episode6_3
「本当、嫌になっちゃうわよね〜。よりにもよって、年末に。中嶋さん、今日は遅くなるかもよ〜。覚悟して行ってきてね〜、じゃあタケちゃん、よろしく頼んだわね〜」
宮下さんはそう言うと、仕事に戻って行った。底冷えする金属工場。駐車場に面した内職受け入れ場所から、会社所有の白い大型バンに乗り込む。今から納品先に、営業担当の林田さんとわたし、若手の女性検査スタッフで選別作業に向かう。取引先の納品検査で不具合品が見つかってしまったからだ。
宮下さんの姿を目で追いながら「頭にくるよな、あの態度」と、運転席の林田さんが呟く。と、同時に、助手席に座るわたしの鼻先をタバコの匂いが掠めていく。
車内は禁煙。
やな感じだ。
林田さんは車に乗る前に、喫煙所でこれでもかとタバコを吸ってきたのだろう。客先での選別作業。休憩もほとんど取れず、拡大鏡を使っての検査作業。その前にと、ニコチンを体内に溜めれるだけ溜めてきた、とそんなところだ。今年で四十歳になる林田さんはシートベルトを引っ張りながら愚痴を続ける。
「まじでないわ。なんで新人内職がやったやつを納品分に混ぜちゃうわけ? どういう管理してんだよ〜、ったく。中嶋さんもそう思わない? ありえないでしょ? 偉そうに言ってくるけど、あれってさぁ〜、宮ちゃんの管理不足だと思わねぇ?」
言葉の最後に被って、かちゃっと、林田さんのシートベルトが嵌る音が聞こえた。続いてガカカカカッと、エンジンをかける音がし、振動が薄いシートの下から伝わってくる。「たくよぉ〜」と言いながら林田さんは車を発進させた。
林田さんが宮下さんの愚痴を言うのも無理はない。出社早々不具合が見つかったと聞かされ、いつ終わるか分からないような選別作業に行かなくてはいけないのだから。
不具合品が発見されたのは、昨日の午後納品分だそうだ。それを聞いて、わたしには思い当たることがある。内職納品場所と出荷場所はさほど離れていない。納品箱の仮置き場所が悪ければ、出荷品に混ざる可能性は十分ある。宮下さんはそのエリアのパートリーダー。
昨日、食堂で背中越しに聞こえた宮下さんの「本当に〜?」を思い出す。
宮下さんはあの時、パート仲間に聞いていたのかもしれない。納品する製品箱の山に、新人内職の検査品が混入したかもしれないことを。
——昨日ここに置いた製品も納品しちゃったの? もお〜、信じられない! 誰の責任って、社員なんだし、山田さんの責任じゃない! もう、新人じゃないんだからしっかりしてよ!
さっき宮下さんは、女性社員の山田さんを叱っていた。山田さんはまだ若い。わたしも昔、同じような目にあったことがある。普段は気さくで優しいおばちゃんだけど、有事の際、宮下さんは図太さを発揮する。
「わたしは社員と違ってパートだから」
「わたしは長年この仕事をしてるから、なんでも知ってるのよ」
宮下さんにとってはどちらも真実。社員からすればタチが悪い。今年で四十歳になる林田さんにとってもそれは同じかもしれない。宮下さんにどこか舐められている林田さんは、入社当時から「タケちゃん」と愛称で呼ばれている。名前が
「まじでムカつくわ。俺は社員だっつーの! ねぇ、中嶋さんもそう思うよね? あの態度。宮ちゃん、まじでうざいわ」
宮下さんは社員から宮ちゃんと呼ばれている。というか、呼ばせている。わたしは、宮下さんと呼ぶ距離から先に進みたくなくて、宮下さんのままにしている。
「はぁ〜、夜までかかるよなぁ〜これ。そう思わない?」
林田さんが言葉を発するたび、タバコの匂いが漂う気がして、「そうですね」と答え、息を止めた。林田さんの吐く息をなるべく吸い込みたくない。林田さんは余程面白くないのか、タバコ臭い吐息を撒き散らし、愚痴愚痴と文句を言いながら荒々しく運転している。車はすぐに高速道路に入った。
これから向かう取引先、広末工業は会社から高速道路を使って三十分の距離にある。広末工業は、敬太が勤めている会社だ。
