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 京子がわたしの横に座り、制服姿の彼女は向かい側の席に腰を掛けた。俯いた顔は血色が悪く見える。頬に触れている髪の毛が顔に影を落としているせいかもしれない。微妙な空気がわたしたちの間に流れている。こういう時は無理やり聞き出そうとせずに、相手のペースで話を進めた方がいい。でも京子はそうは思わなかったようで——。


 ベビーカーを手で揺らしながら京子は「すいません〜」と店員さんを呼んだ。


「待たせちゃってごめんねぇ。寒かったでしょ〜。このお店すぐ分かった? すぐに温かいもの注文するね〜、何がいいかな? 高校生だし、ココアとか甘い方が好きぃ〜?」


 二十八歳とは思えない甘々のキャラクターボイス。高校の演劇部時代、真剣に声優の道を目指そうとしていた京子を思い出してしまう。特徴的な声。真面目な話も不真面目に聞こえる声。それを生かせる仕事は声優しかないと意気込んで東京まで出て行った京子は、結局夢を諦めて一年足らずで地元に戻ってきた。できちゃった結婚をして母親になった彼女はさらに場違いな声で続ける。


「ココアね〜、トッピング追加すると、生クリームいっぱい乗っけてもらえるよ? あ、すいませ〜ん! こっち、注文、お願いします〜」


 テーブルに来た女性店員さんにメニュー表を指差しながら「えっと、これにこれを追加で」と注文を始める京子。その京子に「これでいい?」と聞かれ、目の前の女子高生は顔を俯けたまま小さく首肯した。


 ——この子、命の匂いがしない。


 命の匂い。変な表現だけれども、生命力のようなものを感じない。俯いていて表情が読み取れないせいだけではない。余程ショックなこと——例えば幼い我が子を亡くした親のように——があり、生きることを放棄しているような。例えばだけれども——。


「それでね真矢ちゃん」と隣から声をかけられ、はっと息を飲み込んだ。


 いけない。

 ここは葬儀場じゃない。

 それにこの女子高生は自分から京子に連絡をしてきた。

 目的があって、ここにいるのだから——。


「えっと、名前、美琴みことちゃんだったよね? ごめんね、バタバタとしちゃって〜。Twitterにメッセージくれた『公衆電話の太郎くん』のことなんだけど、わたしよりも真矢ちゃんの方がきっと詳しいと思ってね。それで来てもらったんだけど——」

「あの……」


 京子の言葉を待たず、美琴ちゃんはか細い声を出す。京子はそれに気づかず話を続ける為に息を吸う気配を出した。軽く手でパンと肩を叩き、京子を静止すると、変な間を置いてから、向かいの席に座る美琴ちゃんは顔を少しあげた。


 透かした前髪の奥、眉間に皺を寄せ、くっきりとした二重瞼の瞳は充血している。思い詰めた眼差しでじっとわたしの目を見つめて、美琴ちゃんはぽつりぽつりと話を始めた。


「あの……。実はわたし、お姉さんのこと知ってます……。お葬式で、見ました……。あの、わたし、……あの、わたしの友達、死んでしまって……」


 また俯き、その動きでほろほろっと大粒の涙がテーブルに溢れ落ちる。やはり、あの女子高生のお葬式で見た制服。同じ高校。


 それも友達だったとは——。


 美琴ちゃんがポケットからハンカチを取り出して淚を拭う。美琴ちゃんのペースで話をすればいいと、その様子を視界の隅で見た。ハンカチを握りしめる手が震えている。余程思い詰めていることがあるのかもしれない。しばらく黙り込んだ美琴ちゃんがスゥっと息を吸い、話を続ける。


「わたしの、友達だったんです……。二人とも……。同じ高校で、同じバスケ部で……。それで、あの、夏の合宿で……、わたしたち、動画を見たんです」


「動画〜?」と、京子が高い声で聞き返す。肘で軽く京子を小突き、話の続きを待った。美琴ちゃんは、ぽつりぽつりと言葉を探しながら話を続ける。


「夏だし、怪談話とか……。そういうの……いいねって……、観ようって。莉子りこが、言い出して……」


 莉子、その名前に覚えがある。

 最初に飛び降り自殺をした女子高生。

 立花莉子さん、享年十七歳。


「それで……。みんなそれぞれ自分のスマホで怖い話の動画を探して、それを見せ合っこして……。それで、それで……。わたしの見つけたオカルトYouTuberさんが話していた『公衆電話の太郎くん』をやってみないかってことになったんです……」


 ——『公衆電話の太郎くん』をやってみないか?


 一瞬にして全身が粟立つ。去年の冬、ゆららさんが書いていた『公衆電話の太郎くん』。もう公開されていないから確認は不可能だけれども、あの話は記憶に残っている。


 深夜二時から四時の間に緑の公衆電話から自分の携帯に電話をすると、太郎くんから着信が来るという、都市伝説。もちろんそれはフィクションで、ゆららさんの創作話。でも——。


 あの時のことを思い出す。ゆららさんが『実際に自分で試してみたんですよ』と書いていた近況ノート。あの方法は、きっと——。


「お待たせいたしました〜」と声が聞こえ、鼻先に甘い香りがふわっと届いた。ホイップクリームがもっこりと乗ったココアがふたつ。それと、アメリカンワッフルがひとつテーブルの上に置かれる。話が進みかけていたのに、間が悪い。


 女性店員に「ご注文は以上でしょうか?」と聞かれ、「はい」と営業スマイルで返す。はやく美琴ちゃんの話の続きを聞きたいと思った。京子は早速アメリカンワッフルをちぎり、ベビーカーに乗っている優ちゃんに手渡している。


「ごめんねぇ〜。気にしないで、話して話して〜」


 抱き抱えるよりも、ベビーカーに縛りつけたままの方がきっと楽なのだろう。優ちゃんはおしゃぶりをぷいっと自分で抜き取り、アメリカンワッフルを手で掴み食べ始めた。はぐはぐっと小さな音が聞こえ、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。


 向かいの席の美琴ちゃんはココアの入ったカップを手で包み込み、「あったかい」と小さく呟いた。その様子を見ながら冷め始めたコーヒーを口に含む。懐かしい苦味。お洒落な海外珈琲店の味よりも、わたしはこの少し薄めのコーヒーの方が好きだ。美琴ちゃんはしばらくカップで手を温めながら黙り込んで、その後でゆっくりと話を再開した。



 






 

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