第三章 伝播

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 昼を過ぎた喫茶店。店内は年齢層高めの奥様方で賑わっている。全国展開をしているこの喫茶店は、都会的というよりは地方向きな内装で、カフェよりも純喫茶という表現が似合う。普段着で、近所の人とモーニング。周囲はそんな雰囲気がダダ漏れのおばちゃんばかりで、大きめな話し声があちらこちらから聞こえてくる。ざわざわと音が密集する店内。込み入った話をするにはちょうどいい店だと思った。


 ——とりあえず、先に注文しておくか。


 きっとこの店を指定したわたしの友人はまだこない。京子は時間にルーズで、待ち合わせ時間に来たことがない。高校時代からの付き合い。そういうところにはもう慣れたけど、こちとら仕事を抜け出してきているのだから、今日はそんなに遅刻は困る。とはいえ、何か注文をとメニューを広げた。


 お洒落でもなんでもない喫茶店のメニュー。お昼ご飯は会社で食べてきた。だから飲み物だけ、と思いながらも、ついつい昔の癖でフードメニューも眺める。高校時代、よくこの店で京子と語り合った。自然と、その当時から変わらない写真に目がいく。デニッシュ生地にソフトクリーム。コーヒーゼリーとチョコケーキ。


 ——ううむ。美味しそうだけれど、アラサーにはカロリーがヤバいよね〜。


 フードはやめて、とりあえずコーヒーだけ注文し、腕時計を見た。待ち合わせ時間から十五分も過ぎている。


 会社には四時までに戻らなくてはいけない。

 来る時は会社から車で十五分もかかってしまった。

 ということは、長い時間話を聞くことはできないかもしれない——。


「もう〜本当に京子は〜!」


 子供が生まれママになった京子は、さらに時間がルーズになった。そういえば、最後にあったのはいつだっただろうか。子供が生まれてすぐだから、二年前——?


「子連れだし? さらに時間が読めない女になったって?」


 独言を窓に向かって投げかけると、木枯らしが道路脇の落ち葉をくるりと空に巻き上げ、ひゅ〜っと飛んでいくのが見えた。山から吹き降りるあの風は、きっと雪雲を運んでくる。今週末からは雪予報だとお天気お姉さんも言っていた。


 ——冬。

 わたしの仕事は一年間で一番忙しい季節になる。

 冬に亡くなる人が多いからだ。


 元々結婚式やイベントのMCを仕事にしていたわたしは、縁あって数年前から葬儀屋さんで働いている。


 葬儀。

 死の匂いのする場所。


 きっかけは登録している派遣会社からの依頼だった。最初は戸惑いながらもお金の為にと引き受けた葬儀の司会。何度かこなしていくうちに、この仕事に心惹かれ、今は派遣会社を辞め、正式に葬儀会社の社員として働いている。


 華やかな結婚式の司会。

 それとは対照的なご葬儀の司会。


 父も母も葬儀会社に就職すると話した時は反対した。そんな人の死に関わる仕事辞めておきなさいと。それでも、派遣時代を入れると、五年。反対を押し切って就職してから三年になる。


 わたしはこの仕事が好きだ。


 ご喪家そうけのご遺族の方々から故人のお話をお伺いし、ナレーションを作成する時、故人を偲ぶエピソードの数々に胸を打たれる。どんな人にも家族があり、その人の生きた時間、人生があったのだと感じる。だからこそ、心を込め最後のナレーションを読み上げる時、自然に涙がこみ上げることもしばしばある。


 ——一言で語り尽くせるものではございません。


 誰もが誰も、一言で語り尽くせない時間を生きている。故人を送り出す最後の瞬間、少しでも立ち会えたことに感謝し、自分自信を振り返る。わたしは、どう生きているのですか、と——。


 だから、この仕事を選んだ。

 結婚式ではなく、ご葬儀の司会を。


 ——でも時に、胸が引き裂かれそうに痛み、辛いこともある。


 大往生でこの世を去った故人のご葬儀と違い、事故や病気で若くしてお子さんを亡くされたご遺族と向き合い、話を聞くことは半端な気持ちではできない。亡くなったことを受け入れることができず、お心が決まるまで何日も待ったこともあれば、最後のお別れにお顔がお見せできないケースもある。それに、一生忘れられないケースも。


 ——あれは、今からちょうど一年前の冬。


 クリスマスを過ぎた年末。雪の降る寒い日に、ご家族四人の合同葬儀があった。わたしの勤めるセレモニーホールではなく、県内にある我が社の一番大きなホールで執り行ったその葬儀。人手が足りず駆り出されたわたしは、今でもその時のことを鮮明に覚えている。


 一年前、世間を騒がせた猟奇的殺人事件。

 その被害者の葬儀だったからだ。


 ——N市一家惨殺事件。


 幸せそうな三人家族。

 働き盛りの旦那様と、小綺麗な奥様。

 まだ幼い女の子。

 そして、この世に生まれ落ちることができなかった胎児。


 奥様方のご両親が葬儀場で泣き崩れ、旦那様方のご両親をなじる姿も耐え難かった。今でも耳の奥に残っている女性の声——。


 ——あんな男と結婚させるんじゃなかったぁ〜。医者でもないくだらない男と結婚させるんじゃなかったぁ〜。あの子はあんな男と一緒になったせいで殺されたんだぁ〜。返せぇ〜、娘を、孫を、返してぇ〜……!