——敬太、いるかな……。
敬太からの返信はまだ来ていない。いつもならスタンプくらいは来るのに、既読さえついていない。だから、林田さんに「選別作業に行く人を事務から出して欲しい」と言われた時、真っ先に手を挙げた。わたしも検査作業くらいはできる。入社して最初に配属された場所は検査現場だった。選別作業には何度も行ったことがある。
敬太は営業職。今から行く場所は資材の倉庫。だから広末工業に選別作業に行っても、会えるかどうかは分からない。それでも、行きたかった。敬太の職場に。もしかして、わたしにLINEを返信できない理由がわかるかもしれない。
そう思っていたけれど——。
結局、夕方を過ぎ、夜の八時に広末工業を出る時になっても、敬太について何かを知ることはできなかった。何度か林田さんに聞こうかな、とも思った。営業担当者同士、二人は仕事上付き合いが深い。飲みに行くこともあったはずだ。でも、「営業の鈴木さんって、今日いらっしゃるんですか?」などと聞けば、変に勘ぐられてしまう気がして、聞けなかった。
——こんなことなら会社で事務してた方がマシだったな……。
寒々しい作業現場。資材置き場の片隅で、殆ど暖房が効かない中、一日中拡大鏡を覗いていた。結局、追加で検査ミスを発見することはなかった。当たり前と言えば当たり前。選別作業で新たに見落としが見つかれば、さらに問題なのだから。
作業が終わり、林田さん以外のメンバー——わたしと若い検査員——は、車に乗り、事務所へ報告に行っている林田さんを待っている。
——それにしても、寒い。
座席に座るわたしの身体は強張り、肩も腰も疲れ果てて足先も凍えている。はやく自宅に戻り、温かい湯船に浸かりたい。他のスタッフも同じように思っているのか、誰も喋らず、車内の空気はどんよりとしている。誰もが誰かに無関心。ならばと、おもむろにポケットに手を入れスマホを取り出した。
——敬太から、連絡きてないかな。
一応敬太のLINEに、『選別作業に広末行きます』と、送信している。もしかして、何か返信があるかもと開いたLINEは、既読すらついていなかった。
「もう」と、声が漏れたところで林田さんが運転席のドアを開ける。冷たい空気に乗ってタバコの香りが車内に流れ込んできた。
——だから遅かったんだ。もう〜。
林田さんは作業報告をしに行ったついでに、喫煙所でニコチン補給をしてきたようだ。少しだけ窓を下げ、ちらっと後部座席を見ると、検査員に駆り出された女性スタッフは、無表情でそれぞれスマホをいじっていた。
隣で「結局、予定通り夜かよ」と、林田さんがぼやく。反射的に「そうですね」と答えると、「そういやぁ」と、林田さんは車を発進しながら話し始めた。
「営業の鈴木さん——」
心臓が止まる。
営業の鈴木。
敬太のことだ。
林田さんの言葉を一言一句聞き流したくないと、息を潜める。エンジン音がやけに煩く感じる。
「今日いないしさあ、電話もつながらないからさ、どうかしたんですかって聞いたら、あれだって。なんか家族全員体調壊して休んでるって。インフルエンザかなぁ。時期だしな〜。あそこの子供、俺んちの二番目と同じなんだよねぇ。学校でもらってきちゃったのかもな。小学校ではやってるらしいからさ。それにしても、大変だよな〜」
——インフルエンザだったんだ。だから連絡できなかったって、そういうことなんだきっと。
それにしてもスタンプくらい、と思っていると、林田さんの次の言葉で全てが吹っ飛んだ。
「鈴木さんとこの嫁、二人目妊娠中でさぁ。妊婦でインフルなんて可哀想だよな〜。薬も気になるだろうしさ。中嶋さんもそう思わない?」
ブツっと電源が落ちる音がした。
頭の中で。
心の中で。
この世界の電源が、ブツっと落ちた。
——敬太の奥さんが妊娠?
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