episode8_1
信じられない気分で机を見下ろしている。朝起きたらノートパソコンの電源が落ちていた。どうやら夜のうちに、何かの弾みでコンセントが抜けてしまったようだ。
「もう、電源、電源〜。差してるのに、なんですぐに立ち上がらないの?!」
年代物のノートパソコン。電源が完全に無くなると立ち上がるまでの時間が長い。化粧をして身なりを整えている間も電源を差し込んでいたけれど、まだパソコンはブラック画面のままだ。
もう直ぐ会社に行く時間。昨日どこまで小説を書いたのか確認したいのにと心が焦る。テレビでは今日の占いをやっているから、もうすぐ家を出ないといけないはずだ。
——そういえば自分の乙女座はまだ出てないよね? と言うことは、きっと「今日のよくない運勢の人」なのかも〜。と、そんなことはどうでも良いってば!
「もう〜、無理だ〜。家出なきゃ間に合わない〜」
後悔しても時すでに遅し。スラスラ書けたのが嬉しくて缶ビールをひとくちだけなんて、どうして思ってしまったのか。昨日の自分を恨みたい。あれほど、『書くなら呑むな』って思っていたのに——。
それに時間ギリギリまで眠ってしまった。早く寝た分、早く起きれば、きっとパソコンの電源は入ったはずなのに。十年物のノートパソコン。そろそろ買い替え時かもしれないと思うけれど、なかなかその踏ん切りは付かない。まだ、十分使える。でも——
「電源が全然入らないって、もうだめじゃん〜」
エアコンの電源を切り、テレビのリモコンを手に取った。テレビから流れるアップテンポのミュージック。司会者の女性が朝七時を告げ、「おはようございます」と頭を下げる。その後で男性司会者が、神妙な面持ちで最初のニュースを読み上げようとした、と、そこで電源を落とした。どうせ、気になるニュースなんてない。それに最近はどの番組もクリスマス特集が多くて嫌になる。クリスマス、寂しくお一人様もいるのに。
パソコンに心惹かれながらも、アパートを出て車に乗り込む。クリスマス寒波が来るらしく、車内では吐く息が白かった。雪じゃないだけマシ。エンジンをかけ車を発進させた。
会社までは車で十五分。七時半には会社に到着しなくてはいけない。こうなればスマホで小説サイトにログインして確認。そう思っていたけれど、珍しく信号には捕まらずに会社へ到着してしまった。
社内でスマホを使えるのは基本更衣室と食堂のみ。でも、と更衣室で紫ジャンバーを羽織る時、胸ポケットにスマホを仕舞った。若い子たちはみんなこうしてスマホを携帯している。バレなければ、問題はないはず。軋む金属製のロッカーのドアをバタンと閉め、更衣室を後にした。
——会社には間に合ったけど、結局まだ書いた物を確認できてないや。朝礼はすぐだし、その後でトイレに行くってなると、吉永さんとかめんどくさそう。お昼まではスマホ見れないかな。あああ、すぐにでも確認したいのにぃ〜。
酔っ払って文章を書き、「あちゃ〜」となった経験がある。もしかして、恥ずかしい文章を公開していたらと思うと、居ても立っても居られない。でも、勤務している以上、スマホを見る訳にはいかない。そわそわする気持ちを抱えながら、事務所のドアを開けた。
——あれ?
事務所の雰囲気がおかしい。
社員が一箇所に集まって何か話している。
中心にいるのは、吉永さんだろか。
——不具合がまた見つかった、とか?
でも、そういう雰囲気とは違う気がする。
訝しげにその様子を見ながら「おはようございます」と、小さく声をかける。人溜まりの真ん中。事務椅子に座る吉永さんがくるりとこちらを向いた。あたふたと、酷く動揺して見える。
「ちょ、ちょっと、ちょっと、中嶋さん。大変、大変なのよ〜、ニュース、ニュース、あなたニュース、観た?」
「え?」
「その顔は観てないのね。大変なのよ、ほら、あの、あれよあれ、あれだってば〜! あの人、あの人の家族が、ほら、もう、分かる?」
吉永さんは取り乱しながら意味不明な事を言っている。とりあえずと、側へ向かった。営業の林田さんの姿もある。林田さんは棒立ちでスマホを凝視していた。事務職や現場作業員と違い、営業職はスマホを携帯してもいい。それが少し気に触る。でも——。
「信じられないわ、まさか知り合いがこんな酷い事件に巻き込まれるだなんて……。信じられないわ、怖すぎるわよ、本当に」
吉永さんは林田さんのスマホに視線を向けた。
「タケちゃん、どう? やっぱり、あの子の家族で、間違いじゃないわよね?」
スマホを真剣に見ていた林田さんがゆっくり顔を上げ、「間違いないですよ」と、答える。
「広末工業の鈴木さんで、間違いないですよ。住んでる地域も、家族構成も、それに、名前も一致していますよ……。被害者は鈴木啓太さん三十八歳、妻、結衣さん三十八歳、長女、
林田さんがスマホを吉永さんに手渡す。画面を見た吉永さんが「本当だ、この人で間違いないわ」と眉間に皺を寄せ、スマホ画面を凝視した。
聞こえてきた広末工業、鈴木敬太の名前。
——敬太の家族が、どうしたの……?
「それにしても、酷すぎるわ。なんなの、この犯人。儀式的には成功ですって言うなんて、意味が分からないわよねぇ。本当にこんな小さな子まで切り刻んで。可哀想に」
——切り、刻む……?
「警察に自分で連絡したって書いてありますよね。何日も家の中に入り込んでいただなんて。鈴木さん、インフルエンザで休んでるって、俺、選別作業に行った日、ほら、今週の火曜日にそう聞いたばかりですよ。まさか、あの日、犯人が家にいただなんて。朝ニュース見て、俺、ショックで。俺んちの子供と同い年だし。俺、今でも信じられないっすよ……。中嶋さんも一緒に行ったよね、選別作業。あの日にはもう犯人に監禁されていたんだって」
——犯人が家に入り込んでいた……? 誰の家に? 敬太の家に?
ぐらっと視界が歪み、血の気が引いていく。頭の先から爪先までへたへたと力が抜け、側にあった事務机に手を着いた。
「信じられないよな〜。中嶋さん? 中嶋さん、大丈夫?」
——敬太の家に、犯人……? 監禁して、切り刻む……? なにを、切り……
「中嶋さん? 大丈夫? 顔が真っ青だよ」
林田さんの声が遠くに聴こえる。耳鳴りが声を掻き消している。震える身体で、声を絞り出した。
「すいません、そのニュース、知らなくって……。あの、あの……スマホ、見せてもらえませんか……?」
「もうちろん、中嶋さんも見た方がいいわよ。ショックよねぇ〜。顔見知りがこんな事件に巻き込まれて死んじゃうなんて、本当にショックよねぇ〜ほら、ここよ、この記事読んでみて。本当に可哀想な事件。許せないわ、この犯人」
顔中の皺という皺を寄せながら、吉永さんがスマホをこちらに向けた。手を伸ばし受け取って、そのまま一番近い椅子に座る。画面に映る一戸建て住宅の写真。ブルーシートが一部にかかり、黄色いテープが入り口に張られている。
——敬太の家だ。
昔、一度だけ敬太の家を見に行った事がある。奥さんはどんな人で、どんな家に住んでいるのかをこっそりと見に行った。その時に見た、家。白くて四角い高級住宅が画面に出ている。その下には鈴木宅とも。
冷たい汗が脇から垂れていく。背中がぞくぞくと寒気を感じ、全身が粟だった。震える手に力を入れて、スマホの記事を読む。
——お願い。何かの間違いだよね、まさか敬太じゃないよね……
記事は速報という形で書かれていた。
今日の早朝の記事だ。
【TAHOOニュース速報:猟奇殺人事件発生】
20XX年12月22日未明、S県N市で、鈴木さん一家殺害事件が発生。被害者は、同市在住の会社員、鈴木啓太さん(38)、妻、結衣さん(38)、長女で小学生の
犯行に及んだのは、同市在住、無職、鷺沼洋治容疑者(38)。犯行後、鈴木さん宅の固定電話を使用し、警察へ自ら連絡。鈴木さん宅へ到着した警官が、その場で鷺沼容疑者を現行犯逮捕しました。
鷺沼容疑者は「自分がやった。儀式は無事に全て成功した」と発言していることから、今後、精神鑑定を受けると見られています。また、S県警は捜査本部を設置し、事件に至ったいきさつを調べています。
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