 行き場をなくした悲しみと怒り。その矛先がきっと旦那様方のご両親だったとは思う。でも、愛するご家族を亡くしたのは同じ。「申し訳ありませんでした」と頭を下げるご夫婦に、胸が痛んだ。


 悪いのは犯人。

「儀式」などと言い放ち残忍な殺し方をした犯人なのに——。


 警察の検死から戻ってきたご遺体は、ベテランスタッフでさえ目を覆うような耐え難い状態だったという。内臓を引きちぎられ、顔も身体もズタズタに切り刻まれていた遺体。それに奥様は妊娠七ヶ月。お腹は真っ直ぐ縦に切り開かれ、中の胎児は抜き取られていた。


 ——信じられない光景だった。夢にも出てくるし、もうこの仕事やめようかな……。


 何十年もこの仕事をしてきた納棺師の越野こしのさんでさえ、そう言っていた。あの時、ご遺族に見せることのできない遺体は、火葬してからの葬儀となった。


 わたしはきっと、その日のことを一生忘れることはない。あれほど悲惨な葬儀は今まで経験したことがない。そしてきっと、これからも。


 ——そう思っていたけれど。


 ここ最近、普通ではありえない葬儀が続いた。


 一件目の女子高生。

 飛び降り自殺だと聞いている。

 白昼、友人たちの目の前で歩道橋から飛び降りたと。


 自殺した故人のご葬儀は過去にも担当したことがある。

 自殺自体は、珍しいかと聞かれると返答に困る。

 でも、その顔が——。


 目蓋が引き千切れるほどに見開いた目。

 何かに恐れ慄き、恐怖に飲み込まれたような、あの目。

 納棺後、閉じた目蓋がいつの間にか開き、何度も手で触れ目を閉じさせた。

 そんなことは今までなかった。

 閉じたはずのご遺体の目が開くだなんて——。

 

 それだけじゃない。

 ——その数日後。


 同じ高校の女子高生が自宅で死亡。

 ——あれはどう考えても普通じゃない。


 首に巻き付いた紐状の赤い跡。

 わたしはそれを、見た。

 何本も筋が斜めに巻き付いた、血が滲む赤い跡。

 首の骨は折れ、一人目の少女のように目が充血し開ききっていた。


 自宅の自分の部屋で、状況は密室。

 警察は自殺と他殺、病死で調べていると言っていたけれど——。


「お待たせいたしました」と、女性店員の声がし、はっと意識を今に戻す。コトンと音がして、飴色のテーブルに白くて大きなマグカップが置かれた。喫茶店のロゴマークが赤色で大きく書かれたマグカップ。なみなみと黒い液体が注がれている。


「お代わりは何度でもできますので、お気軽にお声がけください」


 ほっそりとした女性店員のその声に被って京子の「ごめん〜!」が聞こえた。


「真矢ちゃん待ったよね〜? 子供がねぇ、出かける間際にオムツで。もうほんとごめん!」


 白くてぽっちゃりとした顔。亜麻色のボブカットを耳にかけ、京子がベビーカーを椅子の横に付ける。ベビーカーの上、今年で二歳になる娘の優ちゃんは少し不機嫌そうにおしゃぶりを咥えていた。赤いカーディガンの袖が長いのか、何重にも巻き上がり、ぷくぷくっとした手が余計にぷっくりして見える。


「もう慣れてるからいいよ。でもごめん、わたし四時には会社戻らないとで三時半までしか無理だな」

「うん、ごめん。それでね——」


「こっち、こっち」と、京子が手招きをする方を見ると、紺色のダッフルコートを着た女の子が立っているのが見えた。肩まで伸びた髪を束ねることなく、顔は俯いていて、表情がよく見えない。でも、京子から事前に聞いていた通り、深刻そうな雰囲気を醸し出している。


 ——死の匂い。


 咄嗟にそう思い、かぶりを振った。

 めっそうなことを思うもんじゃない。


 こちらに向かい、ゆっくり歩いてくる姿を見ながら短く京子と会話する。


「あの子が、Twitterで?」

「うん、そうなの」


 京子からは事前にこう聞いている。


 ——『公衆電話の太郎くん』について知りたいって人から連絡が来たんだけど、繋いでいい?


『公衆電話の太郎くん』。


 それは、小説サイトで仲良くしていた『ゆらら』さんが書いた都市伝説物のホラー小説で、すでに公開はしていない。ゆららさんのアカウント自体が一年前に消えてしまったからだ。


 ——嫌な予感がする。


 近くまで来た少女の着ている紺色のダッフルコート。

 その下に見える制服。

 紺色に赤くて細い線が入ったチェックのスカート。

 先日の二つのご葬儀。

 高校生が自殺し、その後友人が自宅で亡くなった葬儀。

 あの葬儀で見た制服。


 彼女の着ている制服は亡くなった二人と同じ高校のものだった。





 

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