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「真矢ちゃんそろそろ窓閉めませんか? 僕、寒すぎて寒すぎて——」
「まだ閉めない! それに車に戻るなり煙草臭って言ったのはカイリ君でしょ?」
「だって本当にすごい煙草の匂いで——」
助手席で文句を言うカイリ君に「当分閉めないから」と吐き捨て幹線道路を走っている。赤いテールランプの群れ。帰宅ラッシュと被ってはいるがそこそこのスピードで走行している。後ろで結んでいた髪を敢えて解き、全開の窓から車内に流れ込む冷たい風で髪を揉みくちゃに。はやく煙草の残り香を消したい。今は寒いよりもまずはそれが優先。
「それでー? 話は訊けたんですよねー?」
風にかき消されない音量でカイリ君がわたしに尋ねる。「うん、まあね」と答えるも、煙草にいやらしい目つき。もう耐えられないと店を出て、車を運転してから少し冷静に考えた。
——結局女癖が最悪ってことくらいしか聞けてないよね?
被害者の鈴木啓太さんが、報道で知り得た情報——家族思いの良いパパ——ではなく、ゲス男だということは分かった。それこそ決算前大セール並みに恨みを買っている気がする。
「誰か怪しそうな人はいましたかー?」
ハンドルを握り無言を貫く。どこかコンビニの駐車場にでも入ってから。せめて車を停めて普通の声で話したい。それに——。
頬を刺すような冷たい風で頭を冷やしさっき聞いたことを纏める。
——鈴木さんはあちこちの取引先に女の人がいた。小林さんの話だと六人くらいって言ってた。名前が出てる人で六人。多分それ以上いたかもしれない。あの時小林さんが指を折りながらぶつぶつ言ってた名前。わたし誰も覚えてないんだよね。あああ、メモ取ればよかった。なんかすぐに話が始まってメモを取るなんて思いつかなかった〜。そんなことをカイリ君に報告したらなんて言われる? 何しに行ってきたんですかとか、言われる? で、また聞いてこいとかなる? あり得る。カイリ君なら十分あり得る。えー、それは嫌だよ〜。だってあの人も相当遊んでる感じがしたよ? それにわたしを誘おうとしたし。思い出せ、思い出せ、ちゃんと聞いてきたことを思い出せ、わたし。
前方の車、ブレーキランプ。速度がゆっくりになり始め渋滞しているのだと気づく。強風が弱風に変わる。静かになり始める車内。
「真矢ちゃん? さっきの僕の話、聴こえていましたか?」
「全然。風の音で聞こえなかった」
——まずい。聞こえないフリが通用しない。
「とりあえず窓、もう閉めませんか?」
「やだな。まだ煙草くさいし」
「じゃあそれは良しとして、どこに向かって走ってるんですか?」
「え? 来た道を戻ってるんだけど」
「戻ってどうするんですか?」
「え?」とカイリ君の方を向く。来た道を戻るのだと思っていた。「戻らなかったらどうするの?」と聞き返す。
「いやだから、さっき聞いた話で有力な情報があればそこへ向か——」
カイリ君の最後の言葉を待たず、前の車のブレーキランプが消えた。「あ、動いた」とわざわざ口に出しゆっくりと車を前進させる。でも車内に風は吹き込まず話が十分できる静けさで——。
「もしかして何も訊けなかったとか?」
「聞けたよ。女癖が最悪。あちこちに女が居たみたい」
「そうですか。やっぱり」
「やっぱり?」と声が上擦り隣に視線を向ける。
「やっぱりですよ。僕、テレビで見た時から絶対そういう人だろうなって思ってました」
「そうなの?」
「はい。一家惨殺事件の被害者だし、家族思いの優しいパパとして報道されていましたけど、ネットでは色々書き込まれていましたよ。女遊びが酷いとか、なんとか」
「じゃあわたしが聞きに行く必要なかったんじゃ——」
「それは違います。ネットはネット。リアルな知り合いとは別ですよ」
「ふうん……」
「でもこれで裏が取れましたね! お手柄です」
「え? お手柄?」
——まだ何も話してないのに?
「お手柄ですよ。だってリアルに真矢ちゃんと小林さんが会いました。だからここからは僕が真矢ちゃんに成り済ましてメールで質問しても良いわけだし。一回会った人からのメールって、信頼性が上がるでしょ?」
「なるほど——」
「だから真矢ちゃんに行ってもらったんですよね〜。それにあそこの店——」
「煙草臭いし?」
「苦手なんですよねぇ〜、煙草の匂い」
「それはわたしも同じだし!」
「で、もう窓閉めませんか? 本当に寒いんですよね。僕ずっと車で待機だったし」
わたしの指先も鼻先も実はすごく冷えている。「もう仕方ないなぁ」と恩着せがましく呟きながら車の窓を閉めた。片手で髪の毛を撫でつけカイリ君をちらりと見遣る。カイリ君は息を吹きかけながら手を擦り合わせている。暖房を全開にし、すぐ目の前のコンビニに車を入れた。
「とりあえず温かい飲み物でも買う?」
「ありがたいです。それに次にどこへ行くのかも決めましょう」
駐車場に停め車を降りた。暖かい店内。流れるクリスマスミュージック。ホットドリンクコーナーでほうじ茶を手に取りレジに並ぶ。作業着姿の若い男性の後ろ、待っている間にじんわり掌が温まる。カイリ君はわたしの後ろでお汁粉の缶を持ち、「すぐ冷めちゃうな」と溢した。その声を聴きながらレジの横、湯気で曇ったガラスケースに目が行き思わず肉饅を買った。
美琴ちゃんの事故からこの一週間。お腹が減るとか何か食べたいとか思う事がなかった。なんだかんだ言いながらも、カイリ君に電話して良かったと思った。
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