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 中村家のお通夜は加藤さんの読み通り弔問客が多く、喪主である息子さんは驚いた様子だった。


「まさか、母さんにこんなに知り合いがいるとは思っていませんでした」


 結婚してからずっと専業主婦。父親も自分も仕事人間で、母の交友関係は全く知らなかったと語った息子さんは、目に涙を溜めていた。


 高校時代から有名な全寮制の高校に進学し、大学へ行き、そのまま就職。お父様を数年前に亡くされてから実家に戻り、お母様と二人暮らしだったらしい。自分の知らない母親の人生。弔問に訪れた方のお話に耳を傾けている姿が印象的だった。


 今日の弔問客は親戚関係以外はほぼ女性で、故人である幸代さんと同年代か歳下。その皆様は口々にこう言われていた。


 ——本当にさっちゃん先生にはお世話になって。


 古くからのご友人。それぞれがお作りになったお人形や花籠を祭壇横のテーブルに供え、喪主である息子さんに生前のお母様のお話をしていた。


 ——お人形の先生だったんですよ。

 ——お宅にお邪魔するといつもお手製の焼き菓子を出してくれて。

 ——幼稚園のお迎えまでの時間。よく集まってそういう時間を楽しんでいたんですよ。

 ——健太郎くんが家を出てからもずっと、そうやって教えてくれていたの。


「確かに母は人形を作っていました。布で作った人形。父も僕もただの趣味だと聞いていましたが。そうか、それを皆さんと——」


 ひとつの家族。

 同じ家で暮らしていても知らない事は多い。

 小さな秘密。

 お友達を呼んで人形作りとお茶の時間。

 専業主婦だった奥様の、ささやかで大切な時間だったのかもしれない。


 弔問に来られたお客様がお帰りになり、ご遺族、親戚の皆様が控え室に移動した。『セレモニーホールなかの』では、ご希望であれば宿泊ができる。明日の葬儀まで、息子さんはお母様との時間を控室で過ごされる。夜伽よとぎ。今ではされないことも多いけれど、今回の喪主様は夜伽をご希望された。


 誰もいなくなった通夜会場。

 祭壇に向かい自然と姿勢を正す。


 家族葬向きの小ホール。

 祭壇には白い花に囲まれた中村幸代様の遺影。

 品の良いグレーヘアーの奥様は優しそうに微笑んでいる。

 懐かしいご友人に会え、お喜びなのかもしれない。

 自然と手を合わせ目を閉じた。


 ——中村様、素敵な人生だったのですね。今日は皆様お人形をお持ちくださいましたよ。可愛らしいお人形に、素敵なお花籠です。この度は、ご葬儀に関わらせていただき、誠にありがとうございます。心を込めて、明日、ナレーションさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。


 明日のご葬儀で読むナレーション。今日お越しになった皆様にお伺いしたお話も追加したい。そう思いゆっくり目を開けた。


 視線が祭壇横の花籠と人形に動く。


 布製の手作りされた人形。

 男の子だったり、女の子だったり。

 小さな人形だったり、少し大きな人形だったり。


 ——明日のご葬儀が終わるまで、さっちゃん先生と一緒に居させてあげてください。


 帰り際、人形を持ってきた女性はそう言っていた。艶のあるシルバーヘアー。その方も素敵なご婦人だった。六十代前半、他の皆様に比べ、比較的お若い女性だと思った。


 ——それにしても。


 一歩、二歩。

 人形に近づく。

 ふと目に入る男の子の人形。

 茶色いチェックのシャツに青いオーバーオール。

 丁寧に作られたカントリー調のお洋服を着ている。

 両手でそっと持ち上げると、思っている以上にずしっと重たかった。


 弾力のある人形。

 確かどなたかが、中身は羊毛だと言っていた。

 

 ——羊毛を丸める作業が大変でね。

 ——力がいるのよねぇ。

 ——凧糸で顔の輪郭を縛って作る時も大変だったわよね。

 ——さっちゃん先生の作るお人形みたいになかなかできなくてね。

 ——本当に先生のお人形は表情豊かで。


 人形。

 手作りの布製の人形。

 頭の片隅で何かが引っ掛かる。


 ——なんだろうか、この感じ。思い出せそうで、思い出せない感じ。


 人形の顔を見つめる。

 刺繍糸で作られたつぶらな瞳。

 一見無表情な人形。

 でも——。


 無表情だからこそ、何か語りかけてきそうな気がしてしまう。


 ——気のせいか。


 そっと台の上に戻し倒れないように座らせた。


 ——瞬間。


 ざざざざっと脳内で砂嵐のような音がして、記憶が巻き戻っていく。

 布製の手作りの人形。

 それも男の子の人形——。


 ——公衆電話の太郎くん。あそこに出てきた人形って、こんな感じの人形だったよね?


 ゆららさんが書いていた『公衆電話の太郎くん』。その太郎くんが入り込む人形も、確か布製だった。縫い目が分からないほど綺麗に作られた人形。確かそう書いてあった。


「ああ、そうだった」と声が漏れる。

 でも——。

 だからと言って、美琴ちゃんに言うような事じゃないか——。


 喫茶店を出るとき、美琴ちゃんとは連絡先を交換した。時間オーバー。あの場を離れるには、そうするしかなかった。それにわたしはこの斎場で働いていると知られている。逃げも隠れもする気はないし、困った時は話を聞くことくらいはできるはず。それにしても——。


 ——変な偶然。


 中村幸代さんの遺影に視線を動かし、じっと見つめた。

 朗らかそうな微笑み。

 ふっくらした頬。

 本格的に闘病される前、息子さんと東北へ行った時のお写真。


 ——ちょっと美琴ちゃんの毒気にやられたかな。


 友人の死。

 ありもしない都市伝説。

 高校生の美琴ちゃんが怖がるのも無理はない。

 その感情の波に少し飲まれてしまった。


 ——変な偶然でも、なんでもないって。


 祭壇に一礼。事務所に戻ろうと身体の向きをくるっと変えた。その瞬間、ドンっと何かに身体がぶつかりパンプスのヒールがぐらりと動く。


「うわわわっ……!」


 バランスが取れず、床に倒れ込んでしまった。痛む臀部と足首。咄嗟に浮かぶ『まずい』の三文字。


「いて、いてて……」


 足を捻ったかも知れない。

 明日はご葬儀があるのに。

 一体何がにぶつかったのかと顔をあげた。

 目の前に立っている大きな黒い物体。

 会場の照明が逆光で良く見えない。

 手を眉の上にかざし訝しげに見上げた。


 ——人、だよね?


 背の高い人影。

 ——真っ黒な服を着た、男性?


 変なシルエット。

 スーツ姿ではない。


 とりあえず「申し訳ございませんでした」と声をかける。その後で、手を床に突き身体を持ち上げようとした。が——。


 伸びてくる黒い影に腕を掴まれ、と同時に軽々と身体が持ち上がった。すぐに床を踏むパンプス。手を引いて立たせてくれたのだと気づく頃には、照明の明かりに照らされて、黒い人影が何者かわかった。




 

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