episode7_2

「中嶋さん、今日ちょっとおかしいよ? 入力ミスも連発だしさぁ〜。ねぇ、聞いてる?」


「すいません」と力無く答え、頭を下げると、「もう今日は大掃除の方に行ってきて」と、先輩事務員の吉永さんに言われた。自分が履いている燻んだ白いスニーカーを見ながら、正直、その方が有難いと思った。今日のわたしは頭がうまく働かない。それに、昨日泣き過ぎたせいで頭痛も酷い。


「倉庫の大掃除。不用品はだいぶ処分したけど、まだ散らかってるから。書類も全部捨てていいから、ファイルだけ持って帰ってきて」


 吉永さんはわたしの顔を見ることなく、パソコン画面を見ながらそう言うと、「全く」と毒づいた。きっとその後は、「最近の若い子は」と続いたはず。お孫さんがいる吉永さんにとって、わたしはまだ「若い子」の部類に入る。太り過ぎて制服のジッパーが閉められない吉永さんは、何かを口に放り込み、指を舐めてからデスク上の書類をめくった。


「本当、年末はいろいろ書類が多いのよ。パートで内職掛け持ちの人もいるし。ミスなんかして仕事増やされたらかなわないわよ、全く」


 威圧的な態度、萎縮する心。はやく倉庫に向かわねばと、もう一度頭を下げてから回れ右をした。それにしても——。


 昨日、不意に林田さんの口から聞いた、敬太の嫁の妊娠。裏切られたと悲しみ、そのまま泣きながら眠った。そんな自分が自分で嫌になる。いつかはこうなる気がどこかでしていたはずなのに。でも——


 今日のミスは頭痛が原因。

 本当はそれだけじゃない。


 今日の朝起きてから、わたしの頭の中は『公衆電話の太郎くん』で埋め尽くされている。敬太の裏切りで心を痛めているくせに、それよりも書き進めた『episode6』、その続きで脳内が支配されている。


 主人公サキが、恋人タカユキを生贄に差し出す件。今のままの状況——不必要な存在の恋人——ではあまり効果がないと気づく、からの続き。


 恋人タカユキをどうしたら最高の生贄に仕立て上げられるだろうか。それを考えてばかりいる。酷い頭痛は薬が効き始めてだいぶ楽になった。倉庫の大掃除。黙々と片付けをしながら頭の中は空想の世界に飛べる。


 それに、倉庫は内職納品場所の反対側に位置する。めんどくさいベテランパート、宮下さんとも顔を合わせずに済む。


 金属音を鳴らしながら階段をあがり、二階の倉庫に入ると、辺りを見まわした。誰もいない。普段から人気のない倉庫。邪魔されずに考え事が出来そうでほっとした。


 ——それにしても寒い。


 二階にあるこの倉庫は外気温と変わらない寒さで、時折びゅう〜と風が舞い込む。資材を出し入れする為のリフト、その入り口がいつも開いているからだ。週末に降った雪はほとんど溶けているけれど、吹き込む風は冷たい。でも、頭がクリアになるような寒さは、悪くない気がした。


 吉永さんが言っていた掃除場所には古臭い書類棚や、青いファイルが入った段ボールがいくつもある。どうやって片付ければいいか、実際よく分かってはいないけれど、なんとなく綺麗になればいいはずだと、段ボールの側でしゃがみ込んだ。


 青いファイルを取り出し開くと、古い請求書が綴られていた。まずはこれを抜き取って、空の段ボールに一纏め。後でシュレッダーにかければいいと段取りが決まったら、脳内は『公衆電話の太郎くん』の続きを考え始めた。


 ——まずは、恋人タカユキを生贄にする効果的な方法だよね。主人公サキの心情を考えると、裏切り者で、愛してもいない男をもう一度愛するのは、無理。きっと肌を重ねるのも嫌だよね。わたしなら、気持ち悪くて吐き気がする。


 と、そこまで考えて、敬太のことを思い出し、胸がむかむかしてきた。悲哀に満ちた行き場の無い感情まで復活しそうになる。


「もういいから」と、一言で脳裏に浮かんだ敬太の顔を打ち消して、思考を先に進める。いまは『公衆電話の太郎くん』のアイデアを深め、家に帰ったら直ぐにでも書き進めたい。自分でも不思議なほど、頭の中はそればかり考えてしまう。


 ファイルから次々と紙を抜き取っていく作業に没頭し、アイデアを練る。


 ——じゃあ、どうしたらいいんだろう。そうか、例えばこんなのはどうかな? 太郎くんが欲しいものをもっと増幅させるというのは? 例えば、そうだな。恐怖心や絶望感。そういった黒い感情。そういうの、きっと太郎くんは好きなはず。だって、恋敵のユイコの精神も吸い取っていたんだから。


「そうか、それっていいかも?」


 ——ということは? 例えばタカユキがそういった黒い感情を撒き散らしながら苦しみ、生贄となれば、より効果が上がるとか?


