2_2
中村家のお通夜は加藤さんの読み通り弔問客が多く、喪主である息子さんは驚いた様子だった。
「まさか、母さんにこんなに知り合いがいるとは思っていませんでした」
結婚してからずっと専業主婦。父親も自分も仕事人間で、母の交友関係は全く知らなかったと語った息子さんは、目に涙を溜めていた。
高校時代から有名な全寮制の高校に進学し、大学へ行き、そのまま就職。お父様を数年前に亡くされてから実家に戻り、お母様と二人暮らしだったらしい。自分の知らない母親の人生。弔問に訪れた方のお話に耳を傾けている姿が印象的だった。
今日の弔問客は親戚関係以外はほぼ女性で、故人である幸代さんと同年代か歳下。その皆様は口々にこう言われていた。
——本当にさっちゃん先生にはお世話になって。
古くからのご友人。それぞれがお作りになったお人形や花籠を祭壇横のテーブルに供え、喪主である息子さんに生前のお母様のお話をしていた。
——お人形の先生だったんですよ。
——お宅にお邪魔するといつもお手製の焼き菓子を出してくれて。
——幼稚園のお迎えまでの時間。よく集まってそういう時間を楽しんでいたんですよ。
——健太郎くんが家を出てからもずっと、そうやって教えてくれていたの。
「確かに母は人形を作っていました。布で作った人形。父も僕もただの趣味だと聞いていましたが。そうか、それを皆さんと——」
ひとつの家族。
同じ家で暮らしていても知らない事は多い。
小さな秘密。
お友達を呼んで人形作りとお茶の時間。
専業主婦だった奥様の、ささやかで大切な時間だったのかもしれない。
弔問に来られたお客様がお帰りになり、ご遺族、親戚の皆様が控え室に移動した。『セレモニーホールなかの』では、ご希望であれば宿泊ができる。明日の葬儀まで、息子さんはお母様との時間を控室で過ごされる。
誰もいなくなった通夜会場。
祭壇に向かい自然と姿勢を正す。
家族葬向きの小ホール。
祭壇には白い花に囲まれた中村幸代様の遺影。
品の良いグレーヘアーの奥様は優しそうに微笑んでいる。
懐かしいご友人に会え、お喜びなのかもしれない。
自然と手を合わせ目を閉じた。
——中村様、素敵な人生だったのですね。今日は皆様お人形をお持ちくださいましたよ。可愛らしいお人形に、素敵なお花籠です。この度は、ご葬儀に関わらせていただき、誠にありがとうございます。心を込めて、明日、ナレーションさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。
明日のご葬儀で読むナレーション。今日お越しになった皆様にお伺いしたお話も追加したい。そう思いゆっくり目を開けた。
視線が祭壇横の花籠と人形に動く。
布製の手作りされた人形。
男の子だったり、女の子だったり。
小さな人形だったり、少し大きな人形だったり。
——明日のご葬儀が終わるまで、さっちゃん先生と一緒に居させてあげてください。
帰り際、人形を持ってきた女性はそう言っていた。艶のあるシルバーヘアー。その方も素敵なご婦人だった。六十代前半、他の皆様に比べ、比較的お若い女性だと思った。
——それにしても。
一歩、二歩。
人形に近づく。
ふと目に入る男の子の人形。
茶色いチェックのシャツに青いオーバーオール。
丁寧に作られたカントリー調のお洋服を着ている。
両手でそっと持ち上げると、思っている以上にずしっと重たかった。
弾力のある人形。
確かどなたかが、中身は羊毛だと言っていた。
——羊毛を丸める作業が大変でね。
——力がいるのよねぇ。
——凧糸で顔の輪郭を縛って作る時も大変だったわよね。
——さっちゃん先生の作るお人形みたいになかなかできなくてね。
——本当に先生のお人形は表情豊かで。
人形。
手作りの布製の人形。
頭の片隅で何かが引っ掛かる。
——なんだろうか、この感じ。思い出せそうで、思い出せない感じ。
人形の顔を見つめる。
刺繍糸で作られたつぶらな瞳。
一見無表情な人形。
でも——。
無表情だからこそ、何か語りかけてきそうな気がしてしまう。
——気のせいか。
そっと台の上に戻し倒れないように座らせた。
——瞬間。
ざざざざっと脳内で砂嵐のような音がして、記憶が巻き戻っていく。
布製の手作りの人形。
それも男の子の人形——。
——公衆電話の太郎くん。あそこに出てきた人形って、こんな感じの人形だったよね?
ゆららさんが書いていた『公衆電話の太郎くん』。その太郎くんが入り込む人形も、確か布製だった。縫い目が分からないほど綺麗に作られた人形。確かそう書いてあった。
「ああ、そうだった」と声が漏れる。
でも——。
だからと言って、美琴ちゃんに言うような事じゃないか——。
喫茶店を出るとき、美琴ちゃんとは連絡先を交換した。時間オーバー。あの場を離れるには、そうするしかなかった。それにわたしはこの斎場で働いていると知られている。逃げも隠れもする気はないし、困った時は話を聞くことくらいはできるはず。それにしても——。
——変な偶然。
中村幸代さんの遺影に視線を動かし、じっと見つめた。
朗らかそうな微笑み。
ふっくらした頬。
本格的に闘病される前、息子さんと東北へ行った時のお写真。
——ちょっと美琴ちゃんの毒気にやられたかな。
友人の死。
ありもしない都市伝説。
高校生の美琴ちゃんが怖がるのも無理はない。
その感情の波に少し飲まれてしまった。
——変な偶然でも、なんでもないって。
祭壇に一礼。事務所に戻ろうと身体の向きをくるっと変えた。その瞬間、ドンっと何かに身体がぶつかりパンプスのヒールがぐらりと動く。
「うわわわっ……!」
バランスが取れず、床に倒れ込んでしまった。痛む臀部と足首。咄嗟に浮かぶ『まずい』の三文字。
「いて、いてて……」
足を捻ったかも知れない。
明日はご葬儀があるのに。
一体何がにぶつかったのかと顔をあげた。
目の前に立っている大きな黒い物体。
会場の照明が逆光で良く見えない。
手を眉の上にかざし訝しげに見上げた。
——人、だよね?
背の高い人影。
——真っ黒な服を着た、男性?
変なシルエット。
スーツ姿ではない。
とりあえず「申し訳ございませんでした」と声をかける。その後で、手を床に突き身体を持ち上げようとした。が——。
伸びてくる黒い影に腕を掴まれ、と同時に軽々と身体が持ち上がった。すぐに床を踏むパンプス。手を引いて立たせてくれたのだと気づく頃には、照明の明かりに照らされて、黒い人影が何者かわかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます