episode7_3
マヤさんはしっかりとした印象の——多分——女性。だから文字化けしたままコメントを返信するイメージがない。もしかしてネット環境がそこで落ちたとか、そういう理由だろうか。
「考えても分からないか」
独り言ち、もう一度コメントに目を通す。所々読める漢字や平仮名を掻き集め、コメントの内容を想像するも、あまり良く分からなかった。ただ、なんとなく分かったのは、わたしのことを心配してくれている、ということ。
物語とは全く関係のない金ちゃんや敬太のこと。まるでそれを見透かしているかのように、心配してくれるだなんて。会ったことも喋ったこともないけれど、やっぱりマヤさんとは心が繋がっている気がする。
頬が緩み、嬉しい気持ちでスマホをブラックアウトした。このまま見続けていたら昼休みは終わってしまう。
食堂に向かい、給食センターの生温いお弁当を食べる。午後からも淡々と作業をし、就業時間終了のチャイムが鳴る頃には、身体は心底冷え切っていた。悴む手を擦り合わせながらタイムカードを押し、帰路に着く。
車を運転している最中も、頭の中はずっと『公衆電話の太郎くん』、その続きでいっぱいだった。自宅に戻り、とりあえず湯船に漬かり身体を温める。冷え切った身体は冷凍肉が溶けるように解れていく。指先に俊敏な動きを取り戻し、それから書き始めた。
夢中になっている間は、敬太のことも、金ちゃんを失った悲しみも誤魔化すことができる。
カチカチとキーボードを軽やかに鳴らして書き進め、何度目かのコーヒーを淹れる頃にはすっかり夜も更けていた。壁時計の短い針は9を指している。それを見ながら「う〜ん」と腕を天井に伸ばし、「一話分の下書きできたぁ〜」と、嬉しい声をあげた。
「すごい、めっちゃ集中して書いてた。こんなの、久しぶりだよ」
十二月に入ってから開催しているWEB小説コンテスト。何か新作をと思いつつも、全くアイデアが浮かばなかったのに、今日はスラスラ物語が浮かび、キーボードを無心になって叩いていた。文字数的には三千文字。WEB小説の一話は二千文字程度が最適と読んだことがあるけれど、三千文字弱なら、ギリセーフのはず。
「でも、こっからだよね。推敲作業に時間をかけた方がいいですよって、キリンさんも言ってたし」
キリンさんも執筆仲間で、マヤさん繋がりで知り合った。子育てエッセイや現代ファンタジーを書いている作者さんで、コンテストの中間選考を突破することも珍しくない。そのキリンさんが、推敲作業が大事だというのだから、書き上げたこの後こそが、大事。
「よし、ちょっと休憩して今日は書けるところまで書くか」
椅子から立ち上がると目線の高さが変わり、机の上、男の子の人形が視界に入った。太郎くんが入り込む設定の人形。その人形を見て、ふっと金ちゃんのことを思い出す。
——金ちゃんは、わたしが金魚を生贄になんて書いたから死んだんじゃない。わたしの不注意。飛び出したことに気付けなかったわたしのせい。だから、お話は関係ない。このまま書き進めてもいいよね……。
「書いたからじゃないよね、太郎くん?」
『episode3』までのPV数はさらに増えていた。
『episode6』までのPV数も、少しだけ伸びていた。
『episode6』から先、書き進めればもっと読んでくれる人が増えるかもしれない。そう思うと、今日のうちに『episode7』を公開したい。
——金ちゃんのことは可哀想だし辛い。わたしのせいなのは間違いないよ。でも、書いてるお話とは無関係だよ。
「うん」と、納得するために頷き、小さなキッチンの冷蔵庫へと向かった。帰宅してから何も食べていない。会社帰りにコンビニで、『名店の味』と書かれた、少しお高いかき揚げうどんを買ってきている。夕食を食べてから推敲作業をしても問題ない。
「腹が減ってはなんとやらだよね」
呟きながら冷蔵庫を開けると、隙間の多い冷蔵庫の棚に『糖質ゼロ』と書かれた青い缶ビールを見つけた。青白い光に照らされ存在感が増している。書き終わった後、久しぶりに呑もうと買ったものだ。
「呑むなら書くな、書くなら呑むなだよ」
敬太がうちにやってこない日。自宅での敬太を想像してむしゃくしゃっとする日。そんな日の夜は缶ビールを呑み気持ちを晴らしてきた。その流れで小説を書き始め、朝起きてから「あちゃ〜」となったことは何度もある。だから、いまは、まだはやい。でも——。
「ちょっとだけ、ひとくちだけ、なら大丈夫かも?」
集中して下書きを書き終えた満足感。
喉越し爽やかにひとくちだけ。
きっと、この満足感をさらに満たしてくれるような気がする。
「ひとくち。ひとくち。うん、ひとくちだけなら、大丈夫」
手を伸ばし缶ビールを取って冷蔵庫のドアを閉めた。
かき揚げうどんを食べるよりも、まずは集中して書き進めた自分へのご褒美。
プルトップに指を引っ掛け力を入れると、プシっと小気味よく音が鳴り指先が濡れた。そのままごくごくっとビールを勢いよく喉に流し込む。食道を炭酸の泡が撫でていく感触に、思わず「はぁ〜」と溜息が漏れた。
「美味しい!」
久しぶりのビール。
敬太が泊まりにきた土曜日以来だ。
と、あの日の敬太を思い出す。
何食わぬ顔をしてわたしを抱いた。
——敬太。
わたしを裏切っていた、敬太。
敬太の存在、嫁の妊娠を思い出すと、むかむかする。
悲しみはある一点を超え憎悪へ変化している。
憎しみ恨むことで、痛む心を開放したいのかもしれない。
体内にじりじりと熱を感じる。
胃に届いた液体が脳を刺激していく。
——敬太を許せない。
無意識にもうひとくち、ビールを口に含む。
すぐに飲み干し、もうひとくち。
もうひとくち。
もうひとくち。
もうひとくち。
呑む。
呑む。
呑む。
そして、手に残る薄っぺらいアルミ缶。
「許せない」と口に出し、手に力を込めた。
鈍い金属音を出しアルミ缶が原型を失くす。
さっき書き進めた物語。
主人公サキの恋人を生贄にする
——あまりにも酷いのはやめておこうと書いたけど。見直しても良いかもしれない。
浮気をするようなゲス男。
自分を裏切った最低な男。
どうせ物語の中。
何をやっても許される。
——公衆電話の太郎くんに捧げる生贄。
愛情を感じない男に価値を見出すためには、生贄が恐怖に恐れ慄き、踠き苦しみ、絶望を感じて死んで行かなくてはいけない。増幅する憎悪。増幅する恐怖。増幅する闇のエネルギーが多ければ多いほど、公衆電話の太郎くんは力を蓄える。
「
突然発覚する梅毒のように。
感染症に罹り病に苦しむなんて、生温い。
もっと、恐怖を。
もっと、苦しみを。
もっと、絶望を。
だとしたら、例えばどんな——。
「ふふふっ、ふふふふふっ」
誰か。
笑っている。
頭の中で笑っている。
カチカチカチッカチカチカチチッ——
踊る指先。
奏でるリズム。
ステップを踏んで。
キーボードが歌っている。
「あははははっ、うふふふふっ」
カチカチカチッカチカチカチチッ——
踊る指先。
奏でるリズム。
美しい文字が消えては増えてを繰り返す。
「あははっ、うふふっ」
——そうそう、こんな感じにしないとね。わたし、天才かもしれないっ!
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