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重たくて
四時までに帰社。その予定が二十分も遅れてしまった。とはいえ、本日のお通夜は一件。それも家族葬のお通夜で、ほぼほぼ準備は終わっている。時間通りに会社に戻りたいと腕時計を気にしながらも、目の前にいる美琴ちゃんを適当に
——あの話、どういう話なんですか?
怯えるような眼差し。「他に頼れるところがないんです」と涙目で聞かれ、『公衆電話の太郎くん』について、わたしが知っていることは全て話したつもりだ。
深夜の公衆電話。
それも緑色に限る。
自分の携帯に電話をかけ、自宅で待っていると公衆電話から電話がかかってくる。
摺り合わせた結果。
わたしが話した内容は、美琴ちゃんが覚えていた『公衆電話の太郎くん呼び出し方法』と、ほぼ同じだった。
でも——。
美琴ちゃんは知らなかった。
男の子の人形を用意することを。
美琴ちゃんの見つけた動画がどんなものか、わたしには分からない。でも、一年前ゆららさんが書いた都市伝説、『公衆電話の太郎くん』。あのお話は人形に太郎くんが入り込み、願いを叶えてくれる——ただし生贄が必要——というものだった。その辺りのことを話していたら、思った以上に時間がかかってしまった。
——男の子の人形を用意していないと、どうなるんですか?
——かかってきた電話に出なかったら、どうなるんですか?
——取り消す方法って、ないんですか?
残念ながら、聞かれた質問には答えることができなかった。そもそもあれは、ゆららさんの創作都市伝説。実際に起こる訳がない。それでも、わたしが記憶していることは全て話したはず——。
——お話の流れは大体覚えていた。
都市伝説を試す主人公。人形に入り込んだ太郎くんに生贄を差し出し、望むものを手に入れるうちに欲望が増幅し、エスカレートしていく話。
確か話数的には十話もなかったはず。
あの話はコンテスト参加作品だった。でも途中で連載が止まり、その後ゆららさんのアカウント自体が消えてしまった。だから、わたしはそれも含め、美琴ちゃんに話したけれど——。
喫茶店で感じた嫌な感触がまだ胸の中に停滞している。
やり残した事はない。
必要な情報は全て話したはずなのに——。
「考えてもどうしょうもないか」と独り言ち、車から降りた。パタンとドアを閉めながら、トイレから戻ってきたときの京子の顔を思い出す。もう終わった? とでも言いたげなあの顔。それに京子は結局『公衆電話の太郎くん』の話を全然覚えていなかった。Twitterでシェアまでして、それがきっかけで美琴ちゃんは連絡してきたというのに——。
——あの頃はさぁ〜、新米ママだったしスマホで小説読みながら寝ちゃったりとかあって、覚えてないの〜。それに、ほら、あの話。ゆららさんのいつもの感じと違って、ガチホラーだったし。ね? わたしって、怖いの、苦手でしょ?
「全く」呆れて呟く吐息が白い靄となって空に舞う。
——京子め。いつか何か奢らせてやる。
一年前のことを思い出す。初めての赤ちゃんにてんやわんやの京子は、学生時代から書いていた現代ファンタジー系の物語ではなく、子育てエッセイを書いていた。それも不定期更新で、ほぼ読み専と化していた。その時に多分たくさんの作品をTwitterで紹介していたと推測する。
自分は書かず、読み専で楽しむ。
それもWEB小説の楽しみ方のひとつ。
でも、そんなことを言えばわたしだって、か——。
高校の演劇部時代から物語を書くことは好きだった。でも小説サイトには投稿する勇気がない。そこではせいぜいお仕事エッセイを書くくらいで、あとは気に入った作者さんの作品を読んでいる。
『微笑みのお葬式エッセイ』
心に残ったお葬式を不定期更新で書いている。そこそこ読者さんも増え、公開すればPV数も増える。でも最近は更新しようとは思えない。心温まるご家族のエピソードが詰まったお葬式。そうでない限りは、お葬式の話を書く気にはなれない。それに——。
——最近のお葬式っていったら……。
美琴ちゃんの友達——。
女子高生の自殺と、不審死。
そんな悲しいお葬式、エッセイに書くわけない。
ダメだダメだと
通用口から中に入り「遅くなりました」と声を掛け事務所に戻る。ドアを開けると先輩社員の加藤さんが「大変かもよ〜」と、椅子に座りながらこちらを向いた。
清潔感を出す黒い纏め髪。喪服調の制服に身を包み、五十代とは思えない肌艶の加藤さんは手に持っている書類をめくる。
「今日の中村さんのお通夜。思った以上に
「そうなんですか? 家族葬だから、一番小さなお葬式でいいって息子さんからはお聞きしてますが」
「そう聞いてたんだけどね〜。息子さんが思っている以上にお母様は人望があったという事、なのかしら——」
今日のお通夜は一件。
中村
長年癌を患い、最後はホスピスだったと聞いている。喪主である独身の息子さんと二人暮らし。弔問客も親戚関係と自分の会社関係だけだから、そんなに多くはないはずだと、打ち合わせではお伺いしている。
「弔電がね、ちらほら届くのよ。それとお問い合わせのお電話も入ったのよね」
「そうなんですか?」
「うん。なんでも、お子さん関係でお付き合いのグループがあったみたいでね」
「お子さんがって事は、喪主の息子さんが子供の頃って事ですよね?」
「そうなの。喪主様、どう見ても五十代よね〜。だから三十年近いお知り合いってことになるのかしら?」
そうであるならば、ご葬儀の時のナレーションも少し見直さなくてはいけない。息子さんからは、本当に基本的なお話しか事前に聞けていない。
生誕地である青森から繊維工場の女工さんとしてこの地に来た事。そこで知り合った(故)中村健三郎さんと出会い、ご結婚されて、喪主である健太郎様を御生みになられた事。長年専業主婦として家庭を支えてきた事——。
「結婚されてからはずっと専業主婦だとお伺いしていたので、その頃にお知り合いになった方々、という事になりますよね?」
「そうよね〜。そういうのって、息子さんや夫の知らない世界なのよね〜、ほら、そういうのって奥様が話さないと知らないでしょ? あれ、という事は、足の悪い方もいらっしゃるかしら。椅子、もう少し出しておく?」
「ですね」
お通夜は夜の七時から。
ご喪家の到着はその一時間前。
——一応遅れますと連絡は入れたけれど。
「四時って言ってたのに、帰ってくるの遅くなってしまって、すいませんでした」
深々と加藤さんに頭を下げ、自分のやるべき仕事に取りかかる。
——まずは加藤さんのように身なりをもう一度整えなければ。
ロッカールームの鏡の前。
髪を解き、もう一度綺麗に纏め直した。
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