 でもそれは少し気が引ける、と思った瞬間、びゅう〜と突風が吹き込み、廃棄する紙が何枚も倉庫内に舞った。


「あああ〜もう!」不満気に口に出し、古い書類を拾う。邪魔をされた気分だ。年代物の書類。古いものは昭和の年号が書いてある請求書や図面。拾い集めながら頭の中はまた空想の世界へと舞い戻る。


 ——あんまり酷い描写は書きたくないよね。だって、一応ホラーと言っても、今まではダークファンタジーと思って書いてきたんだし。それにあんまり酷いことを書いて、マヤさんがうわぁ〜って思ったら嫌だし。


 今までWEB小説で書いてきたホラーは、どこかファンタジー要素があった。それに、いかにも悪い奴が気持ちよく召されていくような、スカッとするホラーだった。マヤさんにも『ゆららさんの書くホラーは怖いけど、スカッとして、どこかチャーミングです』とコメントして貰ったことがある。


 ——さっき考えていた流れで書くと、チャーミングではないよね……。


 マヤさんに嫌われるような内容はダメだ。そう思った時、ちょうどお昼のチャイムが鳴った。昼休憩は45分間。食堂はここから直ぐの場所にある。


 ふと辺りを見渡す。

 誰もいない倉庫。

 ここなら人目を気にせず、スマホが見れる。

 スマホをポケットに忍ばせてきて良かった。


 制服の紫ジャンバー。その胸ポケットからスマホを取り出す。敬太、と思い出し、LINEを開くと、まだ既読はついていなかった。家族で体調を崩していると林田さんは言っていた。もしかしたらインフルエンザかもとも。体調が優れないのは、心配だけれど、敬太はわたしを裏切った。いまは家族みんなでゆっくりと養生しているのかもしれない。そう思うと、自然に「ふん」と鼻を鳴らしていた。


 ——奥さんが、お粥を作ったり、そういう感じ?


「ふんっ」と、さっきよりも大きく鼻を鳴らし、LINEを閉じる。そのまま普段会社では立ち上げない小説サイトのアプリを起動した。会社ではこのアプリは立ち上げない。以前、読み耽ってしまい、失敗したことがあるからだ。ちょうど、今日のように——。


 少しだけ、と自分に言い聞かせ、水色の四角いボタンをタップする。自分の書いている小説タイトルが縦に並び、その下にホームや検索、通知ボタンが並ぶ。


 通知ボタンのベルマーク。

 そこに小さな赤い丸。

 きっとまたフォローしている作家さんの新作通知だろうとタップする。


 スマホ画面いっぱいに並んだ通知。

 思った通り、フォローしている作家さんの新作通知や、更新の通知、近況ノートの更新通知が並ぶ。指先で上にスクロールしていくと、近況ノートにコメントという通知を見つけた。


 ——マヤさんだ。


 前回のコメント返信の後、またコメントしてくれたのだと思い、急いでタップする。自分が書いた『コンテストに新作を出すか悩んでいます』から始まる近況ノート、そのコメント欄。


『続き、楽しみにしています』と、書いてくれたその先。気にかけてくれていたと、嬉しい気持ちで新しいコメントを読む。


《ゆららさん、続きも読んできました。なんだかいつもと雰囲気が違ってびっくりしました。ダークファンタジーじゃなく、今回は本気なホラーなんですね。面白く読ませていただきました。あの、それでちょっと気になったので、コメントしにきました。公衆電話の太郎くんを書くにあたり、実際に公衆電話で試してみた、と先のコメントで書かれていましたが、その後お変わりはないでしょうか。実は、その、読んだ内容を試sut/.,nうるt3/?そreh>#kou霊j:t+!eになるn@5haと思i6&$-なn!d+か気になりまS|た。危&%"#目n=31&%"#ですが。良かったらいつでもSN?n&%><*+#いね》


 マヤさんから届いたコメントはいつもの語り口調だけれど、後半部分が文字化けしていて読めなかった。




 



 



 


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