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「あ……」


 ここ最近葬儀場に用もなく現れる変質者Xだ。


「ちょっと、あなたまた——」

「どうも」


 心地よく耳朶に流れこむ低音ボイス。

 風変わりな黒い服。

 もじゃもじゃと肩まで伸びた髪。

 ムカつく程に色白な美男子。

 でもこいつはきっと変質者。


「ご遺族でも弔問者でもない方の入場はお断りしております。もう何回も申し上げましたよね?」

「はぁ、でも僕はですね——」

「またおかしなことを言われるんですか? これで三度目です。そろそろ警備の者を呼びますよ?」

「はぁ、でもですね僕は——」

「でももへったくれもありません! 本日は中村様のお通夜でございます。お客様は関係者ではないですよね?」

「でも、死の匂いが——」

「するに決まってるじゃないですか。ここは葬儀場ですよ?」

「そういう意味ではと前回も——」

「オカルトごっこは致しません!」


 思ったよりも大きな声が出てしまったと咄嗟に手で口を塞ぐ。辺りを見回すと、わたしとこの変質者——美男子だけど——以外、誰の姿もなかった。ほっと胸を撫で下ろし、今度は逆にわたしが変質者Xの腕をひっぱり会場から外に出る。


「もう、三度目です。すぐにお帰りください」

「あの、でも、これは結構大変なことになってまして——」

「大変なのはわたしです。なんで毎回わたしの担当する日に決まって現れるんですか? それもお通夜の後に。ご遺族がこれを見られたらどう思うと思いますか? 関係のない者を式場に通したなんて、管理不足だと思われたら堪りませんよ」


 事務所の通用口までと思い、やっぱりやめることにした。前回は通用口に引っ張って行き、途中で加藤さんに見つかりめんどくさいことになった。


 ——うんと、二階堂さん、その方は?

 ——加藤さん、この方、不審人物です。警備の方呼びますか?

 ——まさか、マヤちゃん僕のことそんな風に言わないで。あの、僕はマヤちゃんの彼氏です。ちょっと今喧嘩中でして。職場までやってくるなんて、本当に申し訳ありません。でも、こうでもしないと会ってくれなくて。


 思い出すだけで腹が立つ。声も良し、顔も良し。だから信頼性が高いのか、加藤さんはその出鱈目な話をすっかり信じてしまって大変だった。


 ——あら、そういうことなら。二階堂さん少しくらい抜けても大丈夫よ。


 もちろんすぐに追い返し、加藤さんには説明をしたけれど。

 ニヤニヤっとしたあの加藤さんの顔。


 ——いいのよ、そういうことってあるわよね。若い若い〜。それにしても格好良かったわね〜、もしかして、芸能人? あ、だから内緒ってこと? もう、ヤダァ〜。絶対秘密にしとくから。うふふ。


 葬儀会社で働いているからと言って、性格が暗い人という事はない。加藤さんは韓流アイドルやゴシップネタが大好きなおばちゃん。それに元は保険レディで口も達者だ。ただし、仕事中は葬儀会社のホールリーダーとしてふさわしい雰囲気に切り替える——。


 ——加藤さんはできる女だ。でも今は見つかるとめんどくさい。


「今日は表から帰ってもらいます」

「マヤちゃん、なんでそんなに怒ってるんですか?」

「真矢ちゃんなんて、名前で呼ばれる覚えはありません!」

「でも、マヤちゃん——」

「真矢ちゃんなんて呼ばれる覚えはありませんっ!」


 入口の自動ドアから外に出て、誰もいないことをさっと確認。「てか」と腕を離し向き直る。


「なんで真矢って名前知ってるんですか? 名札には二階堂しか書いてないのに」


 夜の十時過ぎ。薄暗いエントランス。真っ黒な洋服に身を包むこの変質者Xはわたしの質問を無視し、スタスタとお客様駐車場の方へ歩いて行く。


「ちょっと——」と、後を追いかけ、今日こそはもう二度と来ないように釘を刺そうと思った。そっと上着のポケットに手を当てる。スマホがあることを確認。


 ——それでダメなら警備会社に即連絡!


 わたしは結構負けん気が強い。イベントMC司会者や結婚式のMC時代、厳しい環境を生き抜いてきた。女性ばかりのMC派遣会社。理不尽な女経営者の元、耐え抜いた自分がいる。もう二度と戻りたくないあの業界。セクハラにパワハラが横行する中、負けるもんかと三年以上踏ん張った自分を知っている。


「よし」と気合いを入れ、スタスタ暗がりに歩いて行く変質者を追いかける。


 建物の明かりが届かない暗い場所まで進んでいく変質者X。それを追いかけるわたし。暗い場所、こいつが危険人物ならわたしはかなり危ない橋を渡っている。そう思うと、少し怖くなる。でも——。


 ——もう二度と来ないって約束させてやる。ここは神聖な葬儀場なんだから!


 スタスタスタスタと歩く男は駐車場の一番奥、白々しい電灯の下で立ち止まり、こちらを振り向いた。お洒落なのかどうかのか、判断がしづらい黒服。電灯に照らされているけれど、髪の毛がモジャモジャしていて表情が見えない。


 ——ナイフとか……。


 見える限り、手には何も持っていない。少し汗ばむ手をぎゅっと握る。電灯の下ならまだ安全か。幹線道路はすぐ隣を走っているし、大きな声で叫べば誰かの耳には届くはず——。


 そう思いながら近づくと、変質者Xはモジャッとした髪を後ろでひとつに結び、その後でぺこりと腰を折り曲げて「ごめんなさい!」と、頭を下げた。


「マヤって名前を知ってるのは、あなたがマヤ魔界というペンネームでエッセイを書いているから。そのペンネームなら、名前はマヤかなっていう、そういう僕の勘。でも、当たってたでしょ?」


「へ?」と、意外な答えに素頓狂すっとんきょうな声が出る。頭をあげた変質者Xは、髪を結んでいてさっきまでとはまるで別人で——。


 ——いや、美男子だとは思ったけど、すんごい綺麗な顔してる……。


 何を馬鹿なことを。

 見た目に騙されてはいけない。

 眉根を寄せて威嚇的な表情を作る。

 見た目に騙されてはいけない。

 こいつは変質者だ。


 睨みながら一歩前に足を出す。

 言わなくては。

 もう二度とここに来るなと——。


 わたしがそう意気込んでいるのに、彼は真っ直ぐにこちらを向いている。そんな彼の口元がふっと緩んだように見えた。白い息をふわふわと纏わせながら話を続ける。


「二階堂マヤ、二十八歳。独身。一人暮らし。名前の漢字はわからないけれど、きっとまことと書いてマヤじゃないかな? これも勘だけど。どう? 合ってる?」


 ——こ、こいつ……、何者?!

 

 

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