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待ち合わせ場所の『喫茶キャビン』はこぢんまりとした古い喫茶店で、カランコロンとベルを鳴らしドアを開けると、珈琲と煙草の匂いがした。今時珍しい全席喫煙可なのか、どのテーブルにも小さな白い灰皿が置いてある。カウンター席は四席、テーブル席が十席ほどの小さな店で、常連ぽい男性客がカウンターで煙草をふかしながら初老のマスターと話をしていた。薄暗い店内。どことなく靄かかって見えるのは煙草の煙——。
——うわぁ〜自分じゃ絶対選ばない店。
咄嗟に浮かぶ数分前のカイリ君との会話。
——僕は車で待ってます。小林さんにしっかり聞いてきてくださいね。真矢ちゃんは仕事上、人の話を聞くプロでしょ? それに僕、苦手なんですよね。
「なにが?」と聞いたわたしの質問にカイリ君は答えなかった。でも今ならわかる。それはきっとこの煙草。洋服に煙草の匂いが付くのが嫌だったと、そんなところか——。
——わたしだって嫌だってば〜、もう! それに女性がひとりで来るような店じゃないよ〜。
そう思っても今更遅い。とりあえずと店内に視線を動かした。小林さんの風貌はFacebookの写真で確認済みだ。元ラガーマン。がっしりとした胸板の厚い男性でスキンヘッドに近い坊主頭。近いと思うのは禿げ始めた頭髪を潔く丸坊主にしたという印象を持ったからだ。
——スキンヘッドに近い丸坊主、ラガーマン風の体格……。
きょろきょろ店内を見渡す。店内には数組のお客さん。その全てが男性で、でもスキンヘッドに近い頭は見当たらなかった。不意に「いらっしゃい」と声が聞こえそちらを向く。声の主は白いシャツに茶色いベストを着た小洒落た初老のおじさん。カウンターの向こうにいる喫茶店のマスターだ。
「お客さんおひとり? うち、喫煙可にしていますけど大丈夫ですか? それとも喫煙者?」
「はい、あ、いいえ。煙草は吸わないですが待ち合わせなので——」
「ははは、それはお気の毒に。まだお相手は来てないのかな? それならほら、あそこの窓際の席、そこなら空気清浄機に一番近いですから」
「どうも——」と案内された窓際の席に座る。本物の純喫茶。それも年代物の純喫茶。座る椅子やテーブルに時代を感じる。煙草臭いのは置いておいて、こういうのは嫌いじゃないと思った。どことなく懐かしいと、思わずメニューを開く。ゴシック文字で書かれたドリンクメニュー。クリームソーダの写真は緑と赤が古めかしく映えている。食事メニューもいくつかある。写真付きは楕円形の銀皿にのったオムライス。
——これぞ、本物。
高校時代、京子とよく駄弁っていた喫茶店は純喫茶風のチェーン店。ここはまさに本物の純喫茶。感慨深く思っていると、コトンと目の前にお水の入ったカップが置かれた。次いで湯気のあがる黄色いおしぼりも登場する。
「ご注文どうします? 待ち合わせの人が来てからにしますか?」
「あ、はい。あ、でも珈琲を」
「アメリカンで?」
「あ……、それで」
ドリンクメニューの珈琲欄。結構種類があったけどここは盤石なアメリカン。ここ最近まともにご飯を食べていない。薄めの珈琲なら胃に優しそうだと思った。
窓の外を見る。太陽は沈み仄暗い駐車場。車のエンジンは切ってきたからカイリ君は寒いかも知れない。でも——。
——あの態度。
ひとりで家に居るよりは随分マシな精神状態に戻ってこれたとは思う。でも、あの態度。勝手になんでも決めて、さらには勝手にわたしのFacebookまで登録して。それに今から全然知らない小林という男性と二人きりで話をしなくてはいけない。確かに人の話を聞くことには慣れている。仕事上、ご遺族から話を聞いてナレーションを作成するから。でも、そうはいってもそれとこれは全然違う気がする。それに——。
——女性関係を聞けって無茶振りだよ。
「なぜ女性関係を聞かなくちゃいけないのか」と尋ねたわたしにカイリ君はさも当然といった顔でこう答えた。
——恨みを買うなら女性関係が一番じゃないですか?
恨み。犯人鷺沼は自分の人生を台無しにした恨みだと言っていた。それ以外に女性関係でも恨まれることがあるなんて。もしそうなら被害者の鈴木啓太さんの見方が変わってしまいそうだ。報道で見たり読んだした限りでは家族思いのいいパパの印象だった。
——あ、車が駐車場に……。
白い電気自動車が駐車場に入ってくるのが見える。黒いジャンバーを着た大きな男性。頭髪のないシルエット——。
——小林さんだ。
カランコロンとドアベルの音が聞こえ、立ち上がり入り口を見た。
「マスターこんばんわ」
「夕方に来るなんて珍しいね」
「ちょっと待ち合わせで」
「ああ、あそこ——」
小林さんと目が合い「どうも」と頭を下げる。
「お待たせしてすいませんでしたね」
「さっき来たばかりです。それに本日は急なお願いにも関わらず、ご足労をおかけして大変申し訳ございませんでした」
言葉使いも表情もお仕事モードにフルチェンジ。ご遺族から故人様のお話を聞くつもりで会話を進める。
「いやぁ、全然。あの事件からもう一年になるんですね」
小林さんが向かいの席に座り「いつもので」とマスターに声をかける。と同時に、わたしのアメリカンが運ばれてきた。
「すいません、先に頼んでしまって」
「いやいや、僕もお待たせしちゃって」
「お仕事はいいんですか?」
「予定していた仕事がなくなったもんで。そこは気にしないでください。営業だし今日のノルマは終わってるんで。それよりも——」
小林さんはスカジャン風の黒いジャケットを脱ぎながら話を続ける。
「一年も経ってるのに敬太のことを知りたいなんて連絡をもらってびっくりしましたよ」
「ですよね。突然すみませんでした」
「いや、いいんですよ。ちょうど時間が空いたし。丁寧なメールだったんで怪しい人じゃないだろうなって思ったんです。それで、敬太とあなたのご関係は?」
テーブルに身を乗り出し好奇に満ちた目で見られ思わず視線を外した。コップの水で口を湿らせたあと、カイリ君と打ち合わせていた通りの回答をする。
「敬太さんの奥様の知り合いです」
「奥さんの知り合い。なるほど。でなんで今更? あ、煙草いいですか?」
「どうぞ」
「この店今時珍しく煙草吸ってオッケーなんですよ。会社からすぐだし。ほら煙草吸ってる人って肩身が狭いっていうかね。でもあれっすよね。煙草代も上がっちゃったし。知ってます? 煙草一箱五八〇円。ランチ食べれる値段でしょ。でもなかなかやめられないんですよねぇ〜」
「そうなんですね」
正面からやってくる臭い煙を避けながら作り笑いを浮かべる。聞きたいことを聞き、早々に退散したい。
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